データ管理は私たちを幸福にするのか? 堀内進之介 3分要約

データ管理で何ができるのか

 測量を行うセンシング技術とそれをもとに行動を変えるトラッキングを組み合わせることで個人の健康や効率化を高めることができる。

 スマホやスマートウォッチの普及で定量的に状態を把握できるようになったことで、個人の課題だけでなく、社会の課題を解決できる可能性が出てきた。

なぜ、データ管理が必要なのか

 私たちは分かっていてもできるとは限らない。健康に良いと分かっていても運動できない、悪いと分かっていても食べ過ぎてしまうなどの例は限りない。

自制が苦手であることは医学的な究明も進んでおり、人類に共通した特徴。そのため外部からの働きかけで軌道修正を行う必要がある。

 そのために自己のデータを取得し、どのように行動を変えるべきかを知ることが必要になる。

セルフトラッキングにはどんなものがああるか

 データ取得→状態の把握→私たちに気づきを与える→自発的な行動を変えるというように、定量化された自己をQSと呼ぶ。

 様々なデータを取得することで、認知力向上、ダイエット、お金、睡眠の質向上などが行われている。

 他者との関係性にも広がったQSは定量化される関係性QRと呼ばれる。

センシングによる行動変容に懸念はあるか?

 下記のような様々な懸念があげられている。

・数値管理が進む=数値が悪いのは自分の責任=自己責任論の助長

・外部の力に依存=能力の退化

・内発的な動機の外発化

・管理社会の進行、プライバシー侵害

懸念に共通するのは自律性や自由の毀損。

どのようにQSと向き合えば良いのか?

 我々の自制心はとても弱く、また何にも依存せずに生きていくことはできない。

 バイアスを減らすことでその人の自由度や幸福度が上がるのであれば、QSを行う価値は十分にある。

 しかし、QSに依存し、全ての行動を決めてもらうようになれば、能力は退化し、自由は無くなってしまう。

 行動を示してもらい、それに従うのではなく、我々の判断を支援するような能動的なQSが必要。能力の代替ではなく、補完を目指すことが何よりも重要になる。

センシング技術とトラッキングは個人的,社会的な問題解決になりうる

本書は様々な事柄を測量するセンシング技術とそれによって新たな洞察と解決策を生み出そうとするトラッキングという実践を論じたものである。

多くの人がイメージするのはヘルスケアのように自分の状態をセンシングし、行動をトラッキングすることで、健康管理や作業の効率化を図る個人、利己的なセルフトラッキングが多い。

しかし、セルフトラッキングは個人の課題だけでなく、社会的な問題の解決策の一つとなる可能性を持っている。

そのためには人間と技術を並列におき、相補的なものとして理解することが必要である。セルフトラッキングの実践を通じて、そこに浮かぶ懸念を集め、腑分けすることでセルフトラッキングの可能性を示していく。

セルフトラッキングで分かっていてもできないを修正できる

コロナ禍での外出自粛を行うことで、自分の健康だけでなく、社会全体のためにもなることを理解していたが、長期の自粛は難しかった。

私たちはみんなのために行動することが苦手。それは何かを「わかる」ことができても「できる」とは限らないため。みんなや社会のためになるとわかっていてもそれを実践に移すのは難しい。

わかっていてもできないのは自制が苦手な私体の本性で、近年医科学的な原因究明が進められている。わかっていてもできないのは最近の問題ではなく、古代ギリシャの時代からアクラシアと呼ばれ、問題視されていた。

悪いと思っていてもやめられない。このように習慣によって,理性による自制心を無くした人をセルフトラッキングで修正できるのか。これが本書の主題となっている。

政策の失敗の多くは意思決定や能力の脆弱性を理解していないから

現代は自己欺瞞という問題も大きい。自己欺瞞自体は昔から存在していたが、正当化する根拠がインターネットには溢れており、見つけやすくなったことでより自己欺瞞を行いやすくなっている。

多くの政策が失敗する理由は人間の意思決定や能力の脆弱性に関して、理解が正確でないことにあるとされ、人間の脆弱性は環境破壊、差別問題、民族紛争などグローバルな問題にも通底している。

そこで行政も私たちの認知や心理に関する科学的な知見を参照し、神経政治学、ニューロリベラリズムと行政的な介入を行うようになっている。

外部から働きかけることでダメさを改善できる可能性がある

私たちの行動や考えに期待するのではなく、外部から働きかけることで軌道修正する例は広く見られる。

軌道修正を行うのは、人間とは限らず、スマホなどに搭載されたトラッキング技術であることも多い。IoT化によってセンシングが容易になったことで、その人の状態にあった提案や修正が可能になった。

 我々のダメさを認め、外部から働きかけることで補完することには大きな価値があることでテクノロジーの発展で十分に補完が可能になり始めている。

自己の状態を定量的に把握し改善しようとする試みはQSと呼ばれる

 スマホやスマートウォッチのセンサを利用したセルフトラッキングで定量的に状態を把握し、わたしたちに気づきを与え、自発的な行動を促すことで「わかっているのにできない」状況を改善する試みは定量化された自己=QSと呼ばれる。

 QSを利用し改善しようとされているものには認知向上やダイエット、お金、睡眠など様々。

QSは世界的なムーブメントとなり、様々な数値をトラッキングすることで数を通じた自己認識を行い、自分を説得したり、自分の知らない傾向について知りより自分のことを知るために利用されている。

QSを他者との関係まで拡張したQRにも注目が集まっている

QSは自己を対象にしたものだけでなく、他者との関係にも利用されている。他者との関係で我々を悩ませるのは、他者だけが知る盲点で、自己認識と他者評価のギャップである。

QSを利用すれば自分の姿(盲点)を知ることができれば、他者との関係性を良くすることができる。

他者との感性を維持、改善する目的でセルフトラッキングは特に定量化される関係性=QRと呼ばれている。

QRは以下の3つの特徴を持つ。

1.データの可視化

2.動機付け

3.監視 

QSやQRの基本的な要素は自分自身をセンシング(測定)し、トラッキング(追跡)し、シェア(共有)すること。

多くのサービスが測定結果を集めデータ集めることで、傾向を掴んでいる。そのためユーザーは個々の測定結果を解釈する必要がなくなり、サービスが解釈を行うようになっている。

センシングによる行動変容には懸念もある

自分自身を外部の力を借りて管理すること自体はこれまでにも行われている(目覚まし時計等)が、自分の能力を失うのでは、超管理社会を招くのでは、自己責任論を助長するのではなどの懸念もある。

ソクラテスが文字の利用が思考、記憶、認知能力を低下させると危惧していたが、外部の力を借りることは時に我々の能力を低下させ、自由や自律性を失わせる可能性を危惧する人も少なくない。

 測定できるものが全て数値化、管理されるようになれば中国での行われているように信用度でユーザーを格付けしたり、信用度を数値してしまうなどの管理社会への不安や内発的な動機が道具的な動機へ変化してしまうことへのが不安ある。

 また全てを数値化して管理できれば病気や肥満などは全て改善できると考えることで新自由主義化によって自己責任論が強くなることや全てのことが数値化され商業的に利用されることでのプライバシーの侵害の懸念も起きている。

懸念の多くは自分の意志が失われるのではというもの

 QSへの懸念は様々だが、自立性や自由が毀損されることが大きな問題。自分自身の行動が妨害されず、自分の意志で行為を選択できる状態がトラッキングで失われることを危惧する声は大きい。

 一方で、我々は自立を依存しないことと捉えがちだが、実際に何にも依存せずに生きていくことは出来ない。自立は外部との関係で高められ、依存先を増やすことこそが自立であり、QSも外部との関係を築き上げるためのものと見ることもできる。

 我々には自制心が十分に備わっておらず、バイアス(信念体系の歪み)を持ったりと判断や行動に不備があることも多い。

 これらによる不備を防ぐためには、認知的パターナリズムが用いられる。認知的パターナリズムは事前に情報を制限し、バイアスの発生を低減させるもの。

 認知的パターナリズムは自由を制限しているようにも見えるが、バイアスや欲望や感情に翻弄されている時の決断は本当のしたいことではなく、自分を見失った状態で決断しており、バイアスを減らすことでその人の本当にしたいことへと導くことができる。

 金銭感覚が緩いため、経済的に困窮する人にクレジットカードの情報を遮断することなどは友人の自由を奪っているようにも見えるが、友人のとっては結果的に自由を促進することとなる。

能動的ではなく受動的にQSを利用すれば懸念点を克服できる

 セルフトラッキング技術の浸透とQSの広がりは必ずしも自己責任化や市場化、能力の後退をひき起こすものではなく、技術を通じて自律しようとするもの。

 ナビゲーション機能のように効率的なルートを示し我々がその指示に従うだけの受動的なものと、ウェイファインディングと呼ばれる我々に適切な判断を支援するような能動的なものがある。

 GPSを用いたナビゲーションよりも、位置情報だけでなく周囲の情報を提供したファインディングの利用の方が移動の正確性、空間認識能力を向上させたというデータもある。

 セルフトラッキングやQSもやり方次第で能力を退化させるどころか向上させる可能性を秘めている。

能力を代替するのはなく,補完するようなQSが重要

 ナビゲーション機能のように正解を示したり、小さな行動変異を知らないうちに起こすナッジなどは、理性を迂回してしまい学習機会を奪ってしまうため、能力の増強は一時的なものにとどまってしまう。

 また長期的な能力増強が可能であっても、能力の増強だけでは問題の解決に至らないことも多い。

 ウェイファインディングでは我々に技術との積極的な関係をもたらす。ナビゲーションは認知能力を高め能力を代替するが、ウェイファインディングはメタ認知能力を高めるため能力の補完を可能にする。

技術で全て解決するわけではないが,敵視すべきでもない

 わかっているのに出来ないことは我々の大きな問題。QSやQRなどのセルフトラッキングが自分自身や社会全体の利益となる可能性もある。

 新しい技術との付き合い方で重要なことは高くも低くも飛ばないこと。技術を人間の能力の代替としてではなく補完とすることが重要。

 技術で何もかもが解決するわけではないが、だからといって放棄したり敵視すべきでもない。

 慎重で開放的なスタンスを保つことで社会とのもっと良い関係を築くことができるはずである。

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