この記事で分かること
- 化学シフトとは:原子核の周囲にある電子が外部磁場を打ち消す「遮蔽効果」により、共鳴周波数がわずかに変化する現象です。結合する原子や官能基(ミクロな環境)によって値が異なるため、分子構造の特定に利用されます。
- 分子の構造でどのように化学シフトが変化するのか:主に「隣接原子の電気陰性度」による電子密度の変化で決まります。電子を引く原子が近いと遮蔽が弱まり数値は大きく(左へ)なり、ベンゼン環などの「磁気的異方性」も大きな変化要因となります。
- スピン結合とは:隣接する原子核同士が、結合している電子を介して磁気的な影響を与え合う現象です。相手の磁石の向きに応じてエネルギーが微増減し、信号が複数に分裂するため、その数から隣り合う原子の数やつながりを確認できます。
NMRの化学シフト、スピン結合
機器分析とは、化学反応を用いる古典的な化学分析に対し、物質が持つ物理的・化学的性質を精密な機器で測定し、その物質の成分や構造を分析する方法の総称です。
高感度で迅速な分析が可能であり、微量な成分や複雑な混合物も精度高く分析できるため、現代の科学技術分野で広く利用されています。
今回は、NMRの化学シフトに関する記事となります。
NMRの化学シフトとは何か
NMR(核磁気共鳴)における化学シフトとは、「原子核が置かれているミクロな環境(電子の状態)によって、共鳴周波数がわずかにズレる現象」のことです。
同じ種類の原子(例えば水素原子 1H)であっても、分子内のどこに結合しているかによって、その周りの電子の密度が異なります。
この違いが「化学シフト」としてグラフ上に現れるため、私たちは分子の構造を特定することができるのです。
化学シフトが起こる仕組み
1. 電子の遮蔽(シールド)効果
原子核の外側には電子が回っています。外部から磁場(B0)をかけると、電子も動いて小さな磁場を作ります。
この電子が作る磁場は、外部磁場を打ち消す方向に働くため、原子核は外部磁場よりも少し弱い磁場を感じることになります。これを遮蔽(しゃへい)と呼びます。
2. 環境によるズレ
原子の周りに電子を引き抜くような原子(酸素や窒素など)があると、遮蔽が弱まり、原子核はより強い磁場を感じます。
- 遮蔽が大きい(電子密度が高い): 低周波数側(チャートの右側)に現れる。
- 遮蔽が小さい(電子密度が低い): 高周波数側(チャートの左側)に現れる。
なぜ「ppm」という単位を使うのか?
NMRの共鳴周波数は、装置の磁場の強さ(テスラ)に比例します。装置ごとに数値が変わると不便なため、基準物質(一般的にTMS:テトラメチルシラン)からのズレを比率で表したものが化学シフト(δ)です。
δ=(試料の共鳴周波数ー基準物質の共鳴周波数)/装置の基本周波数 ×10-6 [ppm]
- ppm (parts per million): 100万分の1という意味です。
- TMS (δ= 0): 多くの有機化合物よりも電子密度が高く、ピークが重なりにくいため基準として使われます。
化学シフトからわかること
化学シフトの値(δ値)を見ることで、その原子がどのような官能基に含まれているか推測できます(以下は 1H-NMRの例)。
| 化学シフト (δ ppm) | 予想される構造 |
| 0.9 ~ 1.5 | アルカン(CH3, CH2) |
| 2.0 ~ 2.5 | カルボニル基の隣(CH3C=O) |
| 3.3 ~ 4.0 | 酸素の隣(CH3-O-) |
| 6.5 ~ 8.0 | 芳香族(ベンゼン環など) |
| 9.0 ~ 10.0 | アルデヒド(-CHO) |

NMRの化学シフトとは、原子核の周囲にある電子が外部磁場を打ち消す「遮蔽効果」により、共鳴周波数がわずかに変化する現象です。結合する原子や官能基(ミクロな環境)によって値が異なるため、分子構造の特定に利用されます。
化学シフトは分子構造のどんな部分で決まるのか
化学シフトは、対象となる原子核の「周囲の電子密度」が、隣接する原子や構造からどのような影響を受けるかで決まります。大きく分けて、以下の3つの要因が重要です。
1. 隣接原子の電気陰性度
結合している原子が酸素 (O) や窒素 (N)、ハロゲンなどの電気陰性度が高い(電子を引っ張る力が強い)原子だと、中心の核から電子が奪われます。
- 電子が減る(脱遮蔽) →化学シフトは大きくなる(左側に移動)。
2. 化学結合の状態(混成軌道)
炭素の結合様式(sp3, sp2, sp)によっても変わります。
- 一般的に、単結合(sp3)より二重結合(sp2)の炭素に付いた水素の方が、化学シフトは大きくなります。
3. 磁気的異方性効果
これが有機化学において非常に特徴的です。ベンゼン環や二重結合、三重結合などの π 電子を持つ構造では、外部磁場によって電子が動き、場所によって磁場を強めたり弱めたりする特殊な空間を作り出します。
- ベンゼン環: 環の外側にある水素は、電子の動きで作られた磁場によって磁場が強まる方向に置かれるため、化学シフトが非常に大きく(7~ 8 ppm付近)なります。
構造とシフトの関係
| 影響を与える要素 | 電子の状態 | 化学シフト(δ) |
| 電子を引く原子が隣にある | 電子が薄くなる | 大きく(左へ) |
| 電子をくれる原子が隣にある | 電子が厚くなる | 小さく(右へ) |
| ベンゼン環の水素 | 磁気的異方性で磁場が強まる | 大きく(左へ) |

化学シフトは、主に「隣接原子の電気陰性度」による電子密度の変化で決まります。電子を引く原子が近いと遮蔽が弱まり数値は大きく(左へ)なり、ベンゼン環などの「磁気的異方性」も大きな変化要因となります。
スピン結合とは何か
スピン結合(またはJ結合)とは、隣り合う原子核同士が、お互いの磁気的な状態を「共有」し合う現象のことです。
1. 仕組み:結合電子を介した「情報伝達」
原子核は小さな磁石ですが、空気中を超えて直接引き合うのではなく、原子同士を繋いでいる「電子」を介して情報を伝えます。
- 原子Aが「私は上向きだよ」という情報を電子に伝えると、その電子が隣の原子Bにその情報を伝えます。
- すると、原子Bは「隣が上向きの場合」と「隣が下向きの場合」で、わずかに感じる磁場の強さが変わってしまいます。
2. 信号が「分裂」する理由
例えば、ある水素原子の隣に別の水素原子が1個ある場合を考えてみましょう。
- 隣の水素が磁場と同じ向き(安定)のとき
- 隣の水素が磁場と逆の向き(不安定)のとき
この2つのパターンが確率的に存在するため、測定される信号は「少しズレた2つの位置」に現れ、結果として1本の線が2本に分かれて(ダブレット)見えます。
3. 「つながり」が見えるn+1則
スピン結合の最大のメリットは、「隣に何個の原子がいるか」がひと目でわかることです。
- 隣に水素が1個あれば、信号は2本に分かれる。
- 隣に水素が2個あれば、信号は3本に分かれる。
- 隣に水素がn個あれば、信号はn+1本に分かれる。
これを解析することで、「この炭素の隣にはメチル基(水素3個)がついているな」といった分子のパズルを解くことができます。
共有結合している電子を通じて互いの磁気状態を伝え合ことで、NMR信号が規則的に分裂し、その数や形から「どの原子がどこに何個つながっているか」を緻密に特定できます。

隣接する原子核同士が、結合している電子を介して磁気的な影響を与え合う現象です。相手の磁石の向きに応じてエネルギーが微増減し、信号が複数に分裂するため、その数から隣り合う原子の数やつながりを確認できます。
なぜ隣に何個の原子がいるかわかるのか
隣の原子が持つ「磁石の向きの組み合わせ」が、こちらの信号をバラバラに押し分けるため、原子の個数を把握できます。
隣にいる原子(水素など)も小さな磁石なので、「磁場と同じ向き(↑)」か「逆向き(のどちらかの状態をとります。この組み合わせのパターン数が、そのまま信号の分裂数になります。
隣の水素が「1個」の場合
パターンは2通りです。
- 隣が(↑)の場合
- 隣が(↓)の場合この2つの影響を受けるため、信号は2本に分かれます。
隣の水素が「2個」の場合
パターンは3通り(4組)になります。
- 両方とも上向き(↑↑)
- 一方が上、他方が下(↑↓ または ↓↑) ※このパターンは2倍起こりやすい
- 両方とも下向き(↓↓)この3つの異なる影響を受けるため、信号は3本に分かれます。

隣の原子核(磁石)が「上向き」か「下向き」かの組み合わせによって、こちらの原子が感じる磁場の強さがわずかに変化します。この組み合わせのパターン数が信号の分裂数として現れるため、隣の原子数が逆算できるのです。

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