ディズニーとチャップリン 大野裕之 光文社新書 要約

ウォストディズ二―にとってチャップリンは神様だった

 ディズニー社の生み出すキャラクターやその映画、テーマパークは世界の娯楽に大きな影響をもっている。ディズニー社の創業者であるディズニーはチャップリンに憧れ、彼のまねをしていた。のちに出会った際のチャップリンからの「自分の作品の著作権を他人の手に渡しちゃダメだ」という一言はのちのディズニー社を決定つけることとなった。

 現代の娯楽で欠かせない世界中で同じ映像を楽しみ、イメージキャラクターの概念を生み、テーマパークを作ったの発明者である2人の出会いと友情、別れの物語である。

チャップリンは幼少期の経験から厳しい中でのユーモアとヒトにインパクトを与えるキャラクターの重要さを学んだ

 チャップリンはイギリスの芸人夫婦の子として生まれ、極貧の幼少期を過ごした。そんななかでも母親を息子たちに向け芸を披露してくれた。極貧の中でのユーモアと愛を持って生き抜いた経験はのちの映画にも大きな影響を与えた。

 当時のイギリスではお酒を飲みながら、寸劇や歌を楽しむミュージックホールが流行していた。ホールでの上演時間は30分以内という規制があったため、ホールに出演していたチャップリンは瞬時に人にインパクトを与えるキャラクターの重要性を見につけていった。
 
 ちょび髭に山高帽、小さいな上着にだぼだぼのズボンにステッキというおなじみのスタイルは後にチャップリンの代名詞となる。チャップリンは初期の映画スターで、歴史上初めて動いている姿が世界中に知られた人物でもある。世界中で単一のイメージを共有する初めての例となった。

 ディズニーはシカゴで生まれ、農園を経営する父のもとで育った。農園の風景はアメリカの原風景でとして、後の作品に大きな影響を与えた。チャップリンの物まね大会に出るほど幼少期からチャップリンにあこがれていた。

チャップリンは自身の映画やキャラクターを著作権で守るという戦略を初めて行った人物

 チャップリンは自身の映画を配給会社に改ざんされた経験から、興業の利益、作家の良心と権利、観客の楽しみを守るために全ての著作権を自分の物にすることの重要性に気づいた。

 そのために独立し、自前の撮影所を作り、全ての工程を自身で行った。当時このような考えの映画人はおらず、チャップリンが初めてであった。今でのチャップリン作品の著作権はその遺族が所有している。

 また、チャップリンのおなじみのスタイルを真ねした相手に裁判を起こし使用を禁じることもあった。キャラクターの権利が認められた初めての例といえる。

 独立により、芸術的自由と権利の保護による経済的自由を成し遂げた初めての人物となる。
世界的な人気を誇ったチャップリンは、若き国家アメリカの夢を体現した存在となる。

ミッキーマウスもチャップリンを手本に生み出された

 初期のアニメーションではチャップリンが頻繁に登場していた。後にチャップリンをモチーフにしたようなアニメキャラクターが多く誕生し、作品にこだわり寡作となったチャップリン映画の穴を埋めるようになった。

 ディズニーは画家やアニメーターとしてもの活躍をあきらめ、プロデューサーに専念するようになった。しかし所属会社に権利を渡してしまったことから苦境に落ちいり、会社を去る選択をした。
 独立後にミッキーマウスを生み出した。ミッキーマウスはチャップリンを手本にして生み出されたもの。

 それまでアニメーションのキャラクターは喋らなかったが、ディズニーは映画の中でミッキーマウスを使い「声のでるアニメーション」を作成する決断し蒸気船ウィリーを完成させた。

ディズニーはチャップリンから著作権とキャラクタービジネスの重要性を学んだ

 チャップリンとディズニーは1932年に初めて出会った。チャップリンはディズニーの才能を認め、作品の著作権を人に渡してはいけないというアドバイスを送った。

 チャップリンは音声映画が一般的になっても、無声映画にこだわった。それは言語に頼らない表現であれば世界中の人々が理解できるという考えがあったため。ディズニーも同様に考えており、ミッキーの表現が言葉に頼らず、世界中の人に受け入れることを目指していた。これによりミッキーマウスはチャップリンの正当な後継者となった。

 ディズニーはその後、白雪姫での長編アニメ―ション、カラー化、テレビへ進出を行った。白雪姫完成時にはチャップリンは自作品を配給したさいの資料を提供し、ディズニーを助けた。

 著作権を自身の物にして置いたことはキャラクタービジネスを行った際に大きな効果を発揮した。グッズの収入は映画の収入を上回るようになった。

第二次世界大戦は二人の関係に破局をもたらした

 ファシズムの台頭は二人にも影響を与えた。チャップリンは黄金強時代発表後、ナチスから攻撃受けるようになった。
 ヒトラーと同じような髭を生やしていることも攻撃の要因となったが、チャップリンはそれを逆手にとり、独裁者を制作し、ファシズムやヒトラーを風刺し独裁者はチャップリン最高のヒット作となったが、その後、共産主義社ではという疑いなどから大衆的な人気は地に落ちてしまった。

 世界の危機のなか、人々は現実から逃避できる夢の世界をディズニーに求め、それに応じるようにファンタジー要素を強めていった。
 一方で、大家族のような会社を目指したディズニーだが、労働者の権利意識の高まりによって
労働組合が組織されるようになった。ディズニーは労働組合を嫌い、潰そうとするがストに合うなど溝は大きくなった。
 弱者の立場に立つチャップリンはディズニーの態度に強く憤り、師弟関係にも破局をもたらした

2人ともアメリカの理想を体現することを目指していた

チャップリンは殺人狂時代で反戦メッセージを打ち出すが、戦後の高揚感のなかでは受け入れられず、ヒットしなかった。その後アメリカを追放されてしまった。それでも、映画制作を続け、アカデミー賞を受賞し、再びアメリカを訪れることができた。
 
 ディズニーも戦時中に戦意高揚映画を作り破産を免れたが、クリエイティブさが失われ、ディズニー自身も映画への関心が小さくなっていった。
 ディズニーの目標は理想的なアメリカの姿を現実世界に生み出すことで、その目標のためにディズニーランドの建設に乗り出した。
 
 チャップリンは自由なアメリカ、ディズニーは農園の原風景と異なった見方ではあったが、アメリカの理想を体現し普及していた

2人のビジネス間の違いは相反する永遠のテーマへの問いかけ

 チャップリンは作品やキャラクターの権利を確立したが、それをビジネスに利用するのではなく作品造りに集中するためだった。遺族もそれを受け継ぎイメージを守ることを大事にし大規模なマーチャンダイズには慎重でライセンスを許可することも少ない。

 ディズニーはキャラクタービジネスを積極的に進め、ピクサー、ルーカスフィルムやマーベルを買収しそのキャラクターを増やし続けている。今ではコンテンツの使用料で大きな利益を上げるようになっている。

 チャップリンとディズニーの違いは原点を失わずに小さいビジネスとするか、創業の志を越えていくのかというビジネス感の違いが見られる。
 放浪と永住、闘争と建設、理想と現実といった永遠のテーマを問いかけているのかもしれない。

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