データサイエンスが解く邪馬台国 安本美典 朝日新聞出版 3分要約

3分要約

邪馬台国はどこにあったのか?

 九州とする説が有力。マスコミは畿内説を優勢としているが根拠は薄いと筆者は考えている。

なぜ九州説が有力化なのか?

 魏志倭人伝に記載のある道鏡の数は九州からの出土が圧倒的に多い。解析すると奈良県に邪馬台国があった可能性は九州の1000分の1ほどの確率になる。

 畿内説の後押しになっている三角縁神獣鏡は日本で作られた可能性が高く、魏志倭人伝に記載のある銅鏡とは違う可能性が高い。

確率に大きな差があるのになぜ、畿内説が唱えられるのか

 日本の考古学では発掘や肉眼観察が重視され、統計学による数値解析や科学的手法が充分に用いられていないため。

統計学ではなにができるか

 数を数えるだけでなく、出来事の頻度を数えることができる。データを数字やグラフ、数式に変換することで法則や規則性を見つけやすくなる。

 科学では観察、計測だけでなく、そこから規則性や法則性を見つけ出すことが大事。ミクロな視点だけでなく幅広い視野を持つ姿勢が重要。

邪馬台国は九州説が有力で畿内説は根拠が小さい

 最近、長年考古学研究に携わってきた研究者が邪馬台国は九州にあったとする見解が相次いで発表されている。

 畿内にあったとされる説に比べ、出土物などの観点から九州説にほうが信ぴょう性が高いと結論づける人が増えているが、マスコミでは根拠の小さい畿内説が優勢とされることも多い。日本の考古学は職人芸的な調査や推論に頼っており、根拠を持った議論や証明をする風潮が少ない。本書では邪馬台国が九州に存在したことを証明していく。

邪馬台国問題も数理文献的立場から解決できる

 筆者は作家の文体を計量し、その特徴を数値化したり作家ごとの類似性を示すなどの研究から始まり、日本語の起源の研究を行ってきた。

 日本語と他の言語との近さの度合いを測ることで起源を明らかにするために、歳月がたっても変化しにくい人体、自然、動植物を示す言葉からなる語彙票を日本語と周辺言語でで作成し、評価を行った。

 評価には確率論、統計学、多変量解析など数値解析を利用し、結果的に周辺言語との距離が明らかになり日本語は特定に言語から派生したものではなく、古極東アジア語に様々な言語が流入し出来上がったものであることを示した。

 邪馬台国問題にも数理文献学的立場から発言できることがあると考え、研究を行ってきた。

考古学では統計学の導入が進んでいない

 統計学はデータから科学的な結論を出す装置として、特権的な役割を担っており、科学的に証明されたこと=適正な統計処理があることで結論にお墨付きが与えられたことになる。

 統計学はモノの数を数えるだけでなく、言語の使用頻度、情報量、ゲームの勝率、確率など出来事の頻度を数えることが増えている。言語世界によって得られたデータを数字やグラフ、数式などに変換(デカラージュ)することで法則や規則性、関係性を見つけやすくなる。

 推論をなるべく数値化し行くのはデータサイエンスの基本。邪馬台国問題も出土物の数と場所を解析すれば解決可能だが、考古学の分野で発言権を持つ人々がこの動向に無関心であるため問題の解決に届ていない。

 解析不足は次節に有利な事実のみを取り上げるチェリーピッキングや発掘、肉眼観察のみに重点をおくことによる偽物やねつ造などの問題の原因ともなる。考古学者の閉鎖的な環境と属人主義もデータに基づく研究を拒んでいる。

道鏡などの出土物から見ると九州説が有力

 魏志倭人伝によれば、倭王に銅鏡100枚を与えているため、邪馬台国がどこにあるかはわからないが、倭国に道鏡がもたらされたのは確かであり、わが国ではそのころとみられる鏡が多数出土している。

 この時期の鏡と見られる鏡の出土数は福岡からの出土が圧倒的に多く、奈良県からの出土はその10分の1以下でしかない。

 他にも魏志倭人伝には鉄の矢じりを用いると示されており、鉄の矢じりも福岡から多く出土し、奈良の100倍ほど出土している。

 邪馬台国が奈良か福岡のどちらかにあったと仮定し、鉄矢じりや鏡の出土量と邪馬台国の存在確率が多いとすると奈良県に邪馬台国があった確率は1000分の1程度になる。その他の出土品についても奈良県で多く出土した例は少なく、邪馬台国が奈良にあったとする説には根拠が薄い。

科学研究では測定値から規則性を見いだすことが重要

 科学的な研究では正確に観測、測定し、記述するだけでなく測定値から法則性、規則性を見いだしていくことが重要である。法則、規則性を見いだすにはミクロな視点だけでなく、マクロの視点、変化の傾向、逆の立場から見るなどの姿勢が重要になる。

 考古学では膨大な観測記録があるが、肉眼観察主義などミクロな視点からの傾向が強く、他の視点からの確認が少ない。

三角縁神獣鏡は日本で作られた鏡である可能性が高い

 古代時代、西普鏡以前の鏡は福岡を中心に、それより後の時代の鏡(画文帯神獣鏡や三角縁神獣鏡)などは奈良県を中心に分布している。また西普鏡は中国からも出土し魏から与えられた鏡と思われ、九州から多く出土している。 一方で三角縁神獣鏡も魏の時代と一致する年号が記載されている場合がありこちらは奈良で多く出土している。

 三角縁神獣鏡は中国では出土しないにもかかわらす、日本では多くの出土が見られる。大きさや装飾の模様などの状態も中国の鏡とは異なっているため三角縁神獣鏡は、お墓に入れるために日本でつくられた鏡である可能性が高い。

 しかし、 三角縁神獣鏡を魏から与えられた鏡だとする学説をマスコミがそのまま信じ、報道したため 三角縁神獣鏡=邪馬台国の鏡=出土の多い奈良に邪馬台国があったという説が広がってしまった。

考古学はデータが豊富でデータサイエンスにとって有望

 天動説は素朴な肉眼観察では一見正しいように見えるが、太陽系全体を見渡せば地動説のほうが理にかなっている。三角縁神獣鏡魏の時代があれば魏の鏡と判断するのは素朴な判断で鏡全体の様子を見ればその判断はぐらつくことになる。

 考古学には思いこみに基づく解釈によって汚染されたところを除けば、記述、観測データが山のように存在しており、データサイエンスにとっての未開の開拓すべき新大陸といえる。

 

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