本の概略
イギリスは大英帝国として世界の海を支配してきた。
しかし、その方法は教科書的なやり方ではなく、海賊行為を通じて国を豊かにすることで築き上げてきた。海賊たちを利用しどのように大英帝国ができあがったかを見ていく。
大英帝国は産業革命を起こす元手の一部を海賊マネーから得ていた。エリザベス女王が国民に海賊を英雄視させ、出資することで海賊行為を正当化し、見返りを受けていた。
海賊行為で大国スペインを破り、東インド会社の設立で世界の貿易市場を独占するようになった。
海賊ドレークは60万ポンド、当時の国家予算3年分をイギリスにもたらしている。スペインに勝つためにナショナリズムを高揚させるべくドレークは英雄に仕立て上げられた。
海賊は他国の船の略奪や戦闘行為だけでなく、
- 東洋からスパイスを持ち帰り、独占的に貿易を進めた。
- コーヒーや紅茶の貿易を主導し、その消費量を増やす仕掛け人とてしも働いた。
- 黒人奴隷貿易をはじめ長年にわたり主導してきた。
などを行っており文化的、歴史的にも果たした枠割が非常に大きかった。
本で学べること
- イギリスが大英帝国として世界の覇権をなぜとれたのか
- 海賊が果たした役割とその影響
まえがき
国家が豊かになり、繁栄するには産業の振興、外国資本を呼び込む、資源エネルギーを開発する、領土を拡大するなど様々な方法がある。
このような教科書的なやり方と異なり、イギリスは海賊行為という手法で豊かさを追求し、大英帝国を築き上げた。
産業革命によって大英帝国が確立されたが、その元手の一部は”海賊マネー”で成り立っていた。
イギリスでは海賊を英雄視することで海賊行為を合法化、正当化していた。
エリザベス女王の時代、スペインを破り、東インド会社を設立し世界の貿易市場を動かすなど海洋国家として成長していく。
その先兵として深くかかわっているのが海賊。エリザベス女王は彼らの黒幕、投資家として関わっていた。海賊を知ることがイギリスの真髄をしることとなる。
第一章 英雄としての海賊
16世紀はスペインやポルトガルが強大な経済力をもち、イギリスは羊毛や毛織物を輸出する程度で豊かな国家ではなかった。
人口もイギリス400万に対しスペインは1000万、フランスは1600万と戦争になれば勝ち目がなかった。カトリック勢力の政治的な脅威もあり、イギリスは何としても富国強兵を行う必要があった。
そのために遠洋航海で他国の帆船を襲撃し、商品の強奪を行う海賊行為に国家を上げて取り組んでいた。
英雄的な海賊であるドレークは60万ポンド、当時の国家予算3年分をイギリスにもたらしている。
女王は単独で海賊船団を編成せず、民間主導でシンジケートを結成させ出資していた。
もし、海賊シンジケートが失敗しても女王の関与が疑われない仕組みが作られていた。スペインなどと表面的には友好関係を装っていた。
当初海賊は他国の船から荷物を奪うことで、女王の集金マシーンとして働いたが、スペインとの戦争では戦闘員としても働くようになっていく。
第二章 海洋覇権のゆくえ
スペインの無敵艦隊への勝利はエリザベス女王の時代を代表する戦争で、この戦争を機にスペインは没落し始めていく。
大国スペインを相手にイギリスがとった作戦は
- ゲリラ
- スパイ
- 海賊作戦
の3つ。そのすべてに海賊が関わっていた。
ドレークはナショナリズムを高揚させるために、国家に英雄に仕立て上げられていた。
エリザベス女王が海賊を利用し勢力を増やしていたのは、カトリック勢力に囲まれた状態であったことも理由の一つ。スコットランドのメアリーもカトリック勢力と近く、暗殺の可能性を常に気にする必要があった。
海賊作戦ではスペインの保有する大型帆船を略奪し、イギリスのものとし戦力増加とスペインの弱体化を同時に行った。さらには海賊と海軍の連合軍も編成された。
スペインとの戦争に勝利し、貿易立国として発展のめどが立つと海賊は徐々に犯罪者のレッテルを貼られるようになっていくが、産業革命へとつながった国家発展の有力の手段であったのは間違いない。
第三章 スパイス争奪戦
海外貿易にはあまり積極的でなかったエリザベス女王だが、東インド会社の設立と貿易独占については許可を与えた。これらに関わっていたのも冒険商人とよばれる海賊で、海賊行為と貿易による商売の両方を行っていた。
東インド会社は東インド(インド洋と太平洋にまたがるアジア諸国)からスパイスを持ち帰ったり、他国の船から物資を強奪することでイギリスに富をもたらした。
現代ではスパイスは食生活に不可欠だが、当時は富裕層のみが手に入れられる貴重品であった。
スパイスは味付けだけでなく、薬として内臓疾患、解熱、下痢止め、精神安定剤などにも利用されていた。
東インド会社のスパイス貿易は18世紀末に大量のスパイスがヨーロッパに持ち込まれ、価格が下落するまで続いた。東インド会社自体はその間も取引するものを変え、270年もの長期にわたって存在し続けた。
東インド会社の強引な独占貿易が植民地やその他の地域で政治的な軋轢を生み、アメリカ独立戦争、アヘン戦争などを招いたため最終的には解散することとなった。
第四章 コーヒーから紅茶へ
東インド会社は17世紀初頭になるとコーヒー貿易に参入した。
コーヒーはスパイスほどの利幅はなかったものの、覚醒、鎮痛作用などで流行し、後に商談の際にコーヒーを飲みながら商談する習慣が生まれる。
コーヒーを飲みながら情報交換と商談を行うコーヒーハウスの文化で17世紀にできると貿易に関する情報が集まるようになる。東インド会社がコーヒーの消費量を増加させるためにコーヒーハウスの仕掛け人であった可能性も有る。
その後、他国の貿易の活発化や安価なジャワコーヒーが台頭すると茶貿易にシフトし始める。
貴族の間でその高級感から緑茶、紅茶がブームとなり、今に残るブランド(トワイニングやリプトン)が誕生している。
スパイス、コーヒー、茶の貿易は海賊とその末裔が主導しており、社会文化に与えた影響は非常に大きかった。
第五章 強奪される奴隷
海賊による貿易には黒人奴隷の密輸、人身売買もあった。これらの密輸にもエリザベス女王は積極的にかかわっていた。
そもそも大量の黒人奴隷が必要となったのは、ヨーロッパでの砂糖の消費、輸入量が増大したため。砂糖キビは熱帯地方でなければ栽培が困難であったため、それらの地方では常に人手が不足していた。
当初、奴隷貿易はスペインとポルトガルが行っていたが、イギリスは海賊ホーキンズが貿易奴隷をスタートさせる。
ホーキンズはイギリスからアフリカへ銃や織物を持ち込み、黒人奴隷を乗せカリブ海に向かう。カリブ海では奴隷を密輸し、砂糖やたばこをヨーロッパに持ち帰る。この三角貿易でイギリスに大きな利益をもたらした。
イギリスは大国スペインに対抗するため海賊を徹底的に利用した国造りを国家目標とし、発展していった。
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