フォン・ノイマンの哲学 高橋昌一郎 講談社現代新書 要約

ファンノイマンは20世紀を代表する天才の中でもひときわ光彩をはなっている


 20世紀を代表する天才の中でもひときわ光彩を放つジョン・ファン・ノイマン。53年という短い人生の中で、倫理学、数学、物理学、化学、計算機科学、情報工学生物学、気象学、心理学、経済学、社会学、政治学に関する150編の論文を発表した。

 人間の振りをした悪魔とも呼ばれたノイマンがどのような価値を重視し、道徳基準に従っていたかなどは明らかではない。

 本書ではノイマンの生涯と思想からその哲学がどのようなものかに迫っている。

幼少期から非凡な才能を示した。ハーバーの毒ガスのような殺傷性の高い兵器が戦争を早く終わらせられるという考えに影響を受けた

 ハンガリー帝国ブタペストに1903年に誕生した。当時のハンガリーはつかの間の平和と小麦の生産による経済成長を実現していた。ノイマンもその恩恵で豊かな少年時代を過ごすことができた。
 
 小さいうちから数学の能力に優れ、読んだ本や記事を一字一句たがわずに引用するなど非凡な能力を発揮していた。

 ギンナジウムと呼ばれる10歳から17歳までの学校に通うようになる。入学当初から数学教師もその能力に気づき、17歳の最上位クラスにいれたが、それでもノイマンには簡単すぎた。
 
 父マックスもノイマンの数学の才能に気づいていたが、数学では金を稼げないと考え、当時化学肥料の誕生でブームでもあった化学での大学進学を勧め、ベルリン大学応用化学科に合格した。
 また、試しに数学での受験も受けたところ、大学を飛び越し、大学院に合格し、17歳のころに集合論に関する論文を著し、高い評価を受けた。

 当時のベルリン大学応用化学科で代表的な科学者はハーバー・ボッシュ法でのアンモニア合成で知られるハーバーであった。

 ハーバーは毒ガスの開発でもしられていた。当時、物理学科にはアインシュタインもおり、ハーバーを天才と認めながら、大量殺りく兵器のために才能を浪費していると指摘されたが、ハーバー毒ガスで戦争を早く終わらせれば、結果的により多くの人命を救うと反論していた。

 ハーバーとノイマンの具体的な交流の証拠はないものの、後にアインシュタインとノイマンは原爆開発で同じ議論をしており、ハーバーの思想に影響を受けている可能性がある。

初期は数学者として台頭した

 集合論の論文でノイマンの名声は数学界に響き渡り、数学界の大御所ヒルベルトに弟子入りした。彼は数学全般の厳密な公理化を目指しており、ノイマンもその実現を目指した。しかし、ゲーテルの不完全性定理によって不可能だと証明された。
 これまで一度も人に先を越されたことのなかったノイマンは大きなショックを受け、数学基礎論の第一人者をゲーテルに譲り、同分野で二度と論文を発表しなかった。

 量子力学、数理経済学でも既存概念にとらわれず、新たな視点から数理モデルを定式化し、長年の未解決問題を解決していった。

プリンストン高等研究所への移籍し研究を行った

 大富豪であったバンバーガーは学生を指導する必要なく、自由に研究を行うことのできるプリンストン高等研究所を設立した。ノイマンのほかにアインシュタインも在籍していた。このころアメリカの市民権を申請し、運転免許も取得したが事故や違反が非常に多かった。

 市民権を取得すると第2次世界大戦を予期し、陸軍の士官試験を受けているが試験が半年伸びたせいで、年齢制限に引っかかってしまった。試験予定通り行われていればその後のノイマンの研究が行われなかったかもしれない。

 ノイマンはナチスドイツの台頭は自由主義陣営の宥和政策が原因と考えており、後の冷戦時も宥和政策に反対している。

第2次世界大戦

 ノイマンは陸軍、ホワイトハウス、戦争省3つの機関の重要関係者となった。そのなかでも専門研究は続け、未来のコンピュータやロボットブラックホールの研究を行っていた。

 その後は海軍に常勤となり、ドイツの機雷への対処法を生み出し、成果を上げた。

根底に科学優先、非人道、虚無主義の思想をもっていたが、人当たりが良かったため、人間のふりをした悪魔とも呼ばれる

 ボーアらによって核分裂が発見されると、ドイツは核分裂を利用した兵器原子爆弾の製造を開始する。核分裂に成功したという情報がイギリスから持ちこまれると、アメリカも本格的に開発に着手する。

 ロスアラモス国立研究所を設立し、初代所長となったオッペンハイマーは各地からトップクラスの数学者と物理学者を集めた。ノイマンも顧問として参加し、爆縮型の原爆の設計を行った。
 科学者らは自分たちが大量破壊兵器を生み出すことに葛藤もあったが、ノイマンは生きている社会に責任を持つ必要がないと指摘することもあった。

 ノイマンは科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきという「科学優先主義」、目的のためであれば、非人道的な兵器も許されるという「非人道主義」、世界はに普遍的な責任や道徳は存在しないとする「虚無主義」等が思想の根底にあった。
 表面的には人当たりも良いが、このような思想から人間の振りをした悪魔とも呼ばれる。

 冷戦時も一刻も早くソ連を攻撃すべきと主張していた。ソ連のスパイが原爆の情報を盗んでいたことがわかると、核融合エネルギーを利用した水素爆弾の開発をトルーマン大統領が命令した。
 水爆についてはオッペンハイマー、アインシュタインらが反対したが、ノイマンは開発に賛成していた。

 その後設立した核兵器委員会の委員長や原子力委員にも就任したが、1957年、核実験に立ち会った際の放射能が原因とみられるがんで死亡した。
 入院中も別途で国防長官、陸、海、空軍長官、参謀長官に囲まれており、国家にとっていかに重要な存在であったがわかる。

コンピュータの論理構造を

 ノイマンはコンピュータの論理構造を考え、ハードウェアとソフトウェアの分離を考え付いた。同じハードを用いてソフトを変換し多目的に利用することを定式化したのはノイマンが初めてだった。

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