電子衝撃法とは何か?なぜ装置が安定するのか?どのような応用例があるのか?

この記事で分かること

  • 電子衝撃法とは:電子を加熱フィラメントから放出し、気化した試料分子に衝突させてイオン化する手法です。衝撃が強く分子が断片化(フラグメント化)しやすいため、その壊れ方のパターンを照合して物質を特定する同定分析に最適です。
  • なぜ装置が安定するのか:シンプルな電極構造で故障が少なく、高真空中での測定により外乱を受けにくいからです。また、電子エネルギーを世界共通の70 eVに固定しているため、装置や環境を問わず高い再現性でデータが得られます。
  • 応用例:環境中の農薬や有害物質の調査、食品の香気成分の特定、薬物・毒物鑑定などに広く応用されています。装置の安定性と豊富なデータベースにより、未知の成分が「何であるか」を決定する際の標準的な手法です。

電子衝撃法

 機器分析とは、化学反応を用いる古典的な化学分析に対し、物質が持つ物理的・化学的性質を精密な機器で測定し、その物質の成分や構造を分析する方法の総称です。

  高感度で迅速な分析が可能であり、微量な成分や複雑な混合物も精度高く分析できるため、現代の科学技術分野で広く利用されています。 

 今回は、質量分析法のイオン化の一種である電子衝撃法とは何かに関する記事となります。

質量分析法とは

 質量分析法とは、物質を原子・分子レベルでイオン化し、その質量と数を測定して成分を特定する手法です。「分子の重さを測る超精密な天秤」のようなもので、微量な試料から物質の同定や定量、構造解析が可能です。

電子衝撃法とは何か

 電子衝撃法(EI)は、気体状態の試料分子に高速の電子を衝突させて、分子を直接イオン化する手法です。質量分析において最も歴史が長く、標準的な方法として知られています。

仕組みと特徴

  1. イオン化: 加熱したフィラメントから飛び出した電子を、試料分子にぶつけます。その衝撃で分子から電子が1個はじき飛ばされ、プラスの電荷を持つ陽イオンになります。
  2. フラグメンテーション: 衝突エネルギーが非常に強いため、分子の一部がバラバラに壊れます(断片化)。
  3. 同定能力: この「壊れ方」のパターンは物質ごとに固有であるため、データベース(ライブラリ)と照合することで、未知の物質が何であるかを高い精度で特定できます。

メリットとデメリット

  • メリット: 装置が安定しており、膨大なデータベースが整備されているため、成分の同定(名前を当てること)に非常に強いです。
  • デメリット: エネルギーが強すぎて分子全体(親イオン)が残らないことがあり、分子量を知るのが難しい場合があります。また、気化しにくい高分子には不向きです。

 主にガスクロマトグラフィー(GC-MS)と組み合わせて、香料、農薬、環境汚染物質の分析などに広く使われています。

電子を加熱フィラメントから放出し、気化した試料分子に衝突させてイオン化する手法です。衝撃が強く分子が断片化(フラグメント化)しやすいため、その壊れ方のパターンを照合して物質を特定する同定分析に最適です。

電子衝撃法はなぜ装置が安定するのか

 電子衝撃法(EI)が装置として安定している理由は、主にその構造のシンプルさと、物理現象としての再現性の高さにあります。


1. 物理的構造がシンプル

 EIのイオン源は、加熱した「フィラメント」、電子を加速させる「スリット(電極)」、イオンを押し出す「リペラー」という、基本的な部品のみで構成されています。複雑な流体制御やレーザー光学系が必要ないため、物理的な故障が少なく、安定して動作します。

2. イオン化エネルギーの標準化(70 eV)

 世界中のEI装置は、電子のエネルギーを70 eV(電子ボルト)に統一して運用されています。

  • 70 eVという値は、ほとんどの有機分子を効率よくイオン化でき、かつフラグメント(破片)の出方が飽和して変化しにくくなる「安定領域」です。
  • この標準化のおかげで、40年前に測定されたデータと今日のデータがほぼ一致するほどの高い再現性が保たれています。

3. 高真空下での運用

 EIは高い真空中で行われます。大気圧下でイオン化するESIなどと違い、周囲の空気や溶媒分子による干渉(二次反応)がほとんど起こりません。外部環境の変動(温度や湿度)を受けにくいため、常に一定の条件下で分子を粉砕・イオン化できます。


 シンプルな電極構造と、「70 eV」という世界共通の標準設定、そして真空による外乱の遮断。これらが組み合わさることで、誰がどこで測定しても同じ結果が得られる、質量分析の「基準」としての安定性を支えています。

シンプルな電極構造で故障が少なく、高真空中での測定により外乱を受けにくいからです。また、電子エネルギーを世界共通の70 eVに固定しているため、装置や環境を問わず高い再現性でデータが得られます。

フィラメントには何が使われるのか

 質量分析(EI法)のフィラメントには、主にタングステン(W)やレニウム(Re)、あるいはそれらの合金が使用されます。

 これらは電球のフィラメントと同様に、電流を流して高温(2000℃以上)に熱することで電子を放出(熱電子放出)させる役割を担っています。


代表的な材質とその特徴

材質特徴主な用途
タングステン融点が非常に高く丈夫。安価。一般的な分析、頑丈さ重視
レニウムタングステンより低温で電子を出しやすく、酸化に強い。感度重視、化学イオン化(CI)
イットリアコート金属表面に酸化イットリウムを塗布。さらに低温で動作。フィラメントの長寿命化

なぜこれらの金属なのか?

  1. 高融点: 電子を出すために真っ赤に熱しても溶けない(タングステンの融点は約3422℃)。
  2. 蒸気圧の低さ: 高真空中で熱しても、金属自体が蒸発して装置を汚しにくい。
  3. 加工性: 細い線状やリボン状に加工しやすく、効率よく電子を飛ばす形状を作れる。

分子量測定が難しい場合があるのはなぜか

 電子衝撃法(EI)において、分子量(元の分子の重さ)を知るのが難しい最大の理由は、「衝撃が強すぎて、分子がバラバラに壊れすぎてしまうから」です。


1. 分子イオン(M+)が消失する

 分子量は、電子が1個だけ抜けた状態の「分子イオン」のピークを見て判断します。しかし、EIのエネルギー(70 eV)は結合を切るのに十分すぎるほど強いため、不安定な分子だと検出器に届く前にすべて破片(フラグメント)に分解されてしまいます。

  • 例: アルコール類などは、分子全体を示すピークがほとんど出ないことがよくあります。

2. ベースピーク(最大ピーク)との混同

 最も強く出るピークが破片の重さである場合、それが「分子そのものの重さ」なのか「一部が取れた後の重さ」なのか、初見では判別が困難です。

3. 不純物やノイズの影響

 分子イオンのピークが非常に微弱な場合、背景にあるノイズや装置内の汚れ(不純物)のピークに埋もれてしまい、どれが本物の分子量を示しているのか見失うことがあります。


電子の衝撃が強すぎるため、分子全体を示す「分子イオン」が検出前にバラバラに壊れてしまうことがあるからです。特に熱に弱い物質や長鎖分子では、破片のピークばかりが目立ち、元の重さを特定しにくくなります。

電子衝撃法の応用例にはどのようなものがあるのか

 電子衝撃法(EI)は、その高い再現性と膨大なデータベース(ライブラリ)を活かし、主に「何が含まれているか分からないもの」の特定に威力を発揮します。


1. 環境分析(水質・大気調査)

 河川水や土壌に含まれる農薬、大気中の有害化学物質(ダイオキシン類など)の測定に必須です。

  • 理由: 微量な成分でも、フラグメントパターンから正確に種類を特定できるためです。

2. 香味・香料の分析(食品・化粧品)

 コーヒーの香り、ワインの風味成分、香水の調合分析などに使われます。

  • 理由: 数百種類の成分が混ざった複雑な香りの中から、一つ一つの分子を同定するのに適しています。

3. 法医学・薬物検問

 血液や尿からの毒物・覚せい剤の検出、ドーピング検査などで活躍します。

  • 理由: 証拠としての信頼性が高く、ライブラリ照合による確実な証拠提示が求められるためです。

4. 宇宙探査

 火星探査機などに搭載され、現地の土壌や大気成分を分析する際にもEIの原理が使われています。

  • 理由: 装置がシンプルで堅牢、かつ未知の物質をその場で同定できる能力があるためです。

環境中の農薬や有害物質の調査、食品の香気成分の特定薬物・毒物鑑定などに広く応用されています。装置の安定性と豊富なデータベースにより、未知の成分が「何であるか」を決定する際の標準的な手法です。

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