本の概要
たいていの人が一生の内に何度か個人的な機器や変化を経験し、それを乗り越えるために自分を変えようと試みて、成功することもあれば、失敗することもあります。
個人が危機を乗り越えるために必要なことは様々な研究から明らかになり始めています。
国家も同じように危機に見舞われ、それを乗り越えようとしますが、個人と同じように失敗することもあります。
個人の集合が単純に国家になるわけではありませんが、国家が危機を脱するために必要なことも、個人が危機を脱するために必要なことと類似していています。
様々な国が危機的状況からどう脱却したかを通じて、国家が危機から脱するために何が必要かを知ることができる本になっています。
この本や記事で分かること
・個人や国家が危機を脱するために必要なことは何か
・フィンランドや日本、チリ、インドネシアなどの国がどのような危機に直面してきたか
・フィンランドの歴史とロシアへの抵抗について書かれた「フィンランドの覚悟」の要約はこちら
本の要約
たいていの人が一生の内に何度か個人的な機器や変化を経験し、それを乗り越えるために自分を変えようと試みて、成功することもあれば、失敗することもあります。
同じように国家も危機に見舞われ、国家的な変革で乗りきろうとしますが、こちらも成否が分かれることがあります。
個人の危機を乗り越えるか否かを分ける様々な要因が明らかになっています。この要因が国家にも当てはまるのであるかを様々な国家の危機から考察しています。
個人と国家は違うものです。単純に個人が集約したもの=国家となるわけではありませんが、個人の危機の解決を助ける12の要因は国家が危機から脱するうえでも重要なものとなります。
個人の危機を助ける要因を国家の危機の帰結にかかわる要因に変更すると以下のようになります。
1.自国が危機にあるという世論の合意
2.行動を起こすことへの国家としての責任の受容
3.囲いを作り、解決が必要な問題を明確にすること 何を変え、何を変えないか決めること
4.他の国々からの物質的、経済的支援
5.他の国々の問題解決を手本にする
6.ナショナルアイデンティティ
7.公正な自国評価
8.国家的な危機を経験した歴史
9.国家的失敗への対処 失敗を許容できるか
10.国としての柔軟性
11.国家の基本的価値観
12.地政学的な制約がないこと
国家には個人にはない要因(指導者の役割、政治経済制度、暴力的解決が許されるなど)もありますが、個人の危機と共通する部分も多くあるため、12の要因の有無は危機からの脱却に大きな影響を与えます。
フィンランドはロシアやソ連との長きにわたり戦争を行い、大きな被害をうけてきました。ソ連の恐ろしさを痛感したため、その後、西側諸国との関係を深めつつ、ロシアから怒りを買わないようにするという綱渡り外交をし続けることで安全を守っています。
自国が小国であることを認識し、ソ連との関係を深めることで、ソ連の干渉は受け入れるが、自国を守るという譲れないものを守っていることがフィンランドの独立を可能にしています。
日本は江戸末期にアメリカからペリーが来航し、武力差を背景に不平等条約を結ばされてしまいます。
日本はこの危機に対応し、不平等条約の改正することを最優先目標とし、変革を行い、近代化を進めていきます。
日本の場合も西洋を取り入れる一方で、日本の伝統的要素の何を残すのか囲いを作ったことが危機から脱する要因となっています。
チリは他の南米諸国と比べ政治的に安定な国家でしたが、1973年に、軍事政権によって支配されてしまいました。
軍事政権は経済を安定感させた半面、政府による暴力が数多くみられてしまいましたが最終的には政権に返り咲いた社会主義者たちが軍事政権が採用した経済政策を引き継ぐなど柔軟な対応で危機を脱しています。
従来から民主的であるというアイデンティティを持っていたことが大きくプラスとなりました。
1945年に、オランダから独立したインドネシアですが、経済のぜい弱さ、民主的な政府を持つ経験がなかった、国家としてのアイデンティティがないなど理由から軍事政権が誕生してしまいました。
インドネシアは国家としてのアイデンティティが弱かったことで、長期的に軍事政権を許してしまいましたが、現在ではアイデンティティも急速に発展しています。
危機を乗り越えることができるかはどのように決まるのか
たいていの人が一生の内に何度か個人的な機器や変化を経験し、それを乗り越えるために自分を変えようと試みて、成功することもあれば、失敗することもあります。
同じように国家も危機に見舞われ、国家的な変革で乗りきろうとしますが、こちらも成否が分かれることがあります。
個人的な危機の解決法については、医療や心理療法などの観点から多くの研究がなされており、個人の危機を乗り越えるか否かを分ける様々な要因が明らかになっています。
本書では、個人で明らかになっている要因が国家にも当てはまるものであるか、様々な国家の危機から考察しています。
個人が危機から脱することができるかは医療や心理療法などの観点から多くの研究がなされています。
本書では個人で明らかになっている要因が国家にも当てはまるものであるか、様々な国家の危機から考察しています。
個人的な危機を脱すために必要な要素は何か
個人的な危機は、人間関係、愛する人の死や病気、健康状態の悪化、経済状態の不安など様々ですが、原因が何であれ、人生に対処する上で重要何かがうまくいっておらず、新しい対処法を見つけなければならないという状態にあります。
様々な研究から個人的な危機の解決成功確率を多少なりとも上げる方法として、以下12個が明らかになっています。
1.危機に陥っていることを認めること
2.行動を起こすのは自分であるという責任の受容
3.囲いを作る:解決が必要な問題を明確にし言語化する、何を変え、何を残すかを決定する
4.周囲からの物心両面での支援
5.他の人々の解決法を手本にする
6.自我の強さ:感情の激しい揺れに耐え、現実を正確認識できる
7.公正な自己評価
8.過去の危機体験
9.忍耐力
10.性格の柔軟性
11.個人の基本的な価値観
12.個人的な制約のないこと:養育者や身体的な不安があると危機からの脱却は難しくなる
個人的な危機の解決成功確率を多少なりとも上げる方法は以下12個が明らかになっています。
国家が危機から脱する際に必要なものはに何か
個人と国家は違うものです。単純に個人が集約したもの=国家となるわけではありません。
それでも、個人の危機の解決を助ける12の要因は国家が危機から脱するうえでも重要なものとなります。国家の危機の帰結にかかわる要因は以下のようになります。
1.自国が危機にあるという世論の合意
2.行動を起こすことへの国家としての責任の受容
3.囲いを作り、解決が必要な問題を明確にすること 何を変え、何を変えないか決めること
4.他の国々からの物質的、経済的支援
5.他の国々の問題解決を手本にする
6.ナショナルアイデンティティ
7.公正な自国評価
8.国家的な危機を経験した歴史
9.国家的失敗への対処 失敗を許容できるか
10.国としての柔軟性
11.国家の基本的価値観
12.地政学的な制約がないこと
国家には個人にはない要因(指導者の役割、政治経済制度、暴力的解決が許されるなど)もありますが、個人の危機と共通する部分も多くあります。
個人と国家は違うものですが個人の危機の解決を助ける12の要因は国家が危機から脱するうえでも重要なものとなります。
ただし、個人にはない要素として指導者の役割、政治経済制度、暴力的解決が許されるなどの違いはあります。
フィンライドの国家の危機はどんなものだったか
フィンランドは西をスウェーデン、東はロシアと国境を接する北欧国家です。
フィンランドとロシアと接している国境線は他のヨーロッパ諸国のどのに比べても長くなっています。実際ロシアやソ連との長きにわたり戦争を行い、大きな被害をうけています。
1939年、ソ連のフィンランド内への軍事基地の建設しソ連軍が領土内を自由に通過する権利を求めますが、フィンランドが拒否したことで、冬戦争につながっていきます。
圧倒的な戦力差がありながら、フィンランドは長期にわたり、持ちこたえ、最終的にはソ連による全土の征服をあきらめさせることとなりました。
最終的にソ連による征服は免れたものの、フィンランドはソ連の恐ろしさを痛感したため、その後、西側諸国との関係を深めつつ、ロシアから怒りを買わないようにするという綱渡り外交をし続けることで安全を守っています。
フィンランドとロシアと接している国境線は他のヨーロッパ諸国のどのに比べても長く、国力の大きいロシアから大きな被害を受けています。
フィンランドはソ連の恐ろしさを痛感したため、その後、西側諸国との関係を深めつつ、ロシアから怒りを買わないようにするという綱渡り外交をし続けることで安全を守っています。
フィンランドはどのように危機を脱したのか
フィンランドの危機への対策で重要となった要因は様々ですが、公正な自国評価を行い、囲いを作り、強硬なアイデンティティや柔軟性をもっていたことなどが挙げられます。
自国が小国であることを認識し、ソ連との関係を深めることで、自国を守るという譲れないものを守っています。
非フィンランド人からは弱腰などといわれることもありますが、自国の公正な評価と周囲の国からの支援のなさ痛感したフィンランドが生き残る唯一の道になっています。
これらの政策を可能にしているのは、強固なアイデンティティと新しい試みを試す柔軟性をもっていることです。
公正な自国評価=自国が小国である
囲いを作る=ソ連の干渉は受け入れるが、自国の独立は守る
以上を行ったうえで、強硬なアイデンティティや柔軟性をもっていたことで危機を脱することができました。
江戸末期の日本の危機はどんなものであったか
1853年の鎖国中の日本にアメリカからペリーが来航し、その大きな武力差から日米修好通商条約という不平等条約を結び、他国との貿易を行うこととなります。
日本は西洋の列強諸国にような扱いを受ける必要はないという西洋の諸国の意識を具体化したものであり、日本はこの危機に対応し、不平等条約の改正することを最優先目標としました。
江戸末期から明治にかけて日本では、多くの改革、変化が行われていますが、大きな目標は西洋的要素を取り入れつつ、日本の状況に合うように調整し、日本の伝統的要素を残すことでした。
日本の変化は大きな成果を残し、日本の近代化は急速に進むこととなります。
鎖国中の日本に来航したアメリカはその大きな武力差から日米修好通商条約という不平等条約を結びました。
日本はこの危機に対応し、不平等条約の改正することが最優先の目標とし、西洋的要素を取り入れ、日本の状況に合うように調整し、急速な近代化を行いました。
日本はなぜ危機から脱することができたのか
ペリーの来航で日本全体で危機に直面していることに合意し、西洋を取り入れる一方で、日本の伝統的要素の何を残すのか囲いを作ったこと、参考にすべき諸外国が無数にあったことなどが挙げられます。
自国が西洋の列国と武力で大きな差があることを認識したことで、譲れないものを見極め、変えるべき点を変えることができました。
一方で、この後の日本は公正な自国評価を行えなかったため、アジアへの過剰な領土拡大を行い、第二次世界大戦での敗戦へと向かっていくこととなります。
日本が危機から脱することができたのは以下のような要因によります。
自国が危機にあるという世論の合意=ペリーの来航で日本全体で危機に直面している
囲いを作る=、西洋を取り入れる一方で、日本の伝統的要素の何を残すのか決めた
公正な自国評価=西洋の列国と武力で大きな差があることを認識
他の国々の問題解決を手本にする=近代化した西洋化からの学び
チリの国家的危機はどんなものだったのか
チリは中南米諸国と異なり、政治的に安定な国家とみられていましたが、1973年に、軍事政権によって支配されてしまいました。
チリは元来、地理、歴史、人口などの条件からまとまりのある国家でしたが、政治においては、右派、左派、中道派で分かれており、左派、右派がどれだけ中道派を取り込むことができるかがカギを握ってしました。
1973年に大統領に就任した左派のアジェンデは企業の国営化や計画経済など共産主義的な政策をすすめます。しかし経済の混乱を招き、共産主義を恐れるアメリカの介入もあり、軍事政権によるクーデターが起きてしまいます。
クーデターによってピノチェトが最高司令に就任後、経済的な混乱は多少収まったものの、チリでは政府による暴力が数多くみられてしまいました。軍事政権は1980年まで続き、今でもチリに暗い影を落としています。
それでも、現在は政権に返り咲いた社会主義者たちが軍事政権が採用した経済政策を引き継ぐなど柔軟な対応で危機を脱しています。
チリは他の南米諸国と比べ政治的に安定な国家でしたが、1973年に、軍事政権によって支配されてしまいました。
左派の急激な社会主義政策の導入が経済の混乱とアメリカの介入を招き、軍事軍事政権によるクーデターが起きました。
軍事政権は経済を安定感させた半面、政府による暴力が数多くみられてしまいました
現在では、政権に返り咲いた社会主義者たちが軍事政権が採用した経済政策を引き継ぐなど柔軟な対応で危機を脱しています。
チリはなぜ危機から脱することができたのか
チリは軍事政権による弾圧が17年続いたものの、復活を果たしています。
従来から民主的であるというアイデンティティを持っていたことが大きくプラスとなりました。
一方で、アジェンデは共産主義政策やアメリカとの関係など自らの力に対する現実的な評価の欠如がみられたため、早期に崩壊してしまいました。
一方でピノチェトは他国との関係性を把握していたこともあり、経済的な立て直しを行い、長期的な政権を維持してきました。
ピノチェトも最後には自身の勢力を見誤り、失脚しています。
従来から民主的であるというアイデンティティを持っていたことが大きくプラスとなり、危機から脱することができました。
アジェンデは共産主義政策やアメリカとの関係など自らの力に対する現実的な評価の欠如がみられたため、早期に崩壊してしました。
インドネシアの危機はどのようなものであったのか
インドネシアは1945年に独立した多くの島国からなる国で、700以上の言語が使用されるなど世界で最も多様性に富む国になっています。
オランダによる植民地から独立した後も、経済面は脆弱であり、多くの民族からなるため、国家としてのアイデンティティもほとんど見られませんでした。
インドネシアは民主的な政府を持つ経験なく、独立したため、民主主義がうまく機能しませんでした。主要政党は拮抗し、協力できる妥協点を見つけることができず、機能不全に陥ってしまいます。
この流れで軍部が政権で権力を持ち、推定50万人以上とも言われる大量虐殺を行っています。
また、軍部の懐を満たすために汚職も横行し、経済発展の大きな妨げになっています。1999年に普通選挙が行われるようになるまでの長い期間を軍事政権が権力を持つことになってしまいます。
1945年に、オランダから独立したインドネシアですが、経済のぜい弱さ、民主的な政府を持つ経験がなかった、国家としてのアイデンティティがないなど理由から軍事政権が誕生してしまいました。
軍事政権は大量虐殺や今も経済発展を妨げる汚職の横行を招いてしまいました。
インドネシアはなぜ危機から脱することができたのか
インドネシアには島国であり、他国からの干渉を受けにくい、他国の経済発展を見本にできたなどのプラスがありました。
一方で、インドネシアはアイデンティティが貧弱であったこと、国家的な危機の経験のなさ、正しい自国評価のなさなどから長期の軍事政権を許してしまいました。
現在でも汚職の影響が残っていますが、政府のクリーン度は向上し、アイデンティティも急速に発展しています。
地政学的な制約がないこと=島国であった
他の国々の問題解決を手本にする=他国の経済発展を見本にできた
などの部分がプラスに働きました。
アイデンティティの欠如は大きな問題でしたが、現在ではアイデンティティも急速に発展しています。
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