この記事で分かること
- アディティブ法とは:独自の「銅ナノインク」を用い、インクジェットで必要な箇所にのみ配線を描く「足し算」の製法です。従来のように不要な銅を溶かして捨てる無駄がなく、多層化も実現。環境負荷を激減させる次世代の基板製造技術です。
- なぜ三菱電機が出資するのか:環境負荷を抑える独自の基板製法を自社のFA(工場自動化)技術と融合させ、製造装置の外販や世界標準化を狙うためです。脱炭素とコスト低減を両立する次世代インフラとして、事業の柱に据える戦略的な投資です。
- アディティブ法の課題:インクの「にじみ」による微細化(L/S=50μm程度)の限界や、既存の膨大な製造設備からの転換コストが課題です。高多層化への対応精度を高め、量産スピードと長期間の信頼性実績を積み上げることが普及の鍵です。
エレファンテックと三菱電機の事業提携
電子基板のスタートアップ、エレファンテックは2026年3月12日、三菱電機を引受先とする40億円の第三者割当増資(シリーズF)と事業提携を発表しました。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC165AB0W6A310C2000000/
今回の提携は、単なる資金援助にとどまらず、次世代のプリント基板(PCB)製造技術のデファクトスタンダード(業界標準)を狙う戦略的な動きです。
エレファンテックはどんな技術を持っているのか
エレファンテックの核心技術は、「必要な場所にだけ金属を印刷する」アディティブ(加算)製法です。
同社はこの技術を「SustainaCircuits」(旧称:Pure Additive法)と呼び、従来の基板製造(サブトラクティブ法)が抱えていた「無駄な銅を溶かして捨てる」という100年来の常識を覆しました。主な技術的特徴は以下の3点です。
1. 独自開発の「銅ナノインク」
- ナノ粒子化技術: 銅を15nm(ナノメートル)という極小の粒子に加工。
- 分散安定性: インクジェットヘッドのノズルを詰まらせず、かつ長期間安定して使用できる特殊な配合技術を持っています。
2. 高精度インクジェット印刷
- 選択的塗布: 基板上の配線が必要な部分にだけ、ピンポイントで銅ナノインクを吐出します。
- プロセスの垂直統合: 印刷機(ELPシリーズ)、材料(インク)、プライマー(密着剤)のすべてを自社で最適化しており、高い密着性と導電性を両立しています。
3. 多層化・リジッド基材への対応(最新技術)
かつては「片面フレキシブル基板」が中心でしたが、2024年末から2025年にかけて以下の壁を突破しました。
- 多層化技術: ビア(層間の接続穴)の形成と配線印刷を同時に行うことで、4層や6層といった汎用的な多層基板の製造が可能になりました。
- FR-4(ガラスエポキシ)対応: 世界の基板の約8割を占める硬い素材(リジッド基板)でも、剥がれない密着技術を確立しました。

独自開発の「銅ナノインク」を用い、インクジェットで必要な箇所にのみ配線を描く「アディティブ製法」が核心です。多層化やリジッド基材への対応も実現し、環境負荷を激減させつつ世界の基板の大半を代替可能です。
銅ナノインクとは何か
銅ナノインクとは、導電性に優れた「銅」をナノメートル(10万分の1mm単位)の極微細な粒子に加工し、特殊な溶剤に均一に分散させた液体材料のことです。
エレファンテックなどの企業が、インクジェットプリンターで電子回路を「印刷」するために開発したハイテク素材です。
1. 銅ナノインクの3つの核心技術
- 極微細化(ナノサイズ):銅の粒子を約10nm〜50nm程度まで小さくしています。粒子がこれほど小さくなると、バルク(塊)の状態よりも融点が劇的に下がるため、比較的低い温度で粒子同士が結合し、導電性を発揮します。
- 分散安定化:本来、金属粒子は液体中でくっついて沈殿しようとします。これを防ぐために、粒子の表面を特殊な「保護剤(界面活性剤)」でコーティングし、インクジェットの細いノズルが詰まらないようサラサラな状態を保っています。
- 焼結(熱処理):印刷後、短時間の加熱や光照射を行うことで保護剤を飛ばし、銅粒子同士を密着させて「一本の金属配線」へと変化させます。
2. なぜ「銀」ではなく「銅」なのか
これまでも銀ナノインクは存在していましたが、銅には大きなメリットがあります。
- 低コスト: 貴金属である銀に比べ、材料費を大幅に抑えられます。
- マイグレーション耐性: 銀は湿気や電圧で絶縁不良(ショート)を起こしやすい欠点がありますが、銅はそのリスクが低く、高い信頼性が求められる車載用や産業機器に向いています。
3. 製造プロセスの革新
従来の基板作りは、厚い銅箔をエッチング液(薬品)で溶かして捨てる「引き算」の工程でした。銅ナノインクを使えば、「必要な場所に、必要な分だけ」配置する「足し算」の工程になり、資源の無駄がほとんどありません。

銅ナノインクは、銅をナノ粒子化し液体に分散させた導電性材料です。インクジェットで基板に回路を直接印刷でき、銀より安価で信頼性が高く、材料廃棄を最小限に抑える「環境型製造」の鍵となる技術です。
なぜ強く密着できるのか
エレファンテックの技術が「剥がれにくい」理由は、単にインクを塗るだけでなく、化学的な「プライマー(下地剤)」と、その後の「無電解銅めっき」を組み合わせた独自のハイブリッド工程に秘密があります。
インクジェットで描いた「銅ナノインク」は、実はそのままでは配線としての厚みが足りません。これを「核(種)」として利用する発想がポイントです。
1. ナノ粒子専用の「プライマー層」
基材(ポリイミドやFR-4)の表面に、あらかじめナノ粒子と強力に結合する特殊な親水性ポリマー(プライマー)を極薄くコーティングします。
- 化学的結合: プライマーが基材表面の微細な凹凸に入り込み(アンカー効果)、同時に銅ナノ粒子を化学的にキャッチして固定します。これにより、インクが玉にならず、基材に吸い付くように定着します。
2. 「種」を育てる無電解めっき
インクジェットで印刷された銅ナノ粒子は、あくまで「配線の設計図(シード層)」です。
- めっきの成長: 印刷後に基板を無電解銅めっき液に浸すと、インクがある部分だけに銅が積み重なっていきます。
- 一体化: この工程で、ナノ粒子と後から付着した銅が分子レベルで一体化し、バルク(金属の塊)に近い強固な配線が形成されます。
3. 熱ストレスの緩和
従来の製法では、銅箔を高温・高圧でラミネート(接着)するため、基材との間に熱膨張の差による歪みが残り、剥離の原因になることがありました。
- 常温・常圧に近いプロセス: エレファンテックの手法は、高温負荷が少ないため、材料へのダメージや内部応力が抑えられ、結果として長期的な密着信頼性が向上します。

独自開発の「プライマー」が基材と銅粒子を化学的に結合させ、その粒子を「核」として無電解めっきを厚く成長させることで、金属の塊のような強固な密着を実現。熱ストレスも少ないため、剥離リスクを最小化しています。
アディティブ工法の利点は何か
アディティブ工法(加法的な製造法)の最大の利点は、従来の「不要な部分を削り落とす」手法から、「必要な分だけを積み上げる」手法へと転換することで生じる、圧倒的な環境性能と製造効率の向上です。
1. 劇的な環境負荷の低減(サステナビリティ)
従来の「サブトラクティブ法」では、基板全面に貼った銅箔の約80〜90%をエッチング液で溶かして廃棄していました。
- 銅の使用量: 約70%削減(必要な配線分しか使わないため)。
- 水の使用量: 約95%削減(洗浄やエッチング工程が大幅に簡略化されるため)。
- CO2排出量: 約75%削減(製造工程が短く、材料生成時のエネルギーも抑制)。
2. リードタイムの短縮と柔軟な設計
インクジェット方式を採用することで、デジタルデータから直接「印刷」が可能になります。
- 版(マスク)が不要: 従来の露光工程に必要なフォトマスクを作る必要がなく、データ修正後すぐに製造できます。
- 多品種変量生産: 試作から量産まで同じ設備で対応でき、設計変更にも即座に対応可能です。
3. コスト構造の変革
初期投資や材料ロスが少ないため、特に中小型の基板や多品種生産においてコスト競争力が発揮されます。
- 材料廃棄コストの消失: 高価な銅を捨てないため、資源効率が極めて高いです。
- 工程の集約: 露光・現像・エッチングといった大規模な化学処理ラインが不要になり、工場の省スペース化(マイクロファクトリー化)が可能です。
4. 新たな材料・形状への対応
熱ストレスや強力な薬品(エッチング液)への耐性をそれほど考慮しなくて済むため、基材の選択肢が広がります。

銅や水を最大95%削減する圧倒的な環境性能が最大の利点です。版が不要なデジタル印刷により、設計変更や多品種生産への即時対応が可能。工程簡略化でコストとCO2を抑え、次世代の「緑の電子基板」を実現します。
なぜ三菱電機が出資するのか
三菱電機がエレファンテックに40億円(累計でそれ以上)という巨額出資を行い、深い事業提携に踏み切った理由は、単なる「スタートアップ支援」ではなく、「プリント基板製造のプラットフォーマー」としての地位を盤石にするためです。
1. FA(工場自動化)事業の新たな武器
三菱電機は世界有数のFA機器メーカーですが、従来の「基板を作る装置(露光機やエッチング装置など)」の市場は既に成熟しています。
- 装置の外販: エレファンテックの技術を自社のFAシステムに組み込み、「環境対応型プリント基板製造ライン」として世界の基板メーカーへ外販する狙いがあります。将来的には三菱電機が装置の量産・販売を担う計画です。
2. 脱炭素(GX)ソリューションの目玉
現在、製造業には「サプライチェーン全体のCO2削減」が強く求められています。
- トレード・オンの実現: 従来の製法では環境負荷が極めて高かった基板製造において、CO2・水・銅を激減させるエレファンテックの技術は、三菱電機が掲げる「循環型デジタル・エンジニアリング」を具現化する強力なコンテンツになります。
3. 次世代電子機器への先行投資
AIやIoTの普及で基板需要が急増する中、従来の製法は限界(廃棄物やコスト面)を迎えつつあります。
- 業界標準(デファクト)の獲得: 4層や6層といった「汎用多層基板」への対応が完了した今、この新製法を「世界の標準」に押し上げることで、上流の材料から下流の製造装置まで、三菱電機グループが主導権を握る狙いがあります。

三菱電機は、環境負荷を激減させる独自の基板製法を自社のFA(工場自動化)技術と融合させ、製造装置の外販や世界標準化を狙います。脱炭素と製造コスト低減を両立する次世代インフラとして、事業の柱に据える考えです。
アディティブ工法の課題はなにか
アディティブ工法(加法的製法)は非常に画期的な技術ですが、従来の「サブトラクティブ法(削り出し)」が積み上げてきた実績に挑む形となるため、いくつかの高いハードルが存在します。
1. 微細化(ファインピッチ)の限界
インクジェットで「液滴」を飛ばして回路を描くという性質上、物理的な解像度の限界があります。アディティブ工法(インクジェット方式)における微細化の限界は、現在の量産レベルでは L/S = 50µm / 50µm 程度 が一つの目安となっており、さらなる微細化が技術的な挑戦権となっています。
- にじみと精度: 液体が着弾した際、基材の上でわずかに広がる(にじむ)ため、数マイクロメートル単位の極めて高密度な配線(先端半導体向けなど)では、まだ従来の露光・エッチング法に精度で及びません。
- 解決策: 液滴の小径化や、インクが広がらないための基材表面処理技術の向上が進められています。
2. 多層化・複雑な構造への対応
現在の電子機器は、10層を超えるような高多層基板が一般的です。
- 層間の接続: 各層を積み上げる際の平坦化や、層間をつなぐ「ビア(穴)」の形成をインクジェットで完璧に行うには、高度な制御が必要です。
- スルーホールメッキ: 基板を貫通する穴の内部に均一にインクを塗布し、導通を確保する技術は、平面印刷に比べて難易度が飛躍的に上がります。
3. 既存エコシステム(サプライチェーン)の置き換え
これが最も大きな「社会的な課題」です。
- 設備の減価償却: 世界中の基板メーカーは、既に巨大なサブトラクティブ用の設備(露光機、エッチングライン、廃液処理施設)を保有しています。これらを捨てて新しい方式に乗り換えるには、莫大な投資判断が必要です。
- 信頼性実績の蓄積: 自動車やインフラなど、「20年壊れてはいけない」分野では、新しい製法が長期間のストレスに耐えられるか、数年単位の膨大な評価データが求められます。
4. スピードとスループット
- 印刷速度: 一枚ずつ「描画」するインクジェットは、一度に全面を露光する従来法に比べると、単純な大量生産(同一品を数百万枚作るなど)ではスピードで見劣りする場合があります。
- 解決策: 三菱電機のFA(工場自動化)技術を導入し、ヘッドを並列化することで高速化を図っています。

主な課題は、インクジェット特有の「にじみ」による微細化の限界、高多層化への対応、そして既存の巨大な製造設備からの転換コストです。長期間の信頼性実績を積み上げ、量産スピードを向上させることが普及の鍵です。

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