エネルギーの人類史 上巻 バーツラフ・シュミル 青土社

                概要                                     エネルギーは変換することで様々なことを可能にする         人類の進化はエネルギーを如何にたくさん貯蔵し循環させ、効率良く変換できるかを求めるもの

 エネルギーは唯一無二の普遍通貨であり、様々な形態があり、別のモノに変換されることで様々なことが可能になる。上巻では産業化前のエネルギーの歴史がかかれている。

 有史以前の人類の進化と歴史の流れはエネルギーを集約的で汎用的な形態で如何にたくさん貯蓄し、循環させ、効率良く変換できるかを求めるものといえる。

 エネルギーの重要性は以下の例からも見てとれる。
自然選択による進化、文化の発展もエネルギーに関する改善で説明される。

人類は火や風、水のエネルギーを利用することで他の動物との差を大きくした。

石炭を豊富に持っていたことが19世紀のイギリスが海運の覇権を握れたことの最大の要因。

先史時代                            食事の変化によるエネルギー効率の向上が脳の大型化につながった

 人類の二足歩行はエネルギー効率が良く、道具の制作や使用がより得意になり、言語の使用につながっていった。

 肉を食べることで、エネルギー効率が上がり、消化器官が短くなり、脳に回すことのできるエネルギーが増加することで、脳がより大きくなった。

 火の使用は、調理、暖を取る以外にも、石を熱処理するなどの工作手段、野焼きによって狩猟をやりやすくしたり、食用植物を増やすなどにも利用された。

狩猟採集時代

 狩猟採集時の人類の人口密度は研究によって大きな差異があるが、平均で100平方kmで25人と非常に少なく、この人数では職の専門化、社会の階層化など複雑な社会が見られることはない。

 

 密林は生物は豊富だが、狩猟の難しい場合が多い一方で、草原や疎林は生物は少ないが種子や果実等も得られるため効率は良かった。
 
 人類は他のどの哺乳類よりも汗をかくのが上手いため、持久力が高く、走り続けることで獲物を疲れさせ、狩りを行うこともできた。このような狩りも草原や疎林のほうが有利だった。

 水産資源を利用できる場所では食料が非常に多く、徐々に人口密度の増加と定住化が進んでいった。

農業は太陽光を動力源にエネルギーの循環を行う           循環を効率的に行うことでエネルギーの余剰を生み、社会が多層化した

 狩猟採集からのエネルギー利益が先細りになったことで徐々に食物を栽培するようになった。ただし、初期の農業は狩猟採集に比べても、エネルギー利益が低い場合も多かった。

 農業の手法は様々だが、伝統的な農業は太陽光の光合成を動力源として、食物や家畜の試料、廃棄物で土地の肥沃度を回復させることでエネルギーの循環をしている。

 農耕の集約化は人口密度の増加を可能にしたが、人口密度の増加はエネルギー消費量をさらに増やした。良い道具や家畜、井戸掘り、灌漑水路や食料保存庫、段々畑の作成などを行う必要がでてきた。
 生産性がさらに上がることでエネルギーの余剰が出でき、農耕以外の活動に従事できるようになり
多様化し階層化した社会を出現させるようになった。

 

 伝統的な農業の生産的な限界を取り払うには化石燃料の投入の高まりが必要で、化石燃料によって
近代的な高エネルギー都市社会が実現可能になった。

 

 作物の成長には一定の要件があるため、畑仕事には普遍的なパターンが生まれ、同じ作物であればその栽培法は類似していて、使用される道具(犂や鎌)が作られるとすぐに広く普及した。
 
 伝統的な農業では様々な食物が栽培されたが、何より多かったのが穀物。小麦、稲、トウモロコシ、キノアなどは収穫量の多さ、栄養の豊富さ、貯蔵のしやすなどで多く栽培されるようになった。

 家畜の利用がは農業の効率化に大きな効果があるため、多くの使役動物の品種が生まれた。耕起作業では特に力を発揮し、ロバ、牛、馬、水牛などが利用された。


 一般に収穫される穀物の約1000倍の水が必要だと言われている。農業初期は川の氾濫で土壌に水がしみこむことで、農業を行っていたが、人口が増え、水が届かない場所や水の少ない時期にも作付を行う必要が出ると灌漑が必要となった。

 光合成には二酸化炭素と水が必要だが、別の元素も微量に必要となる。特に窒素は肥沃化せずに農業を続けるとすぐに枯渇してしまう。生物の排出物を堆肥して利用する方法や、窒素固定を行うマメ科の植物を穀物と輪作することで肥沃度を高める努力を行ってきた。

伝統的な農業生産性の限界は化石燃料なしでは解決できなかった

 伝統的な農業は基本的な部分は、1000年以上を通して大きく変わらなかった。


 収穫高と生産性はゆっくりと向上していたが、19世紀には生産性の高い地域では収穫高の限界に到達してしまった。

 収穫高は少しづつ上がったが、人口密度の増加を上回るものではなく、多くの人の食物量や栄養状態を伝統的な農業では向上させるには至らなかった。これ以上の向上は化石燃料の使用することでしか解決できなかった。

蒸気機関以前は人間、家畜、水、風のエネルギーが原動力となった

 産業化以前の社会では大半の人は農民として暮らし、その働き方は数千年の間大きく変わらなかった、それでも多くの創意工夫で原動力や燃料の性能を大きく改善した。
 

 小さな力を増殖させる、技術革新によって新しいエネルギー変換を導入する、既存の効率を高めることで、より高い生産量と効率に至ることができた。

 

蒸気機関誕生以前は、人間や家畜の労働と水と風のエネルギー変換が唯一の原動力であった。
 人間や家畜などの生物のエネルギーの利用だけでは、限界があり確実な食料供給と物質的な豊かさをもたらすことは出来なかった。
 

 それでも、てこや滑車、クランクなど様な道具で力の増幅をし、効率を向上させていた。水車も幅広く利用され、人間や家畜に比べ高い効率を出すことができた。90%以上は穀物の製粉ではあるものの幅広い分野で利用されていた。現在では発電機を回す水力発電にも利用されている。

 

 風車は水車ほど広い範囲では用いられなかったが、ヨーロッパではよく用いられた。

木材や木炭、作物の残渣などを燃やすことで熱と光を生み出して暖房、調理、照明などに利用されるが、その効率は悪かった。


 人類は始めは歩くことで、次に馬などの家畜の利用、電気や内燃機関を用いた。機械での移動によって移動の効率を上げてきた。


 始めは銅がのちに鉄が使用されるようになっていく。農具や工具の性能が上がり、建築の質が向上したり、兵器として利用されると戦争の性質が変わるなど多くの影響を与えることとなった。


 産業化前は戦争も人間と動物の筋肉が唯一の原動力となった。例外は火薬と風を動力とした帆のついた船だけであった。

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