この記事で分かること
- スペースXの月着陸船Starship HLSの特徴:超巨大で再利用可能な月着陸船であり、宇宙飛行士と大量の物資を月面(主に南極)へ運び、居住スペースも提供する点が特徴です。
- 開発が遅れている理由:極低温燃料を軌道上で移送する前例のない技術が最大の難関です。また、ベースとなるStarshipの試験が初期段階で基礎的な技術成熟に時間を要していることも原因です。
- 極低温燃料の軌道上での移送が難しい理由:極低温燃料の蒸発(ボイルオフ)を防ぐ断熱・冷却技術と、微小重力下で液体を確実にポンプへ集める液面制御技術の確立が困難な点です。
スペースXの月着陸船の開発遅れ
スペースXがNASAのアルテミス計画(Artemis Program)向けに開発している月着陸船「Starship HLS(Human Landing System)」の開発が遅延しています。
アルテミス3ミッションによる人類の月面帰還は、当初の目標年から大幅に遅れ、2027年以降、場合によっては2030年頃になる可能性が専門家や関係者から指摘されています。
Starship HLSの特徴は何か
スペースXの「Starship HLS(Human Landing System)」は、NASAのアルテミス計画のために特別に設計された月着陸船で、従来の月着陸船とは一線を画すいくつかの際立った特徴があります。主な特徴は以下の通りです。
1. 巨大なサイズと収容能力
- 大きさ: 高さ約50メートル(約15階建てのビルに匹敵)する巨大な機体です。
- 機能: 乗員を月周回軌道から月面へ運び、月面での居住空間(ハビタット)としても機能するよう設計されています。
2. 軌道上での燃料補給(極低温推進剤移送)
- 必須のプロセス: 月への往復ミッションを達成するため、地球低軌道で複数回のStarshipタンカーによる極低温燃料(液体酸素と液体メタン)の移送と補給が不可欠となります。
- 前例のない規模: 宇宙での極低温燃料移送は、これまで人類が試みたことのない大規模で複雑な技術的課題です。
3. 特殊な着陸システム
- レゴリス対策: 月面に着陸する際、Starshipのメインエンジンの噴射で月の砂(レゴリス)を巻き上げないよう、機体中央部に設置された高推力着陸エンジンを使用する計画です。(ただし、設計変更の可能性もあります。)
4. 多様なミッション対応能力
- アルテミス計画への貢献: NASAのアルテミス3およびアルテミス4ミッションで、宇宙飛行士を月面(特に月南極地域)に着陸させ、帰還させるための唯一の着陸船として機能します。
- ゲートウェイとのドッキング: 月周回軌道上の宇宙ステーション「ゲートウェイ」とのドッキング能力も求められています。
Starship HLSは、再利用可能な巨大ロケットシステムであるStarshipをベースとしているため、将来的な火星探査など、さらなる深宇宙ミッションへの応用も視野に入れた設計となっています。

超巨大で再利用可能な月着陸船であり、月周回軌道上で複数回の燃料補給(極低温推進剤移送)を必須とし、宇宙飛行士と大量の物資を月面(主に南極)へ運び、居住スペースも提供する点が特徴です。
開発が遅延している理由は何か
Starship HLSの開発が遅延している主な理由は、その技術的な野心と複雑さにあります。特に、前例のない二つの大きな技術的課題の克服に時間がかかっています。
1. 軌道上での極低温燃料移送(Cryogenic Propellant Transfer)
- 最大の技術的ボトルネック: Starship HLSを月へ送るためには、地球低軌道で、複数のタンカーStarshipからHLSへ大量の極低温燃料(液体酸素・液体メタン)を移送し、燃料を満たす必要があります。
- 未実証の技術: 宇宙空間でのこの大規模な燃料移送は、まだ一度も成功裏に実証されていません。超低温の燃料が宇宙で蒸発する「ボイルオフ」への対策や、効率的な移送技術の確立に苦戦しています。
2. Starship自体の開発と信頼性の向上
- 基礎システムの成熟: HLSの基盤となるStarshipシステム自体が、まだ開発の初期段階にあり、軌道飛行試験での機体損失や技術的な問題(エンジンの信頼性、飛行中の安定性など)を経験しています。
- 継続的な設計変更: これらの試験結果やHLS特有の要求を満たすため、Starshipのエンジン(Raptor 3など)や機体構造(Starship Version 3など)の改良・開発が継続的に行われており、それがスケジュール全体を押し下げています。
その他の要因
- 訴訟による遅延: 契約獲得当初、競合他社による抗議(GAOへの提訴や訴訟)があり、その対応により約7ヶ月間、作業が停止した時期がありました。
- 不合理な初期スケジュール: 当初NASAが設定したアルテミス3の目標時期(当初2024年)が、専門家から「非現実的」と見なされるほど非常に厳しいものであったことも、現在の遅延が目立つ一因です。

極低温燃料を軌道上で移送する前例のない技術が最大の難関です。また、ベースとなるStarshipの試験が初期段階で基礎的な技術成熟に時間を要していることも主因です。
軌道上での極低温燃料移送、補給が必要な理由は何か
Starship HLSに軌道上での極低温燃料移送と補給が必要な理由は、その巨大な質量とミッションのエネルギー要件を満たすためです。
1. 巨大な機体質量(乾質量)
Starship HLSは、アポロ計画の月着陸船(LEM)とは比較にならないほど巨大で多機能(大規模な居住空間、昇降機など)であり、その機体自体の質量(乾質量)が非常に大きいです。
2. 燃料搭載量の限界
Starshipは、地球の重力から脱出し、地球低軌道(LEO)に到達するだけでも、燃料の大部分を消費します。地球の重力圏を完全に離脱し、月軌道に入り、月面に降り、そして再び月軌道に戻るために必要な大量の推進剤を、単独の打ち上げで搭載することはできません。
3. Starshipのミッション設計
NASAのSLSロケットのように、単独で月軌道まで到達できるロケットとは異なり、SpaceXのStarshipアーキテクチャでは、地球低軌道(LEO)を「宇宙の給油所」として利用することが前提となっています。
- LEOでの給油: 地球低軌道に到達した後、複数の無人Starshipタンカーが燃料を運び、HLSに補給します。
- 深宇宙への扉: この給油によって、HLSは初めて満タンの状態で地球軌道を離脱し、月へ向かう(月遷移軌道に投入する)のに十分なエネルギーを得ることができます。
HLSはあまりに巨大で重いため、満腹のまま地球から飛び立つことができず、宇宙に出てから「燃料のデリバリー」を受け取る必要があるのです。

Starship HLSは巨大で重いため、単独の打ち上げでは地球の重力を振り切り月へ向かう十分な燃料を搭載できません。LEOで給油し、満タンにしてから月へ出発するためです。
宇宙空間での燃料移送が難しい理由は何か
宇宙空間での極低温燃料移送が難しいのは、極低温と微小重力という二つの過酷な環境が複合することで、地上では起こりえない複雑な現象が発生するためです。
1. 燃料の蒸発(ボイルオフ)
- 極低温での保管の困難さ: Starshipの推進剤である液体メタンや液体酸素は、それぞれ極めて低い温度(メタンは約 -162℃、酸素は約 -183℃)でしか液体を保てません。
- 熱漏れ: 宇宙空間は非常に低温ですが、太陽光が当たる面は極端に高温になります。断熱材があっても、この熱がタンク内にわずかに漏れると、極低温の液体が気化し、ガス化(ボイルオフ)してしまいます。
- 大量の損失: 燃料を長期間軌道上に保管したり、多数回にわたる移送を行う場合、このボイルオフによる燃料の損失が無視できない量になります。これを防ぐための高度な断熱・冷却技術の確立が不可欠です。
2. 微小重力下での液体の挙動(液面制御)
- 浮遊する液体: 地上とは異なり、微小重力下では液体がタンクの壁に張り付いたり、タンク内で泡や液体の塊となって浮遊したりします。
- ポンプへの供給の課題: 燃料をエンジンや移送用のポンプへ送るには、液体をタンクの出口付近に確実に集める必要があります。微小重力下でこの液体の位置を制御(液面制御)する技術(例えば、タンクをわずかに加速させて遠心力を発生させる「プロペラント・セトリング」など)が必要です。
- 質量計測の困難さ: 液体がタンク内で定位置にないため、正確な残量(質量)を計測することが非常に困難になります。
3. 移送システムの設計と材質の課題
- 熱収縮と脆化: 極低温の液体が通過するバルブや配管、ポンプなどの部品は、極端な温度変化(常温から極低温へ)により収縮し、通常の材料は脆くなります。
- リーク(漏れ)対策: 部品が収縮することでわずかな隙間が生じ、可燃性のあるメタンや酸素が漏れる可能性があります。極低温に耐え、長期間の信頼性を確保できるシール材や接続部品の開発が必要です。

主な難しさは、極低温燃料の蒸発(ボイルオフ)を防ぐ断熱・冷却技術と、微小重力下で液体を確実にポンプへ集める液面制御技術の確立が困難な点です。
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