TSMCの米国での先端工場建設の苦戦 アメリカに工場を建設する理由と問題点は何か?

この記事で分かること

  • アメリカに工場を建設する理由:台湾有事などの地政学的リスクを分散し、米国のCHIPS法による巨額の補助金を得て製造コストを相殺しつつ、主要な米国顧客の要請に応えるためです。
  • 問題点:高騰する製造コストと台湾比での低収益性に加え、建設・稼働の遅延、そして台湾と米国の労働文化の衝突による人材確保の難しさが大きな問題点です。
  • 今後の展望:TSMCは課題を認識しつつ、技術者育成やサプライヤーの現地化といった対策を講じ、米国政府の後押しを得ながら、アリゾナ工場を地政学的リスクを軽減するための重要な戦略拠点として完成させる方向に動いています。

TSMCの米国での先端工場建設の苦戦

 TSMCの米国での先端工場建設(アリゾナ州フェニックス)は、地政学的な戦略的意義が大きい一方で、稼働の遅延やコスト高など、いくつかの大きな試練に直面していると報じられています。

 現在、TSMCはこれらの課題に対応しつつ、第3工場の建設や最先端ノード(2nmやA16プロセス)の導入計画を前倒しする動きも見せており、米国での展開を加速させています。

なぜアメリカに工場を建設しているのか

 TSMCが米国(アリゾナ州フェニックス)に先端工場を建設している主な理由は、地政学的リスクの分散米国政府の強力な支援、そして主要顧客からの要請という、複数の戦略的な要因が絡み合っているためです。


1. 地政学的リスクの分散(台湾有事への備え)

 台湾と中国の間の地政学的緊張が高まる中、TSMCの製造能力のほとんどが台湾に集中していることは、世界の半導体サプライチェーンにとって大きなリスクと見なされています。

  • 「シリコン・シールド」の再構築: TSMCが海外に拠点を設けることで、台湾一極集中のリスクを分散し、顧客や各国政府の懸念に対応する狙いがあります。
  • サプライチェーンの強靭化: 台湾海峡での有事の際にも、米国や他の地域で最先端チップの供給を維持できるようにするための保険としての役割があります。

2. 米国政府による強力な後押しと補助金

 米国は、半導体の製造シェアが低下している現状を変え、技術的リーダーシップを確保するため、国家戦略としてTSMCを誘致しています。

  • CHIPS法(CHIPS and Science Act): 米国国内での半導体製造を促進するため、総額527億ドル規模の補助金や税額控除を提供する法律が成立しました。TSMCはこの法律に基づき、巨額の補助金を受け取ることで、高騰する米国での製造コストを相殺しています。
  • 経済安全保障の確保: パンデミック時の半導体不足や、中国との技術覇権競争を受け、半導体の国内自給率向上は米国の国家安全保障上、最重要課題となっています。

3. 主要な顧客の要求と市場での地位強化

 TSMCの最大顧客であるApple、NVIDIA、AMDなどの巨大IT企業は、そのほとんどが米国企業です。

  • 顧客からの要請: これらの大口顧客は、セキュリティや物流の観点から、最先端チップの一部を米国内で生産してもらうことを強く要望しています。
  • 市場での優位性: 米国市場での確固たる地位を築き、競合他社(IntelやSamsungなど)に対する優位性を維持するためにも、米国政府と主要顧客の要求に応えることはTSMCにとって不可欠な戦略です。


ビジネス的な課題

 TSMC創業者のモリス・チャン氏がかつて「(米国での生産は)高くつく無駄な運動」と述べていたように、米国での工場建設は、台湾国内に比べて製造コストが高く、人材確保や文化的な衝突など、多くのビジネス的な課題(試練)を伴います。

 しかし、前述の通り、これらのコストやリスクを上回る地政学的・戦略的なメリット米国政府の経済的支援があるため、TSMCは米国への大規模投資を進めています。

TSMCが米国に工場を建設しているのは、台湾有事などの地政学的リスクを分散し、米国のCHIPS法による巨額の補助金を得て製造コストを相殺しつつ、主要な米国顧客の要請に応えるためです。

アメリカの新工場の問題点は何か

 TSMCの米国アリゾナ州の新工場(フェニックス)が直面している最大の問題点は、主に以下の4つに集約されます。

1. 建設・稼働の遅延とコスト高

 当初の計画から、工場の量産開始時期が大幅に遅延しています。

  • 遅延の主な理由: 新型コロナウイルス感染症の影響に加え、米国での熟練した建設労働者や半導体技術者の不足、建設許可やサプライチェーンの問題が重なりました。
  • 高騰する製造コスト: 米国での人件費、建設費、サプライチェーンコストが台湾に比べて非常に高いため、完成後のチップ製造コストは、台湾工場での同等品に比べ5%〜20%高くなると予測されています。このコスト差は、TSMCの全社的な利益率を圧迫する要因となります。

2. 人材確保と文化の衝突

 高度な半導体製造に必要な専門人材の確保と、台湾との労働文化の違いが大きな障壁となっています。

  • 労働文化の摩擦: 台湾式の長時間労働や緊急時の迅速な対応といった厳しい労働文化が、米国の労働環境や価値観(ワークライフバランス)と衝突し、米国人従業員の離職につながる事例が報じられています。
  • 熟練技術者の不足: 米国は設計(ファブレス)は得意ですが、最先端の製造プロセス(ファウンドリ)の経験を持つ人材が不足しています。このためTSMCは、米国人技術者を台湾へ送り込んで研修を行うなどの対応を迫られています。

3. インフラと環境の課題

 工場が立地するアリゾナ州フェニックス特有の環境問題も課題です。

  • 水・電力の確保: 半導体製造には大量の水と電力が必要ですが、砂漠地帯であるアリゾナでのこれらの資源の安定的な確保は、長期的な懸念材料となっています。

4. 政治的な不確実性

米国政府の政策や政権交代によって、計画全体が影響を受けるリスクがあります。

  • 関税・補助金の変動: 「CHIPS法」による巨額の補助金がプロジェクトを支えていますが、将来的な政権交代によって、補助金政策の変更や、海外生産のチップへの関税導入などが起こる可能性があり、TSMCは計画の中止すら示唆して抗議文を提出したと報じられています。

TSMCの米国新工場は、高騰する製造コスト台湾比での低収益性に加え、建設・稼働の遅延、そして台湾と米国の労働文化の衝突による人材確保の難しさが大きな問題点です。

サプライチェーンコストが高い理由は何か

 TSMCのアメリカ新工場(アリゾナ)におけるサプライチェーンコストが台湾に比べて高い主な理由は、成熟したエコシステムの欠如輸送コスト、そして規模の経済性の未達成の3点に集約されます。

1. サプライチェーン・エコシステムの未成熟

 台湾は長年にわたり、TSMCを中心とした緻密で効率的な半導体産業の集積地を形成してきました。一方、米国ではそのエコシステムが衰退しているため、材料やサービスを現地で調達することが困難です。

  • 化学薬品・材料の現地調達の困難: 半導体製造に必要な高純度な特殊化学薬品やガス、精密部品などを現地で安定的に供給するサプライヤーが少ないか、存在しない場合があります。例えば、特定の化学薬品のサプライヤーが米国市場での生産量が少ないために規模の経済を達成できず、コストが高止まりしています。
  • 輸送・物流コストの増大: 上記の材料や部品を台湾や日本、その他の国から輸入する必要が生じ、輸送費や関税が大幅に上乗せされます。特に化学薬品などの輸送コストは、材料自体のコストを上回ることもあります。

2. 規模の経済性の未達成

 米国工場はまだ立ち上げ段階であり、現時点では台湾の巨大な生産拠点に比べて生産規模が小さいため、サプライヤー側も効率的な生産体制を構築できていません。

  • サプライヤーの投資の遅れ: サプライヤー企業が米国に生産拠点を新設したり、既存拠点を拡張したりする際の初期投資運営コストが高く、それがTSMCへの納入価格に転嫁されています。TSMCの米国工場が十分に稼働し、需要が確実になるまでは、サプライヤーの現地進出も限定的になりがちです。

3. その他コスト要因

 サプライチェーン以外にも、間接的なコストが製造費用全体を押し上げています。

  • 人件費の高騰: 米国の熟練労働者に対する賃金水準は台湾より大幅に高く、これが建設コストや運営コストを押し上げる主要因となっています。
  • インフラ整備のコスト: 新規工場建設に伴うインフラ(水、電力)の整備コストや、砂漠地帯特有の環境対策コストも高額になります。

台湾のような成熟した半導体エコシステムが米国には無いため、高純度な特殊材料や部品の現地調達が難しく輸送費や人件費の高騰も重なり、コストが高くなります。

今後の見通しはどうか

 TSMCの米国工場に関する今後の見通しは、短期的には課題克服のフェーズが続きますが、長期的には地政学的な戦略拠点として位置づけられ、生産能力が拡大していく見込みです。

1. 短期的な見通し(2025年~2027年頃)

  • 量産開始と遅延の解消:
    • 第1工場(4nmプロセス): 2024年第4四半期から2025年前半にかけての量産開始を目指しています。当初予定から遅れていますが、技術的な課題解決と人材育成に注力することで、稼働にこぎつける見通しです。
    • 第2工場(3nm/2nmプロセス): 当初計画より遅れていましたが、顧客の需要や米国の政策に対応するため、2027年に量産を開始する方向で建設が加速される可能性があります。
  • コスト問題への対応:
    • 米国補助金の活用: 米国政府からの巨額のCHIPS法補助金(最大66億ドル)と融資を活用し、高い建設・運営コストを相殺します。
    • サプライヤーの現地進出: TSMCの要請に基づき、日本の特殊化学品メーカーなど、主要なサプライヤーがアリゾナ周辺に拠点を設け始めており、徐々にサプライチェーン・エコシステムが形成される見込みです。

2. 長期的な見通し(2028年以降)

  • 最先端技術の導入と生産拡大:
    • 第3工場の建設: 第1・第2工場に加えて第3工場の建設計画も発表されており、2nmやさらに微細なA16プロセスといった最先端の技術を導入し、2028年以降の量産を目指します。
    • 先進パッケージング(後工程)施設の建設: AIチップに不可欠な先進パッケージング(CoWoS、CoPoSなど)の工場も建設する予定であり、これにより米国内で最先端チップの製造・後工程までを完結させるサプライチェーンの構築が目指されます。
  • 戦略的地位の確立:
    • アリゾナ工場群は、台湾国外で唯一、Apple、NVIDIA、AMDなどの主要な米国顧客向けに高性能チップを量産する戦略的な拠点として機能することが期待されています。
  • 政治リスクの懸念:
    • ただし、トランプ前大統領の再選など、米国の政権交代が補助金政策や関税政策に影響を与え、プロジェクトの進行を再度不安定にさせる可能性は、依然として長期的な懸念材料として残ります。

TSMCは課題を認識しつつ、技術者育成(台湾での研修)やサプライヤーの現地化といった対策を講じ、米国政府の後押しを得ながら、アリゾナ工場を地政学的リスクを軽減するための重要な戦略拠点として完成させる方向に動いています。

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