この記事で分かること
- 食用培養脂肪とは:動物から採取した細胞を培養して作られる脂肪です。代替肉に「肉らしい風味や食感」を与える目的で開発が進んでいます。
- どうやって作られるのか:動物から少量の幹細胞を採取し、栄養を含む培養液中で増殖・分化させて作られます。
- 分化とは:一つの細胞が、特定の機能と形態を持つ特殊な細胞へと変化する過程です。
三井化学、食用培養脂肪開発企業への投資
三井化学は、英国のスタートアップ企業であるHoxton Farms(ホクストン・ファームズ)に投資しました。Hoxton Farmsは、食用培養脂肪を開発している企業です。
https://jp.mitsuichemicals.com/jp/release/2025/2025_0619/index.htm
三井化学は、Hoxton Farmsの持つ細胞培養技術と、自社の先端素材技術を融合させることで、食用培養脂肪にとどまらず、化粧品、医薬品、持続可能な素材など、幅広い分野でのバイオものづくり技術のスケールアップと商業化を加速していく方針です。
食用培養脂肪とは何か
食用培養脂肪とは、動物の体から採取した細胞を培養することによって作られる脂肪のことです。従来の畜産によって得られる脂肪とは異なり、実際に動物を飼育・屠畜することなく生産されます。
製造方法の概要
基本的な製造プロセスは以下の通りです。
- 細胞の採取: 生きている動物(例えば牛)から、少量ではありますが脂肪を構成する幹細胞(脂肪由来幹細胞など)を採取します。この採取は、動物に大きな負担をかけない方法で行われます。
- 細胞の培養: 採取した幹細胞を、アミノ酸、脂質、ビタミンなどの栄養素を含む培養液に入れて増殖させます。この工程は、ビール醸造に使われるようなバイオリアクター(培養槽)で行われることが一般的です。
- 脂肪細胞への分化: 増殖した幹細胞を、脂肪細胞へと分化させるための条件(特定の栄養素や成長因子など)で培養を続けます。これにより、脂肪を蓄積する細胞が形成されます。
- 収穫と加工: 培養によって得られた脂肪細胞を培養液から分離・回収し、必要に応じて食用に適した形に加工されます。
企業によっては、3Dプリンティング技術を応用して、筋肉細胞などと組み合わせて、サシ(霜降り)の入った肉の構造を模倣する試みも行われています。
特徴と期待される効果
- 「肉らしい風味と食感」の付与: 代替肉(植物肉など)は、タンパク質は豊富ですが、動物の脂肪が持つ特有の風味やジューシーさに欠ける場合があります。食用培養脂肪は、この欠点を補い、より本物の肉に近い味や食感を実現するために利用されます。
- 環境負荷の低減: 従来の畜産と比較して、土地利用、水消費、温室効果ガス排出といった環境負荷を大幅に削減できる可能性があります。
- 動物福祉への配慮: 動物を屠畜することなく脂肪を生産できるため、動物福祉の観点からも注目されています。
- 食料安全保障への貢献: 気候変動や人口増加による食料問題が深刻化する中で、持続可能な食料供給源の一つとして期待されています。
- 品質の安定性・制御可能性: 培養環境を制御することで、脂肪の組成や風味を調整することが可能になると考えられています。
課題
- 生産コスト: 現状では、従来の脂肪と比較して生産コストが高いことが課題です。量産化によるコストダウンが求められます。
- 規模拡大の技術: 大規模な培養システムを構築し、効率的に生産する技術の確立が必要です。
- 消費者の受容性: 「培養」という言葉に対する抵抗感や、安全性への懸念など、消費者の理解と受容を高めるための取り組みも重要です。
- 法規制: 各国での食品としての承認や表示に関する法規制の整備も進められています。
三井化学が出資したHoxton Farmsのような企業は、これらの課題解決に向けて研究開発を進めており、今後の食用培養脂肪の普及に貢献することが期待されています。

食用培養脂肪は、動物から採取した細胞を培養して作られる脂肪です。代替肉に「肉らしい風味や食感」を与える目的で開発が進み、畜産の環境負荷低減や動物福祉向上に貢献すると期待されています。
脂肪細胞への分化はどのように行われるのか
食用培養脂肪を製造する上で、採取した幹細胞を脂肪細胞へと分化させるプロセスは非常に重要です。この分化は、特定の分化誘導因子(ホルモンや増殖因子など)と適切な培養環境を与えることで行われます。
脂肪細胞分化の主要なステップとメカニズム
脂肪細胞への分化は、多段階の複雑なプロセスであり、主に以下のステップと主要な因子によって制御されます。
- 前駆脂肪細胞(Pre-adipocytes)の増殖:まず、幹細胞(間葉系幹細胞など)を、増殖を促進する培地で培養し、細胞数を増やします。この段階の細胞は、まだ脂肪細胞としての特徴は持っていません。
- 分化のトリガー(誘導):増殖した前駆脂肪細胞を、脂肪細胞への分化を誘導する特定の因子を含む培地(分化誘導培地)に切り替えます。代表的な誘導因子は以下の通りです。
- デキサメタゾン(Dexamethasone): 合成コルチコステロイドで、分化の初期段階を促進します。
- IBMX(3-イソブチル-1-メチルキサンチン): ホスホジエステラーゼ阻害剤で、細胞内cAMPレベルを上昇させ、シグナル伝達を活性化します。
- インスリン(Insulin): 脂肪合成を促進し、グルコースの取り込みを促進するホルモンです。
- インドメタシン(Indomethacin): プロスタグランジン合成阻害剤で、脂肪細胞分化を促進することが知られています。
- 主要な転写因子の活性化:分化誘導因子によって、細胞内で特定の転写因子が活性化されます。転写因子は、遺伝子の発現を制御するタンパク質であり、脂肪細胞に特有な遺伝子の発現を「オン」にする役割を担います。
- PPARγ(Peroxisome Proliferator-Activated Receptor gamma): 脂肪細胞分化の「マスターレギュレーター」とされており、脂肪細胞への分化に不可欠な転写因子です。この遺伝子が活性化されると、脂肪細胞特有のタンパク質合成が始まります。
- C/EBP(CCAAT/Enhancer Binding Protein)ファミリー: 特にC/EBPα、C/EBPβ、C/EBPδなどが重要で、PPARγの発現を誘導したり、PPARγと協力して脂肪細胞特有の遺伝子発現を制御します。
- 脂肪合成と脂肪滴の形成:これらの転写因子が活性化されると、脂肪酸合成酵素やトリグリセリド合成酵素など、脂肪合成に関わる様々な酵素の遺伝子発現が誘導されます。これにより、細胞内で脂肪酸やグリセロールが合成され、それらが結合して**トリグリセリド(中性脂肪)が作られます。トリグリセリドは細胞質内で凝集し、徐々に大きくなる脂肪滴(lipid droplets)**を形成します。初期は小さな脂肪滴が多数見られますが、成熟するにつれて融合し、細胞の大部分を占める大きな脂肪滴になることもあります。
- 成熟脂肪細胞への変化:脂肪滴の蓄積とともに、細胞は丸みを帯びた形態に変化し、レプチンやアディポネクチンといった脂肪細胞特有のホルモンやタンパク質を分泌するようになります。これにより、機能的な成熟脂肪細胞が完成します。
まとめ
脂肪細胞への分化は、前駆脂肪細胞に特定のホルモンや薬剤(デキサメタゾン、IBMX、インスリンなど)を与えることで誘導されます。これにより、PPARγやC/EBPといったマスター転写因子が活性化され、脂肪合成に関わる遺伝子群が発現。最終的に細胞内にトリグリセリドが蓄積し、脂肪滴が形成されて機能的な脂肪細胞へと変化します。

脂肪細胞分化は、幹細胞が特定のホルモン(デキサメタゾン、インスリンなど)や薬剤の刺激を受け、PPARγなどの転写因子が活性化することで進行します。これにより脂肪合成酵素が誘導され、細胞内に脂肪滴が蓄積し、成熟した脂肪細胞へと変化する過程です。
細胞の分化とは何か
細胞の分化(Cellular differentiation)とは、特殊化していない細胞が、特定の機能や形態を持つ特殊化した細胞へと変化するプロセスのことです。
私たちの体は、たった一つの受精卵から始まります。この受精卵は、分裂を繰り返しながら、やがて皮膚細胞、神経細胞、筋肉細胞、血液細胞、肝臓細胞など、約200種類もの異なる種類の細胞になります。
このそれぞれの細胞が特定の役割を持つようになる現象が「細胞分化」です。
細胞分化のポイント
- 遺伝情報は同じ: 基本的に、体の全ての細胞は同じDNA(ゲノム)を持っています。しかし、どの遺伝子を「オン」にするか、「オフ」にするか(遺伝子発現の制御)が異なることで、それぞれの細胞が独自の形と機能を持つようになります。
- 未分化細胞と分化細胞:
- 未分化細胞(Unspecialized cells):まだ特定の役割が決まっていない細胞で、様々な種類の細胞に分化する能力を持っています。受精卵や幹細胞(胚性幹細胞、iPS細胞、体性幹細胞など)がこれにあたります。
- 分化細胞(Specialized/Differentiated cells):特定の役割と形態を持つようになった細胞です。例えば、神経細胞は電気信号を伝えるために細長く、筋肉細胞は収縮するために特殊なタンパク質を多く持っています。
- 不可逆性: 一般的に、一度分化した細胞は、元の未分化な状態に戻ったり、別の種類の細胞に変化したりすることは困難です(ただし、iPS細胞のように人工的に分化をリセットする技術も開発されています)。
- 個体発生と組織の維持: 細胞分化は、受精卵から個体が形成される「発生」の過程で不可欠です。また、大人になってからも、古くなった細胞を新しい細胞に置き換えたり、組織が損傷した際に修復したりするために、幹細胞が分化することで細胞の供給が行われています。
簡単に言えば、細胞分化は、「みんな同じ出発点だった細胞が、それぞれの専門家になっていく過程」と捉えることができます。

細胞の分化とは、一つの細胞(受精卵や幹細胞)が、特定の機能と形態を持つ特殊な細胞(神経細胞、筋肉細胞など)へと変化する過程です。同じ遺伝情報を持つ細胞が、異なる遺伝子を働かせることで多様な細胞となり、生物の体を構成します。
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