3分要約
現在の反イスラムの動きは何が原因か
西洋の持つ発展した西洋が後進的なオリエントを救済するという考えや偏ったナショナリストとエゴイストが原因。
イスラムの文化がいかに西洋文化に影響を与え、根付いてきたか、またイスラムと共存し、イスラムと共存することで大きな発展をしてきたかを知ることで世界を正しく理解できる。
イスラムの文化はヨーロッパにどんな影響を与えたのか
中世から近世までの発展、文化の基礎にはイスラムの影響があったが、そのことを現在の西欧諸国は忘れてしまっている。
シルクロードや十字軍の持ち帰ったイスラム文化はルネサンスや停滞していた科学技術の発展、大航海時代に必要な航海術など、歴史的に影響を与えた部分も非常に大きい。
日本人がヨーロッパから伝わったと思っているものでもルーツがイスラムにあるものは多い。
イスラムが発祥となるものはどんなものがあるか
食事、大学、文化、科学技術など様々なものがある。近世のヨーロッパの発展になくてはならないものも多い。
また、ムスリムが技術がもたらされただけでなく、ムスリムとの共存した地域は都市として大きく発展している。
ムスリムとの共存は可能か
異民族、異宗教が互いの宗教に寛容となり、共存した例は少なくない。
また多様性が都市の価値を大きく向上させた例も多く、現在でも多様な宗教が共存している国や地域も少なくないため十分に共存できる。
現在のヨーロッパ文化の基礎はイスラムに起因している
アラビア半島で生まれたイスラムは北アフリカからイベリア半島に伝わり,ヨーロッパに一大革命をもたらした。
今のヨーロッパの文化の基礎にはイスラムに起因し,ヨーロッパの中世から近世までの発展はイスラムの文化,社会的影響抜きではあり得なかった。
今のイスラムヘイトは,このような事実を忘れたこと要因になっている。日本人がヨーロッパから伝わったと思っているものも,そのルーツがイスラムにあるものも多い。
イスラムを異教徒とし,全くの外国文化の構成要素としてしか考えていないが世界の文化はキリスト教やユダヤ教,イスラムなどの文化が重なり,影響し合うことで豊かに発展してきた。
イスラムがヨーロッパにもたらしたものやイスラムと共存してきた歴史を知ることで,イスラムとの平和的な共生や相互依存の可能性があることを示す本になっている。
イスラム発祥の食文化はヨーロッパに根付いている
ヨーロッパの食文化にイスラムが与えた影響は非常に大きい。
ワイン作りの習慣は紀元前4000年ごろ中東で始まり,ヨーロッパに広がっていった。その後もヨロッパと中東は互いに刺激し合い,ワインの質を高めてきた。
ザッハトルテ,ロールキャベツ,オリーブやオレンジの栽培などの基礎をヨーロッパに伝えたのもムスリムだった。
ヨーロッパが発祥の地と思われている料理や食材が,ムスリムが発祥であるものは非常に多く,イスラムの影響が大きく,広いことがよくわかる事例になっている。
シルクロードでのムスリとの交流がヨーロッパの発展を促した
イスラムとヨーロッパの交わりや共存の歴史で欠かすことができないのがシルクロードと十字軍。
古くからムスリムは卓越した航海技術でアラビア半島から中国南部,アフリカ東部に通商路を持っていた。
ムスリムたちは通商路を利用し,香辛料などの貿易を行なっており,シルクロードを利用し,それらをヨーロッパに持ち込むことでイスラムに大きな富と繁栄をもたらした。
シルクロードで活発な貿易が行われることで発達した都市には,アマルフィ、ヴェネツィア、リスボンなどが挙げられる。
これらの国はムスリムとの交流がなければ大都市になることはできなかったかもしれない。また、これらの地域の発展とイスラムのもたらした科学や技術は大航海時代を支える航海術などの面でも大きな影響を与えた。
十字軍もイスラムの文化を持ち帰る働きをした
十字軍はキリスト教の聖地であるエルサレムをイスラム勢力から奪還するために結成されたもので200年間計7回の遠征を行った。
十字軍は戦争だけによって性格づけられるものではなく、征服した地で宗教の違いを超えた共存を果たすことも多くあった。ヨーロッパの東方貿易の拡大など経済的な一面も見られた。
文化的にも大きな影響を受け、イスラムとの交流はその後のルネサンスの背景の一つであり、ノートルダム大聖堂のようなゴシック様式の建築物やアマルフィ大聖堂のようなモザイク模様はこの時期にヨーロッパに伝わり、その後アメリカにも持ち込まれている。
コスモポリタンな地域は貿易の中心として大きく発展した
十字軍は征服した後もその地での少数派であったため、他宗教に寛容な姿勢を持つことも珍しくなく、コスモポリタン(世界主義)な国家を作り出していった。
コスモポリタンな国家は貿易の中心となることでもたらされ、貿易の中心として発展していった。
十字軍兵士の中にはヨーロッパに戻らず、留まる人も多かったなど,単に侵略のための戦争とは違った面が大きい。
中世では,ムスリムと交流の多い都市が文化的に最先端だった
アンダルスはヨーロッパとムスリムが交わった歴史的な地点であり、その中心だったスペインのコルドバは当時最も規模が大きく、文化的にも最先端であった。
コルドバにはイスラムに知識を伝える巨大な図書館があり、当時フランスやイギリス人がコルドバで学ぶことも多かった。
科学や音楽、農業などこの時期にヨーロッパはムスリムから多大な影響を受けている。
また、世界最古の大学はモロッコに859年で創立したが、その基礎を気づいたのはファーティマという女性。イスラムは女性を抑圧するイメージが強いが、本来は男性、女性とも全てのムスリムには知識を探求する義務があるとされている。
ルネサンスもイスラムの影響を受けている
イタリアも中世にイスラムから大きな影響を受け、その影響はのちのルネサンスを生み出す基礎にもなっている。
パレルモは地中海貿易の中継地点として活用し、大都市になり、後のルネサンスの中心地となった。
イスラム時代、ムスリムの学者たちは西欧で忘れられていたギリシアの古典の翻訳を行い、古典文化の復興の力にもなった。またダヴィンチに先駆けて様々な発明を行ったイスマーイール・ジャザリーなど優れた技術師も誕生するなどムスリムたちの科学は当時のヨーロッパを大きく上回り、その技術や知識はヨーロッパにも大きな影響を与えた。
イスラムとキリスト教、ユダヤ教が地中海の周辺で共存し、栄えた例は非常に多い。現代のような反目しあった時もあるが、多くの地域で共存が図られてきており、例外的な状態といえる。
フランス革命後のフランスを最初に支援したのはイスラム
中世のオスマン帝国は強大で、ヨーロッパ諸国はオスマン帝国を迂回し東方に到達するルートを開拓する必要があった。これによってコロンブスやマゼラン、ドレイクなど大航海時代の背景の一つになっている。
当時はお互いに宗教に寛容で、共存しており、ムスリムの文化に憧れたり、好んだりするヨーロッパの国も大きく見られた。
フランス革命時にルイ16世を処刑し、共和制に移行したフランスが他のヨーロッパ諸国から反発を買い緊張状態に陥っていた。そんなフランスを最初に承認したのがオスマン帝国の支配下にあった北アフリカのイスラム都市国家のアルジェ。
アルジェはフランスを資金の貸し出しや穀物の輸出などで支援した。フランス革命で強調された公正、人道主義、友愛などはイスラムの持つものと矛盾せず、共和国を支持していた。
金銭的に支援も行ったが、フランス側はその後、膨らんだ債務を帳消しにする目的もあり、植民地支配をおこなっている。
フランス革命をいかにムスリムが支援し、貢献していたかを意識し、排除するのではなく同じ価値観を共有することをしり、共生していくことが重要。
異民族や異宗教との共存は珍しいものではない
近世まで、ムスリムたちはヨーロッパキリスト教世界に多大な文化的、学術的貢献をおこなってきた。
ヨーロッパの植民地支配が進む中で徐々にイスラムを見下す思想が広がってしまっている。
しかし現在でも、ブルガリア、アルバニア、モロッコなどの国では多様な宗教が共存している国もある。またフランスのマルセイユは多様な人種がおり、人種差別や宗教の違いによる問題が少ない地域もある。
異民族や異宗教の共存は過去の歴史ではなく、現在でも見られる事象。宗教の総意を超えて反人種主義の運動を行うなど共通の目標を持つことが相互の宥和に役立つことを示している。
歴史を知ることでイスラムに対して正しいイメージを持つことができる
西洋には進歩を遂げた西洋が後進的なオリエントを救済するという美談のもとに、植民地主義や人種差別を正当化してきた背景がある。
しかし、実際に中世のヨーロッパは暗黒時代と呼ばれるほど、停滞しており、その停滞から目覚めさせたのはムスリムの知識やムスリムたちとの共生であることはあまり知られていない。
現在のイスラムと欧米キリスト教の対立は偏ったナショナリズムと自己中心的なエゴイスト。歴史を見直し、イスラムとキリスト教が共生していたことを知り、イスラムに対するイメージや捉え方を更新することで世界を正しく理解できると筆者は信じている。
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