この記事で分かること
- シダラのインフルエンザ薬候補の特徴:単回投与で最大6ヶ月間効果が持続する長時間作用型の予防薬です。
- 長期間効果が持続する理由:薬効成分をヒト抗体の一部(Fcフラグメント)と結合させています。これにより、薬は体内で自然なリサイクル機構によって長く保持され、代謝・排泄が遅延するため、単回投与で約6ヶ月間の長期作用が可能となります。
- メルクの買収理由:主力薬キイトルーダの特許切れに備え、将来の収益源を確保するためです。高リスク患者市場で「クラス初」となる製品でポートフォリオを強化・多様化することが目的です。
メルクによるインフルエンザ薬開発のシダラの買収
メルク(Merck & Co. Inc.)はインフルエンザ薬を開発しているバイオテクノロジー企業、シダラ・セラピューティクス(Cidara Therapeutics, Inc.)を約92億ドルで買収することに合意しています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-11-14/T5PXT8GPWCHD00
この買収は、メルクが主力抗がん剤「キイトルーダ」の特許切れによる収益減少に備え、革新的な医薬品候補を積極的に獲得する戦略の一環と見られています。
シダラのインフルエンザ薬の特徴は何か
シダラ・セラピューティクスが開発しているインフルエンザ薬候補「CD388」の最大の特徴は、長時間作用型で予防薬として機能する点です。主な特徴は以下の通りです。
1. 長時間作用型の予防薬
- 単回投与で長期間の保護: 従来のインフルエンザ治療薬や予防接種とは異なり、CD388は単回投与で最大24週間(約6ヶ月間)にわたってインフルエンザの発症を有意に予防する効果が、第2b相試験で示されています。
- 季節性の予防: 季節ごとのインフルエンザシーズン全体を通じて、1回の投与で予防効果を提供することを目指して設計されています。
2. 高リスク患者に特化
- 対象: 特にインフルエンザによる合併症を発症するリスクが高い成人および青年を主な対象としています。
- ワクチンが限定的な層への代替: 免疫力が低下している人や基礎疾患を持つ人など、従来のインフルエンザワクチンの効果が限定的であったり、免疫反応が起こりにくい人々にとって、新たな予防手段となる可能性が期待されています。
3. 独自の作用機序
- 薬剤-Fc複合体 (DFC): CD388は、小分子のノイラミニダーゼ阻害剤(インフルエンザウイルスの増殖を阻害する成分)を、ヒト抗体のフラグメント(Fc)と安定的に結合させた薬剤-Fc複合体(Drug-Fc Conjugate: DFC)という独自の技術に基づいています。
- 免疫状態に非依存: このアプローチは、人自身の免疫反応に依存しないため、免疫状態に関わらず効果的である可能性があります。
- 株にとらわれない: インフルエンザA型およびB型の両方を予防するように設計されています。
4. 開発状況
米国FDA(食品医薬品局)から、画期的治療薬指定(Breakthrough Therapy Designation)とファストトラック指定(Fast Track Designation)を受けており、これはその臨床的な有望性と、重篤な疾患に対する有効な治療法または予防法である可能性が認められたことを示しています。
現在、インフルエンザによる合併症のリスクが高い参加者を対象とした第3相ANCHOR試験が進行中です。

シダラのインフルエンザ薬候補「CD388」は、単回投与で最大6ヶ月間効果が持続する長時間作用型の予防薬です。特に合併症リスクの高い患者を対象とし、インフルエンザA型・B型の両方に対応する「クラス初」の薬となる可能性があります。
なぜ、長期期間予防できるのか
シダラのインフルエンザ薬「CD388」が長期間にわたって効果を発揮できるのは、その独自の分子構造に秘密があります。
これは「薬剤-Fc複合体」(Drug-Fc Conjugate: DFC)という技術を利用しているためです。
長期作用の仕組み
- Fcフラグメントの利用: CD388は、インフルエンザウイルスの増殖を抑える既存の抗ウイルス薬(ノイラミニダーゼ阻害剤、ザナミビルの二量体)を、ヒトの抗体の一部であるFcフラグメント(断片)と結合させています。
- リサイクル機能の活用: このFcフラグメントは、体内でIgG抗体が持つ自然なリサイクル機構を利用できるように設計されています。
- 半減期の延長: 通常、体内に投与された小分子薬は比較的すぐに代謝・排泄されてしまいますが、Fcフラグメントと結合することで、薬は体内の細胞に結合・取り込まれた後、排泄されずにリサイクルされて血液中に戻されます。このプロセスにより、薬が体内に留まる時間(半減期)が大幅に延長され、長時間作用が可能になります。
抗体の「長持ちする仕組み」を薬に組み込むことで、単回投与でも最大6ヶ月間という長期的な予防効果を期待できる設計になっています。

「CD388」は、薬効成分をヒト抗体の一部(Fcフラグメント)と結合させています。これにより、薬は体内で自然なリサイクル機構によって長く保持され、代謝・排泄が遅延するため、単回投与で約6ヶ月間の長期作用が可能となります。
Fcフラグメントと結合し、リサイクルされる理由は何か
CD388がFcフラグメントと結合できる理由と、結合することでリサイクルされる理由は、それぞれ異なる分子メカニズムに基づいています。
1. 結合できる理由:分子設計
CD388は、天然に存在する分子が結合するわけではなく、人工的な分子設計によって作られています。
- ノイラミニダーゼ阻害剤の二量体化: まず、インフルエンザ阻害薬の有効成分を特殊なリンカーを介して二量体(2つの分子が結合したもの)にします。
- Fcフラグメントとの共有結合: 次に、この二量体化された有効成分を、化学的な手法を用いてヒト抗体のFcフラグメントに結合させます。
- 薬剤-Fc複合体 (DFC) の形成: このようにして、薬物分子が安定してFcフラグメントに共有結合した「薬剤-Fc複合体(DFC)」という新しい分子が人工的に合成されます。
この結合は、タンパク質工学や化学合成技術によって、意図的かつ安定的に行われているため結合が可能です。
2. リサイクルできる理由:FcRn受容体との相互作用
Fcフラグメントが結合した薬が体内でリサイクルされ、長期にわたって血液中に留まることができるのは、新生児Fc受容体(FcRn)という特殊な受容体との相互作用によるものです。
FcRn受容体は、以下のステップで薬をリサイクルします。
- エンドサイトーシスと酸性環境: 血液中のタンパク質や薬は、血管内皮細胞などに取り込まれ(エンドサイトーシス)、細胞内の小胞(エンドソーム)に入ります。エンドソーム内は弱酸性(低いpH)です。
- FcRnとの結合: この酸性の環境下で、Fcフラグメントはエンドソーム内にあるFcRn受容体に強く結合します。
- 分解からの保護: FcRnに結合しなかったタンパク質や薬は、細胞内で分解される運命にあります。しかし、FcRnに結合したFcフラグメントを持つCD388は、分解プロセスから守られます。
- 血液への再放出: その後、エンドソームが細胞膜に戻ると、細胞外(血液側)の環境は中性(高いpH)に戻ります。この中性環境下では、FcフラグメントとFcRn受容体の結合が弱くなり、CD388は再び血液中へ放出されます(リサイクル)。
このFcRn受容体を介した「取り込み→ 保護 → 再放出」というサイクルにより、Fcフラグメントを持つ薬は代謝・排泄が大幅に遅延し、血液中の濃度が長く保たれるため、長期作用が可能になるのです。

Fcフラグメントと結合できるのは、化学合成による人工的な分子設計のためです。結合により、薬は血管内皮細胞の新生児Fc受容体(FcRn)と結合し、分解されずに血液中にリサイクルされ、長期作用を可能にします。
メルクの買収理由は何か
メルクがシダラを買収する主な理由は、将来の収益を確保し、特に呼吸器系疾患の予防・治療分野でパイプラインを大幅に強化するためです。特に以下の2つの目的が重要です。
1. 主要製品の特許切れ対策と成長の確保
- キイトルーダの特許切れへの備え: メルクの主力抗がん剤である「キイトルーダ」は、年間数十億ドルを稼ぎ出す巨大製品ですが、2028年頃に米国で特許が切れる見込みです。
- 収益の多様化: メルクは、この巨大な収益源の喪失に備え、他の有望な分野の革新的な医薬品候補を積極的に買収し、パイプラインを多様化して将来の成長ドライバーを確保する戦略を実行しています。シダラの買収は、この戦略の一環です。
2. CD388による抗ウイルス薬ポートフォリオの強化
- クラス初の可能性: シダラの主力候補薬「CD388」は、単回投与で最大6ヶ月間効果が持続する長時間作用型インフルエンザ予防薬であり、「クラス初」(潜在的に市場に大きな影響を与える最初の薬剤)となる可能性を秘めています。
- 満たされていない医療ニーズへの対応: 特に、合併症リスクの高い患者(高齢者、免疫不全者など)にとって、CD388は従来のワクチンや短期作用型抗ウイルス薬に代わる、重要な予防手段となることが期待されています。
- 呼吸器系ビジネスの拡大: この買収により、メルクはインフルエンザ予防という大きな市場で確固たる地位を築き、抗ウイルス薬および感染症予防のポートフォリオを強化することができます。
メルクのロバート・M・デイビスCEOも、「CD388は、今後10年間を通じて成長の重要な原動力となる可能性があり、株主に真の価値を生み出すと確信している」と述べています。

メルクは、主力薬キイトルーダの特許切れに備え、将来の収益源を確保するためです。シダラの長時間作用型インフルエンザ予防薬(CD388)を獲得し、高リスク患者市場で「クラス初」となる製品でポートフォリオを強化・多様化することが目的です。

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