この記事で分かること
- 水素透過膜とは:水素だけを透過させ、他のガス(酸素、窒素、二酸化炭素など)は透過させない特殊な膜のことで、金属膜を利用した膜では、従来はパラジウムが利用されてきましたが、ハイドロネクストはバナジウムに着目しています。
- バナジウムに着目する理由:その優れた水素透過性能とコスト優位性から、次世代の水素精製膜の有力な候補として注目されています。水素による脆性や酸化しやすいという欠点もありますが、欠点を抑える研究が進んでいます。
- 金属膜の水素の透過性が高い理由:水素原子の小ささ、金属の結晶構造におけるすき間である格子間サイトの存在、金属と水素の相互作用のしやすさから高いと透過性を示します。
ハイドロネクストの水素精製用バナジウム膜
株式会社ハイドロネクストは、水素精製技術においてバナジウム膜が利用できることを発表しています。
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00749983?gnr_footer=0081883
従来の水素透過膜はパラジウム合金が主流でしたが、パラジウムは高価で埋蔵量も限られています。ハイドロネクストは、この課題を解決するために、バナジウムに着目しています。
水素の透過膜とはなにか
「水素透過膜」とは、水素だけを透過させ、他のガス(酸素、窒素、二酸化炭素など)は透過させない特殊な膜のことです。これにより、水素を含む混合ガスから高純度の水素を分離・精製することができます。
水素透過膜の原理
水素透過膜の主要な原理は、大きく分けて以下の2つがあります。
溶解拡散機構(主に金属膜)
このメカニズムは、金属膜(特にパラジウムやバナジウムなどの特定の金属)が水素を「原子の状態で」透過させる性質を利用します。
- 吸着: 混合ガス中の水素分子(H₂)が膜の表面に吸着します。
- 解離: 吸着した水素分子は、膜表面で個々の水素原子(H)に解離します。
- 溶解: 解離した水素原子は、金属膜の結晶格子中の隙間に入り込み、「溶解」します。
- 拡散: 膜の内部を、溶解した水素原子が濃度勾配に従って、膜の反対側へと拡散していきます。
- 再結合: 膜の反対側の表面に到達した水素原子は、再び結合して水素分子(H₂)となり、膜から「脱離」します。
- 特徴:このプロセスは、水素原子のみが膜を透過するため、原理的にピンホールなどの欠陥がなければ、他の不純物ガスは透過せず、超高純度の水素を精製することが可能です。
分子ふるい効果(主に多孔質膜、高分子膜)
- 膜に開けられた非常に小さな孔(細孔)を利用して、分子のサイズの違いによってガスを分離する原理です。
- 水素分子は他の分子に比べて非常に小さいため、膜の細孔を通り抜けることができますが、より大きな分子は通り抜けられません。
- 特徴: 金属膜に比べて一般的に透過性は劣りますが、比較的安価で加工しやすいという利点があります。
水素透過膜の主な材料
- パラジウム(Pd)およびその合金:
- 古くから研究・実用化されてきた最も代表的な水素透過膜材料です。
- 高い水素選択透過性(水素だけを通す性質)を持ち、比較的低い温度でも機能します。
- しかし、高価であること、水素を吸収することで体積膨張(水素脆化)を起こし、膜が劣化・破損しやすいという課題があります。このため、銀や金などを添加して合金化することで、水素脆化を抑制し、透過性能を向上させる研究が進められています。
- 5族金属(バナジウムV、ニオブNb、タンタルTa):
- パラジウムよりも安価で、水素透過性能が高いことが期待されています。
- しかし、単体では水素脆化を起こしやすく、また、膜が酸化しやすいという課題があります。ハイドロネクストのバナジウム膜のように、これらの課題を克服するための合金化や表面処理などの技術開発が進められています。
- 高分子膜:
- ポリイミド、酢酸セルロースなどの有機材料で作られます。
- 比較的安価で加工が容易ですが、耐熱性や耐久性に課題があり、透過性能も金属膜に劣ることが多いです。
- セラミックス膜:
- 窒化チタン、ゼオライトなどが研究されています。
- 高温での安定性が高いという特徴がありますが、脆性や製造コストに課題があります。
水素透過膜のメリット・デメリット
メリット
- 高純度水素の精製: 特に金属膜の場合、原理的に超高純度の水素を得られる。
- 設備がシンプル・コンパクト: 従来の吸着分離法(PSA)に比べて、設備を小型化でき、連続運転が可能。
- 低ランニングコスト: 動力や消耗品が少なく、運転コストを抑えられる可能性がある。
デメリット
- 高コスト: 特にパラジウム膜は高価。代替材料(バナジウムなど)の開発が進められている。
- 耐久性: 水素脆化などにより膜が劣化・破損する可能性がある。
- 透過速度: 膜の厚さや温度、圧力差によって透過速度が異なり、効率に影響を与える。
水素透過膜は、燃料電池、半導体製造、化学プロセスなど、様々な分野で高純度水素の需要が高まる中で、その重要性が増している技術です。

水素透過膜とは、水素だけを透過させ、他のガス(酸素、窒素、二酸化炭素など)は透過させない特殊な膜のことで、金属膜を利用した膜では、従来はパラジウムが利用されてきましたが、ハイドロネクストはバナジウムに着目しています。
バナジウムが適している理由は何か
バナジウムが水素透過膜として特に適している理由は、主に以下の点に集約されます。
- 圧倒的な低コストと豊富な埋蔵量:
- 従来のパラジウム膜と比較して、バナジウムは素材ベースで約1/600から1/150という非常に低い価格で入手可能です。
- また、パラジウムの埋蔵量が限られているのに対し、バナジウムは資源が豊富であり、安定的な供給が可能です。これは、将来的な水素社会の実現において、大量の水素透過膜が必要となることを考えると、非常に重要な利点です。
- 高い水素透過性:
- バナジウムは、水素原子が金属格子内を拡散しやすい性質を持っており、水素透過性能がパラジウムの約10倍に及ぶという報告もあります。これは、より薄い膜で同等の透過量を達成できたり、同じ膜面積でより多くの水素を精製できたりすることを意味し、装置の小型化や高効率化に繋がります。
- その水素透過性の高さから、理論上100%に近い超高純度水素(99.999%以上、一部では99.9999%超)の精製が可能とされています。
- 優れた加工性:
- バナジウムは比較的加工性に優れており、板状やコイル状など、様々な形状に成形しやすいという利点があります。これにより、多様な膜構造や装置設計に対応できます。
バナジウムの課題と克服
一方で、バナジウム単体ではいくつかの課題も抱えています。
- 水素脆化: バナジウムは水素を大量に吸蔵すると、もろくなる「水素脆化」という現象を起こし、膜が割れやすくなる傾向があります。
- 酸化しやすい: 空気中の酸素と反応しやすく、表面に酸化膜を形成すると水素透過性能が低下する可能性があります。
これらの課題に対して、ハイドロネクストをはじめとする研究機関や企業は、以下の対策を講じることでバナジウム膜の実用化を進めています。
- 合金化:
- バナジウムに他の金属(鉄、ニオブ、チタンなど)を少量添加して合金にすることで、水素脆化を抑制し、膜の安定性や耐久性を向上させることができます。これにより、水素を透過させた後も膜が割れにくくなります。
- 表面処理・保護膜の形成:
- 膜の表面にパラジウム(Pd)などの薄いコーティングを施すことで、バナジウムの酸化を防ぎ、水素の吸着・解離を促進し、水素透過性能を維持・向上させることができます。
- 特殊な加工技術:
- 高圧すべり加工(HPS加工)などの特殊な塑性加工を施すことで、バナジウムの結晶粒を微細化し、水素透過性を向上させ、同時に水素脆化への耐性を高める研究も進められています。
- 運転条件の最適化:
- 適切な温度や圧力条件で運転することで、水素脆化のリスクを低減し、膜の寿命を延ばすことが可能です。

バナジウムはその優れた水素透過性能とコスト優位性から、次世代の水素精製膜の有力な候補として注目されています。水素による脆性や酸化しやすいという欠点を抑える研究が進んでいます。
なぜ、水素が拡散しやすいのか
水素が特定の金属、特にパラジウムやバナジウムなどの遷移金属中を非常に拡散しやすい理由は、主に以下の3つの要因が組み合わさっているためです。
- 水素原子の圧倒的な小ささ
- 元素の中で最も小さい原子であり、共有結合半径は約 0.37 A˚、0.53 A˚ といった非常に小さな値です。
- 他の一般的なガス分子(酸素 O2、窒素 N2、二酸化炭素 CO2 など)は、水素分子 H2 よりもさらに大きい分子構造を持っています。
- この極めて小さなサイズのため、水素原子は金属原子が規則正しく並んだ結晶構造の「格子間サイト」(原子と原子の間の隙間)に容易に入り込むことができます。
- 金属の結晶構造における「格子間サイト」の存在
- 金属は、原子が規則正しく並んだ結晶格子を形成しています。この格子の中には、原子が直接結合していない小さな隙間(格子間サイト)が存在します。
- 主に、八面体サイト(Octahedral site)や四面体サイト(Tetrahedral site)と呼ばれる空間があり、水素原子はこの隙間を「跳びはねるように」移動することで金属中を拡散します。
- 水素原子の小ささが、この格子間サイトを効率的に利用できる鍵となります。
- 金属と水素原子の相互作用(溶解と拡散のエネルギー障壁)
- 解離と吸着: 水素透過膜では、まず膜表面で水素分子 H2 が金属表面に吸着し、その後、個々の水素原子 H に解離します。この解離が比較的容易な金属が水素透過に適しています。
- 溶解: 解離した水素原子は、金属の結晶格子内の格子間サイトに「溶解」します。これは、水素原子が金属原子と弱い結合を形成し、安定した状態となることを意味します。水素を溶解しやすい金属(パラジウム、バナジウム、ニオブなど)は、水素との親和性が高いと言えます。
- 拡散のエネルギー障壁の低さ: 水素原子が隣接する格子間サイトへ移動するためには、ある程度のエネルギー障壁を乗り越える必要があります。しかし、特定の金属では、このエネルギー障壁が比較的低いため、熱エネルギーによって水素原子が容易に移動できます。つまり、水素原子が金属格子内をスムーズに「ジャンプ」できるのです。
- 特に、パラジウムやバナジウムのような金属は、電子構造(D軌道の状態など)が水素原子との相互作用に適しており、水素原子が比較的安定に存在しつつ、かつ移動しやすい環境を提供します。
これらの要因が複合的に作用することで、水素は特定の金属膜中を高い選択性で透過(溶解・拡散)することができます。他のガス分子は、そのサイズが大きすぎるため格子間サイトを透過できず、また、金属表面での解離や金属中への溶解も起こりにくいため、透過することができません。

水素原子の小ささ、金属の結晶構造におけるすき間である格子間サイトの存在、金属と水素の相互作用のしやすさから、水素は特定の金属膜中を高い選択性で透過(溶解・拡散)することができます。
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