この記事で分かること
- グリシンとは:グリシンは、アミノ酸の一種で、アミノ酸の中でも分子量が小さく、非常にシンプルな構造をしています。
- 何に利用されるのか:多様な特性から、食品、サプリメント、医薬品、工業製品など、幅広い分野で活用されています。
- キレート効果を持つ理由:グリシンの持つアミノ基の窒素やカルボニル基がプロトンを放出したカルボキシラートイオンの酸素の非共有電子が金属イオンと結合することでキレートを形成することができます。
有機合成工業によるグリシンの増産
有機合成薬品工業株式会社は、福島県いわき市の常磐工場において進めていたアミノ酸(グリシン)の増産設備が、2025年6月2日に竣工したことを発表しました。
https://www.yuki-gosei.co.jp/wp-ygk/wp-content/uploads/2025/06/06597c8d0fdcf3207e607c93cd9d2fe0.pdf
この設備投資は、グリシンの需要拡大に対応するため、既存設備の増強と新規設備の導入を目的としています。
グリシンとは何か
グリシン(Glycine)は、アミノ酸の一種で、その中でも最も構造が単純な「非必須アミノ酸」です。
非必須アミノ酸とは、体内で合成できるため、必ずしも食事から摂取する必要がないアミノ酸のことを指します。
グリシンの特徴と働き
- 構造が最も単純なアミノ酸: アミノ酸の中でも分子量が小さく、非常にシンプルな構造をしています。
- 甘味がある: 甘みを持つため、甘味料や日持ち向上剤としても利用されます。
- 体内で合成される: セリンなどから体内で合成されます。
- 多様な生体物質の原料:
- コラーゲン: 皮膚のコラーゲンを構成するアミノ酸の約3分の1を占め、肌のハリと弾力を保つ役割があります。
- ポルフィリン: 血液中で酸素を運ぶヘモグロビンの構成成分であるポルフィリンの原料となります。
- クレアチン: 筋肉運動に必要なエネルギー源であるクレアチンの原料となります。
- グルタチオン: 強力な抗酸化物質であるグルタチオンの原料となります。
- 神経伝達物質: 脊椎や脳幹に多く存在し、中枢神経で抑制系の神経伝達物質としても働き、リラックス効果や睡眠の質を高める効果が期待されています。
- 肝機能のサポート: 肝臓でのエタノール代謝を促進したり、解毒作用に関与したりする報告があります。
- 静菌作用: 微生物の増殖を抑制する作用があり、食品の日持ち向上剤として利用されます。
グリシンの主な用途
グリシンは、その多様な特性から、食品、サプリメント、医薬品、工業製品など、幅広い分野で活用されています。
- 食品添加物:
- 日持ち向上剤: 惣菜や練り製品などの微生物の増殖を抑え、鮮度を保ちます。
- 調味料: 淡白でさわやかな甘味と旨味を持ち、味をまろやかにしたり、他の呈味物質(グルタミン酸ナトリウムなど)との相乗効果で旨味を増強したりします。
- 緩衝剤: pHを安定させる作用があり、食品の苦味を和らげたり、塩味や酸味を調整したりするのに使われます。
- サプリメント: 睡眠改善、美容(コラーゲン生成)、肝機能サポートなどを目的としたサプリメントに配合されます。
- 医薬品: 動物用医薬品として、子牛の下痢による脱水症状の改善などに用いられることがあります。
- 工業用途:
- 洗浄剤・めっき: 金属を溶出しやすくするキレート効果を利用し、IT精密機器部材などの研磨剤や洗浄剤、めっき浴に利用されます。微生物に分解されやすい特性から、環境に優しいキレート剤としても注目されています。
- 農業: アミノ酸栄養素として肥料に用いられたり、一部の除草剤の原料になったりします。
- 飼料添加物: 栄養補給や嗜好性向上の目的で、ペットフードや畜産・水産飼料に用いられます。
グリシンの安全性
グリシンは体内に存在するアミノ酸であり、食品添加物としても長年の使用実績があります。
通常の摂取量であれば、安全性に問題はないとされています。ただし、過剰摂取は避けるべきであり、妊娠中や授乳中の安全性については十分なデータがないため、使用を避けることが推奨されています。また、錠剤の形で経口摂取する際に食道や胃腸の障害が報告された例もあります。
このように、グリシンは私たちの体に不可欠なアミノ酸でありながら、その特性を活かして様々な分野で広く利用されている物質です。

グリシンは、アミノ酸の一種で、食品、サプリメント、医薬品、工業製品など、幅広い分野で活用されています。
半導体製造で何に利用されるのか
半導体の製造工程において、グリシンはそのキレート効果や水溶性、環境負荷の低さといった特性から、主に以下の用途で活用されています。
1. ケミカルメカニカルポリッシング (CMP) 用研磨液の添加剤
半導体製造において、ウェハー表面の微細な凹凸を平坦化する工程をCMP(Chemical Mechanical Polishing)と呼びます。これは、化学的な溶解作用と機械的な研磨作用を組み合わせた技術です。
グリシンは、特に銅(Cu)配線のCMPにおいて、研磨液(スラリー)の添加剤として使用されます。
- キレート作用: グリシンは銅などの金属イオンと安定な錯体を形成する性質(キレート作用)があります。これにより、研磨対象の金属(例えば銅)を化学的に溶かしやすくし、効率的な研磨を助けます。
- 平坦化の促進: 研磨液中のグリシンが金属表面に作用し、化学的エッチングを促進することで、均一な平坦化を実現し、ディッシング(配線部分がへこんでしまう現象)などの問題を抑制する効果が期待されます。
- 環境への配慮: 微生物により分解されやすいため、従来のキレート剤と比較して環境負荷が低いという利点もあります。
2. 半導体洗浄液
CMP工程の後など、半導体ウェハーの表面に付着した微細な金属粒子や有機物、残渣などを除去するために洗浄工程が行われます。グリシンは、この洗浄液の成分としても利用されます。
- 金属の除去: CMP研磨剤と同様に、グリシンのキレート効果により、ウェハー表面に残った金属不純物を効率的に除去する役割を果たします。
- 環境負荷の低減: 環境に優しいキレート剤として、排水処理の負荷軽減に貢献します。

半導体製造におけるグリシンは、その金属キレート能力によってCMP用スリラーや水溶性とキレート力で金属不純物除去などに利用されています。
なぜキレート効果を持つのか
グリシンがキレート効果を持つ理由は、その化学構造にあります。
キレート効果とは、多座配位子(複数の原子で金属イオンに結合できる分子)が金属イオンと結合して安定な環状構造(キレート環)を形成することによって、錯体が非常に安定になる現象を指します。
グリシンの化学構造は、H2N−CH2−COOH です。この構造の中に、金属イオンと結合できる「配位原子」が複数存在します。
具体的には、以下の2つの部位が主な配位原子として機能します。
- アミノ基 ( -NH2) の窒素原子
- 窒素原子には、非共有電子対(他の原子と共有されていない電子のペア)が存在します。
- この非共有電子対を金属イオンの空の軌道に提供することで、配位結合を形成します。
- カルボキシ基 (-COOH) の酸素原子:
- カルボキシ基は水溶液中でプロトンを放出してカルボキシラートイオン (-COO–) となります。
- このカルボキシラートイオンの酸素原子にも、非共有電子対があり、金属イオンと配位結合を形成できます。
グリシンは、このアミノ基の窒素原子とカルボキシ基の酸素原子の両方を使って、1つの金属イオンに同時に結合することができます。このように、1つの分子が複数の点で金属イオンに結合することで、環状構造(キレート環)が形成されます。
キレート効果が安定性を高める理由
キレート錯体が非キレート錯体(単座配位子が金属イオンに結合している錯体)よりも安定になるのは、主に以下の理由によります。
- エントロピーの増加(統計的有利性):
- 例えば、1つのグリシン分子が1つの金属イオンに2箇所で結合する場合、これは2つの単座配位子(例えばアンモニア分子と酢酸イオン)がそれぞれ独立して金属イオンに結合するよりも、系の分子数が増加するという点で有利です。
- 反応の前後で分子数が増える(例えば、金属イオン + 多座配位子 → キレート錯体 + 複数の溶媒分子)と、系のエントロピー(乱雑さ)が増加し、熱力学的に安定化に寄与します。これは、キレート効果の主要な推進力の一つです。
- 環状構造の安定性:
- 形成される環状構造は、金属イオンをしっかりと「挟み込む」ような形になり、結合が切れにくくなります。
- 特に5員環や6員環のキレート環は、歪みが少なく、熱力学的に非常に安定です。グリシンは、金属イオンと5員環のキレート環を形成することが多いです。
このような理由から、グリシンは金属イオン、特に遷移金属イオン(銅イオンなど)と強く、安定なキレート錯体を形成する能力を持っています。これが、半導体製造におけるCMP研磨液や洗浄液での金属除去に応用される根拠となっています。

グリシンはアミノ基とカルボニル基を持っています。アミノ基の窒素やカルボニル基がプロトンを放出したカルボキシラートイオンの酸素の非共有電子が金属イオンと結合することでキレートを形成することができます。
平坦化を可能な理由はなにか
グリシンがCMP(化学機械研磨)において平坦化を促す理由は、その化学的な作用が、ウェハー表面の凸部と凹部で異なるメカニズムで働きかけることにあります。
CMPは、化学的な溶解作用と機械的な研磨作用を組み合わせることで、非常に高精度な平坦化を実現する技術です。グリシンは特に化学的作用において重要な役割を果たします。
グリシンが平坦化を促すメカニズム
グリシンのキレート効果が平坦化に寄与する主なメカニズムは以下の通りです。
- 凸部の選択的な化学溶解(エッチング促進)
- CMPでは、ウェハー表面の凸部(盛り上がっている部分)に物理的な圧力がより強くかかります。
- この圧力によって、凸部の金属(例えば銅)は機械的な研磨作用を受けやすくなります。
- 同時に、グリシンを含む研磨液が凸部の金属と接触し、グリシンのキレート作用によって金属が化学的に溶解(エッチング)されやすくなります。
- 研磨パッドと砥粒による機械的な力と、グリシンによる化学的な溶解が相乗的に作用することで、凸部の金属が効率的に除去されます。
- 凹部の化学作用の抑制(または穏やかな作用)
- 一方、凹部(くぼんでいる部分)は、研磨パッドや砥粒からの物理的な圧力がかかりにくくなります。
- そのため、凹部では機械的な研磨作用が弱まります。
- グリシンは金属と錯体を形成しますが、凸部のように機械的な力が同時に加わらないため、凹部での金属の溶解速度は凸部に比べて相対的に遅くなります。
- これにより、凹部の金属が過剰に削られる「ディッシング(dishing)」や、配線と絶縁膜の境界で絶縁膜が過剰に削れる「エロージョン(erosion)」といった問題が抑制されます。
まとめ
つまり、グリシンは研磨液中で、
- 物理的な圧力が強くかかる凸部では、そのキレート効果により金属の化学溶解を加速し、効率的な除去を促します。
- 物理的な圧力が弱い凹部では、グリシンによる化学溶解も凸部ほど加速されないため、削られる量が抑制されます。
この「凸部を効率的に削り、凹部を削られにくくする」という選択的な作用によって、ウェハー表面の凹凸が徐々に解消され、全体として非常に平坦な表面が実現されるのです。これは、微細な回路を何層も積層していく半導体製造において、各層の正確な位置合わせや接続に不可欠な技術です。

グリシンは物理的な圧力が強くかかる凸部では、そのキレート効果により金属の化学溶解を加速し、効率的に除去し、物理的な圧力の弱い凹部では、あまり溶解が進まなくなります。凸部を効率的に削り、凹部を削られにくくする」という選択的な作用によって、平坦な表面が実現されます。
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