さらば欲望 佐伯啓思 3分要約

3分要約

現在の世界の抱える問題とは何か

 アメリカ中心の世界秩序に限界がみえ,文明の基本となる部分が崩れつつあり資本主義が隘路に入り込んでしまっている。

現代文明の基本とは何か

 グローバル資本主義,デモクラシーの政治制度,情報技術の展開の3つが現代文明の基本。 

 3つの柱を成長させることが人類の未来を約束するとされてきたが,崩壊している部分も見られる。

グローバル資本主義の問題は何か

 ものが溢れても過剰競争やあらゆるものの商品化,道徳観の崩壊,家族や地域の集団の衰退,不寛容さなどで行きにくさ,ストレスを感じる人が増えている。

デモクラシーの崩壊とは何か

民意が力を持ちすぎたが,民意は答えを持っておらず,自身の周囲のことにしか興味を持たないため,民主主義が行き詰まっている。

 知識層やメディアが民意を読みつつ,それに争いながら動かしていく必要があるが,民衆に併合したり自分達に主張に合うように民意を利用してしまっている。

情報技術の展開の問題点は

 本来情報や知識は公共的な生活のために利用されるべきで,市場競争に馴染まないが、GAFAの台頭など情報が市場競争に利用されている。

 SNSでの情報発信も多様性を高める方向ではなく,不寛容な社会を生み出す要因になってしまっている。

資本主義の隘路からどう抜け出すべきか

 西洋の価値観や思想が崩れ都合の良い崩れ都合の良い正解はない。覚悟を決め手探りで未来へと繋げていく価値を探すしかない。

アメリカの作り出す世界秩序に限界が見えている

 ロシアによるウクライナ侵攻には様々な要因があるが,冷戦後のアメリカ流グローバリズムの行き詰まりにも原因がある。

 グローバリズムの行き詰まりによって異なる文明同士の衝突が西洋,アジア、ユーラシアで起これば日本はその前線に置かれることとなる。

 これまでの日本はアメリカの作り出す世界秩序を信奉してきたが,限界も見えている。様々な視点から日本,世界の問題を解説した本になっている。

SNSは多様性ではなく、不寛容を生み出している

 GAFAの台頭とそれがもたらす問題の多くは,情報や知識が本来,公共的な生活向上するために利用されるべきもののため,市場競争に馴染まないことが原因。

 SNSで意見を発信できることは多様性を高める方向ではなく,自分と立場の異なる人を許さない不寛容な社会を生み出して閉まっている。

競争の激化が多大なストレスの原因となっている

 平成期の日本は「改革狂の時代」と言え、バブル崩壊後の経済低迷の悪者探しで官僚、公共事業、日本型経営、銀行などが槍玉に上がり多くの改革が行なったが、いまだに経済は低迷し、その要因も改革の遅れとされることも多い。

 グルーバル化、情報関連技術のイノベーションは加速し新たな可能性を開くと同時に競争の激化で多大なストレスを受ける人も増加している。

 自由が拡大し金やモノは溢れても、道徳観の崩壊、家族や地域の信用できる集団の衰退、不寛容さなどで生きにくさを感じる人が多いことも当然と言える。

現代文明の柱が崩れつつある

 現代文明は次の3つの柱を持っている。

1.グローバル資本主義

2.デモクラシーの政治制度

3.情報技術の展開

この3つによって人々の幸福を増進し、人類の未来を約束するものとしてみなされてきたが、コロナ騒動でこの楽観的な将来像に冷や水を浴びることとなった。

移動制限はグローバル資本主義にダメージを与え、政治や情報を混乱もたらすばかりだった。

過剰なグローバル資本主義は我々から常識や思考能力を奪っており、コロナによる経済的な打撃はぎりぎりの経済競争の中で生きていたことを表してしまった。

コロナでの価値観の変化が市場経済に疑問を抱かせている

不要不急という言葉が、コロナ禍で多く聞かれたが、市場経済では全ての文化が経済に従属しており、不要不急と必要は地続きとなってしまった。

市場経済では人の欲望が無限で、人が求めるものは全て必要である。市場経済の関心は利益や収益だけで過剰、不要かどうかという問いをすることはない。

コロナによってこの価値観に少し変化が起き、利潤で評価できない部分(信頼できる人間関係、安心できる場所、地域の生活空間など)が必要なものと不要なものの間にあることを知った人も多かった。

日本は海外と市民と国の関係性への考え方が異なる

コロナ禍での政府の対応は日本では自粛要請が中心であったが、欧米ではロックダウンなど私権制限を行う国も多かった。

欧米には社会の安全確保が国家の役割で、非常時には私権を制限しても国を守るものという意識が強く市民も国を支えるべきという意識を持っている。欧米では災害や感染症や戦争などの非常時を想定しているが、日本ではこのような意識が少ない。

民意が力を持ちすぎたが、民意が答えになる訳でもない

世論や民意を重視する傾向は強いが、将来の共通了解が国民の間になく、従来の価値観が崩壊する中で民意が答えを出せるわけがない。

このような状況では将来を見渡す文明論を学者や知識層が示す必要があるが、大衆世論に併合することも多い。知識層には民意の動きを読み、それに抗いつつ、動かしていくことも必要になってくる。

しかし、メディアを中心に民意という言葉を恣意的に使用し、自分達の主張に合うように民意を利用している。多くの民衆は自分の半径数メートル範囲の議論にしか興味がなく、大きな問題に答えを出すものではない。

本来の議員内閣制は公共性の高い議題や利害の複雑に絡む問題は、人々の意見を直接反映するのではなく代表者が議論すべきという理念があるが、今では政治家も民意から逃れることができなくなってしまっている。

西洋の思想が崩れており、手探りで進むしかない

 日本近代には二つのディレンマがある。

 一つは日本は西洋列強の圧力から鎖国からの開国を決断し、近代化したが、近代化を実現したことで、西洋列強との対立は不可能なものとなっていったこと。

もう一つは欧米化を受け入れることが、植民地化されず、独立を保つ唯一の方法だが、そうすることで日本の精神は希釈されてしまうこと。

この二つが日本の愛国心を複雑なものにしている。独立を守るには日本の精神の希釈化を受け入れなければならないことは今でも大きな影響を与えている。

 さらに西欧近代思想が崩れ始め、世界に変化は大きくなり、安閑な場所ではなくなっている。現代文明の隘路から抜け出す都合の良い正解などないと覚悟を決め、未来へとつなげて行く価値を手探りで見つけるほかない。

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