初めての人類学 奥野克己 要約

本の概要

人類学と聞くと辺境の地でそこに住む部族に入り込み、その人たちの文化を明らかにするものというイメージがあります。

しかし、人類学の本質は多文化の理解にとどまらず、人類とは何か、生きるとは何かという根本的な問いに答えようとしていることにあります。

このような根本的な疑問を追い続けているため、人類学が見出した答えには私たちにとってもとても有用なものです。

人類学についての多数の著作を持つ筆者が人類学において、特に重要な発見をしたと考えている4人の研究内容を通じて、人類学とは何か、人類学を学ぶ意味を知ることのできる本になっています。

この本や記事で分かること

・人類学とは何か

・人類学で著名な研究者の発見がどのように社会に影響をあたえてきたのか

・人類学を学ぶことの意義、意味

本の要約

要約1

人類学というと未開の部族に入り込み、フィールドワークを通じて、その人たちの文化を明らかにするものというイメージがあります。

しかし、人類学の本質は「人類とは何か」という問いを追い続けていくことです。

このような根源的な問いを追い続けるものであるため、人類学が見出した答えには私たちの物の見方や生き方を変える力があります。

人類学は大航海時代に外の世界、異なる文化に触れる機会が増えたことで、人間の本質や人間社会がどのように成立するかなどに関心が高まっていきました。

19世紀には人類学の基礎が出来上がりましたが、当時の人類学はヨーロッパの社会が上位にあり、外の世界が徐々に進化している途中とする進化主義的な考えが主になっていました。

20世紀に入ると、人類学者はそれまでの進化主義的な考えを、資料を読み漁り、頭の中でしか人間を知ろうとしていないものと批判し、フィールドワークに基づく新しい人類学を推進し、発展していきました。

要約2

人類学には特に重要な研究結果にたどり着いた4人の人物がいます。この4人の研究をもとにして、進化主義からの脱却、様々な人類学の発展、新しいものの見方、生についての考えかがひろがっていきました。

一人目のマルノフスキは、現地に住み込み、その土地の言語を身に着け、現地の人たちの行事、儀礼、仕事などの出来事に参加しながら、観察する参与観察という手法をあみだしました。

共同体の中に入りこみ、人間が生きているさまを観察したことで、は社会が儀礼や経済現象、呪術などが複雑につながりあって一つの統合体として成立していることを明らかにしました。

参与観察によって、一部でなく全体を通じて観察することで、他者の物の見方を尊重し、真の理解を示すことの重要性を示し、機能主義として理論化しました。

二人目のレビィ=ストロースは辺境の地に住む人々を野蛮人、未開人としてみることを非科学的なものとして、批判しました。

また、様々な文化を研究し、体系の中に普段は意識されていない構造が隠されており、人間の活動はその構造によって支えられていると考えました。この考えは構造主義につながり、欧米の思想界に大きな影響を与えています。

構造主義では、西欧社会の知を理性的で、辺境の地に住む人々を劣った人々とみなす見方を傲慢だとしています。今では当たり前のことですが、進化主義が主であった人類学に大きな影響を与えることになりました。

要約3

三人目のフランツ・ボアズはアメリカに人類学者で、当時のアメリカの、都市環境の悪化、貧富の差、黒人の市民権などの問題に直面するなかで、人類学を発展させてきました。

ネイティブアメリカンと移民に関する膨大なデータを集め、他民族がアメリカに移住して暮らし始めると徐々に頭の幅と長さの割合が移住先の人々の割合に似てくることを発見しました。

最も変わりにくい頭の形ですら変化するなら、そのほかの多くの特徴も変化すると考え、実際に様々な領域で、環境に応じて、変容する人間の適応能力の高さを明らかにし、人種による差別を行うナチスに対抗する言説となりました。

文化を相対的にとらえ、すべての文化に価値があり、敬意を払われるべきとする文化相対主義の基礎を築きました。

四人目のインゴルドは現代の人類学に大きな影響を及ぼしています。

インゴルドは自然と社会を切り分けて考える西洋の二元論的な思考法に違和感を持ち、人自然科学と人文学の間に広がるギャップを如何に埋めるかという問題意識をもっていました。そのような考えの中で、人間は動物的でありながら、同時に社会的関係の中を生きている生物社会的存在という結論にたどり着いています。

インゴルドにとって、人類学とは異文化理解の学問でも人間を探求する学問でもなく、世界の真っただ中に入り、人々とともに考えることです。

世界の真っただ中に入ることで、得られる知恵で知識をぐらつかせることで、知識偏重を脱し、知識と知恵を調和させていくことが重要だとインゴルドは述べています。

要約4

人類学は大航海時代に外の世界と触れる機会が増加したことで、異文化理解の学問として生まれ、育ってきました。

現代では、人間の内に迫る学問へと変化し、人間の生について学ぶ学問になっています。

この問いに挑んでいるのは、人間が本質的に生きづらさや生きにくさを感じているためであり、人類に共通する課題に取り組むことが人類学といえます。

外部に触れた際の得た気づきを手掛かりにすることで、自分自身の生の問いをより一層深め、自己を変容させることができます。

人類学とは何か

 人類学というと未開の部族に入り込み、フィールドワークを通じて、その人たちの文化を明らかにするものというイメージを持つ人が多くいます。

 それも一つの見方ではありますが、人類学の本質は「人類とは何か」という問いを追い続けていくことにあります。

 この根源的な問題を追い続け、悪戦苦闘するなかで見つけ出してきた答えは、私たちの物の見方や生き方を変えるものでもあります。

 人類学でも特に重要な4人の重要人物の考えや研究結果を通じて、人類学とはなにかを見ていく本になっています。

人類学というと未開の部族に入り込み、フィールドワークを通じて、その人たちの文化を明らかにするものというイメージがありますが、人類学の本質は人類学の本質は「人類とは何か」という問いを追い続けていくことです。

この根源的な問題を追い続けることで、見出した答えには私たちの物の見方や生き方を変える力があります。

なぜ、人類学が生まれたのか

 15世紀、ヨーロッパで大航海時代が到来すると、これまでとは違い、外の世界と触れる機会が増加するようになります。

 外の世界に触れ、異なる文化に触れることが増える中で、人間の本質や人間社会がどのように成立するかなどへの関心が高まっていきました。

 19世紀には人類学の基礎ができあがりますが、当時の多くの人類学では文化が徐々に進化していくという進化主義的な考えが浸透していました。

 しかし、20世紀の人類学者はこれらの進化主義的な考えを、資料を読み漁り、頭の中でしか人間を知ろうとしていないものと批判し、フィールドワークに基づく新しい人類学を推進していきます、

大航海時代に外の世界、異なる文化に触れる機会が増えたことで、人間の本質や人間社会がどのように成立するかなどに関心が高まっていきました。

その流れで、19世紀には人類学の基礎ができあがりますが、当時の人類学は文化は進化してくものという進化主義的な考えが主で、ヨーロッパの社会が上位にあるものとしていました。

20世紀に入ると、人類学者は進化主義的な考えを、資料を読み漁り、頭の中でしか人間を知ろうとしていないものと批判し、フィールドワークに基づく新しい人類学を推進していきました・

マルノフスキはどんな発見をしたのか

 マルノフスキはフィールドに出かけ、現地に住み込み、その土地の言語を身に着けることで調査を行いました。

 現地の人たちの行事、儀礼、仕事などの出来事に参加しながら、観察する参与観察という手法をあみだし、現場主義を徹した最初の人類学者でした。

 それまでの人類学は文化が直線的に進化するという考えがメインであり、文化の諸要素を全体から切り離し、時間的な前後関係に並べ替える作業が主な内容でした。

 マルノフスキは外から共同体を眺めるのではなく、共同体の中に入りこみ、人間が生きているさまを生々しく観察しました。

 共同体に入り込むことで、社会が儀礼や経済現象、呪術などが複雑につながりあって一つの統合体ととして成立していることを明らかにしています。

 マリノフスキはその複雑なつながり合いを機能主義として理論化し、旧来の人類学を打ち破っています。

マルノフスキは現地に住み込み、その土地の言語を身に着け、現地の人たちの行事、儀礼、仕事などの出来事に参加しながら、観察する参与観察という手法をあみだしました。

文化の諸要素を全体から切り離し、時間的な前後関係並べるという従来の人類がとは違い、共同体の中に入りこみ、人間が生きているさまを観察しています。

マリノフスキは社会が儀礼や経済現象、呪術などが複雑につながりあって一つの統合体として成立しており、その複雑なつながり合いを構造主義として、理論化し、旧来の人類学を打ち破りました。

機能主義はなぜ、重要なのか

 機能主義とは様々な部分が全体に対してどのように働いているかを探り、全体がどのように成り立っているかを理解しようという立場です。

 自分のやっていることが社会や組織という全体の中で、どのような意味を持ち、機能しているかを客観的に捉えることは、生きていくうえでとても重要な視点であり、現代社会にも息づいている思考法とも言えます。

マリノフスキは人間社会全体を知るには、ひとりひとりの人間の心のありように注目しなければならないと考えていました。

 社会や文化、生理や心理をばらばらに捉えるのではなく、すべてを通じて考察することで、人間の生の全体の理解に到達できると考えていました。

 社会の骨組みを知るだけでは充分でなく、現地の人ありふれたやり取りも含め考察することが必要であり、そのためには、参与観察で観察だけでなく、自身も参加することが不可欠でした。

 参与観察によって、マリノフスキがなりよりも重要にしていたのは他者の物の見方を尊重し、真の理解を示すことでした。その視点から生の全体を示したことがマリノフスキの大きな功績でした。

マリノフスキは人間社会全体を知るには、社会や文化、生理や心理をばらばらに捉えるのではなく、すべてを通じて考察することで、人間の生の全体の理解に到達できると考えていました。

参与観察によって、一部でなく全体を通じて観察することで、他者の物の見方を尊重し、真の理解を示すことの重要性を示し、機能主義として理論化しています。

機能主義とは全体がどのように様々な部分から成り立っているかを理解しようという立場であり、現代においても息づいている思考法です。

レビィ=ストロースはどのような人類学者なのか

 私たちは、辺境の地に住みむ人々を文明から取り残された人として、野蛮人、未開人呼ばわりしてきました。

 レビィ=ストロースはこのような考え方を非科学的なものとして、批判しました。辺境の地に住む人々の考え方は私たちの物と大きく異なりますが、私たちが気づかないだけで、非常に研ぎ澄まされたものがたくさんあります。

 例えば、父と母と子による関係性を家族の基本単位とし、それに当てはまらない家族形態を持つ社会を原始的な習慣とみなしがちですが、これもそれぞれの社会や共同体の持つ規則の違いにすぎません。

 レビィ=ストロースは体系の中に普段は意識されていない構造が隠されており、人間の活動はその構造によって支えられていると考えました。この考えは構造主義につながり、欧米の思想界に大きな影響を与えるものでした。

レビィ=ストロースは辺境の地に住む人々を野蛮人、未開人としてみることを非科学的なものとして、批判しました。彼らの考えは、私たちとは異なってるだけで、非常に研ぎ澄まされたものを持っていることを示しています。

レビィ=ストロースは体系の中に普段は意識されていない構造が隠されており、人間の活動はその構造によって支えられていると考えました。

この考えは構造主義につながり、欧米の思想界に大きな影響を与えるものでした。

構造主義は人類学の考えをどのような変えたのか

 構造主義では、人間の精神は進歩するのではなく、最初から完成しているとしているとしており、西欧社会の知を理性的で、辺境の地に住む人々を劣った人々とみなす見方を傲慢だと考えます。

 今では当たり前の感覚ですが、19世紀までの進化論的な人類学では、辺境に住む人々を未開人と考え、その文化を下に見ることも多く、レビィ=ストロースはの構造論は大きな影響をもたらしました。

 現在では、構造主義では、現代社会の変化を説明しきれないという批判もありますが、今でも多くの知恵を与えてくれるものです。

構造主義では、人間の精神は進歩するのではなく、最初から完成しているとしていると考えるため、西欧社会の知を理性的で、辺境の地に住む人々を劣った人々とみなす見方を傲慢だと考えます。

今では当たり前ですが、当時の人類学は進化主義的であり、辺境に住む人々を未開人と考える傾向があったため人類学に大きな影響を及ぼしました。

フランツ・ボアズは何を発見したのか

 アメリカの人類学者であるフランツ・ボアズも多くの業績を残しています。

 当時のアメリカは先住民と移民であるヨーロッパ人とから成り立っており、遠く離れた地ではなく、自分たちの住む場所で先住民に対する研究が進められてきました。

 また、20世紀に入り、工業化が進んだことで、都市環境の悪化、貧富の差、黒人の市民権などの問題が噴出しており、そのような時代に直面し発展してきたのがアメリカの人類学でした。

 ボアズはネイティブアメリカンや移民に関する膨大なデータを集め、そこにみられる理論を見つけ出していきました。

 移民の子供たちのデータから、違うところから移住してきた他民族がアメリカに移住して暮らし始めると徐々に頭の幅と長さの割合が移住先の人々の割合に似てくることを発見しました。

ボアズはアメリカの人類学者であり、当時のアメリカの、都市環境の悪化、貧富の差、黒人の市民権などの問題に直面し人類学を発展させてきました。

ネイティブアメリカンと移民に関する膨大なデータを集め、他民族がアメリカに移住して暮らし始めると徐々に頭の幅と長さの割合が移住先の人々の割合に似てくることを発見しました。

ボアズの発見にはどんな意味があったのか

 ボアズはこの発見から、移住先のアメリカという環境で身体的な変化が起こることがあると結論付け、最も変わりにくい頭の形ですら変化するなら、そのほかの多くの特徴も変化すると考えました。

 その後、様々な領域で、環境に応じて、変容する人間の適応能力の高さが明らかになっています。

 人間は先天的に特徴が決まっているのではなく、置かれた環境によってどんどん変化する生き物であることは人種を変わらないものとすることは、ユダヤ人の根絶を謳うナチスドイツに対抗する言説でした。

 ボアズはあらゆるデータを蓄積し、社会をひとまとまり、全体的(ホリスティック)にとらえることの重要性を強調していました。

 文化とは絶対的なものでなく、相対的なモノであり、すべての文化に価値があり、敬意を払われるべきとする文化相対主義の基礎を築いたのがボアズでした。

 現在のアメリカの人類学は多彩な分野に分岐していますが、その基盤にあるのは、全体的な観点から性のありかたを研究するボアズの伝統を引き継いでいます。

ボアズは最も変わりにくい頭の形ですら変化するなら、そのほかの多くの特徴も変化すると考え、実際に様々な領域で、環境に応じて、変容する人間の適応能力の高さを明らかにしました。

人間は先天的に特徴が決まっているのではなく、置かれた環境によってどんどん変化する生き物であるという主張は、ユダヤ人の根絶を謳うナチスドイツに対抗する言説でした。

ボアズはあらゆるデータを蓄積し、社会をひとまとまり、全体的(ホリスティック)にとらえることの重要性を強調し、文化も絶対的なものでなく、相対的なものと考えています。

すべての文化に価値があり、敬意を払われるべきとする文化相対主義の基礎を築いたのがボアズでした。

ティム・インゴルドはどんな人類学者なのか

 現代の人類学で大きな影響を及ぼしているのが、それまでの学者とは異なるアプローチで人類学を推し進めたティム・インゴルドです。

 インゴルドは自然と社会を切り分けて考える西洋の二元論的な思考法に違和感を持ち、人間は常に動物的な存在であり、同時に社会的関係の中を生きている生物社会的存在だと捉える考えにたどり着きました。

 インゴルドは、人自然科学と人文学の間に広がるギャップを如何に埋めるかという問題意識から人類学に取り組むことで、人間が常に生物的特性と社会的特性を併せ持つという結論にたどり着きました。

ティム・インゴルドは異なるアプローチで人類学を推し進め、現代の人類学で大きな影響を及ぼしています。

インゴルドは自然と社会を切り分けて考える西洋の二元論的な思考法に違和感を持ち、人自然科学と人文学の間に広がるギャップを如何に埋めるかという問題意識をもっていました。

そのような考えの中で、人間は動物的でありながら、同時に社会的関係の中を生きている生物社会的存在という結論にたどり着きました。

インゴルドにとって人類学とは何か

 インゴルドは生きていることは、道や線に沿って進んでいくことだと考えています。

 生きているとは様々なモノとの関係からなる世界で、生きるやり方を見出していくプロセスであり、自分や他人が別個に存在するのではなく、それぞれが関わることで初めて生まれるものと考えています。

 インゴルドにとって、人類学とは異文化理解の学問でも人間を探求する学問でもなく、世界の真っただ中に入り、人々とともに考えることです。

 インゴルドは知識だけでなく知恵を身に着けることが重要であることを示唆しています。

 知識はそれを得た人に力を与えてくれますが、知識の要塞に立てこもると、周りで起きていることに注意を払わなくなってしまいます。

 フィールドワークを通じて、世界の中に飛び込んで得られる知恵は知識からなる世界をぐらつかせるものであり、現代の知識偏重を脱し、知識と知恵を調和させていくことが重要だとインゴルドは述べています。

インゴルドにとって、人類学とは異文化理解の学問でも人間を探求する学問でもなく、世界の真っただ中に入り、人々とともに考えることです。

そのような考えのなかでは、知識だけでなく知恵を身に着けることが重要であると考えています。

フィールドワークを通じて、知恵で知識をぐらつかせることで、知識偏重を脱し、知識と知恵を調和させていくことが重要だとインゴルドは述べています。

人類学は私たちに何をもたらすのか

 人類学は大航海時代に外の世界と触れる機会が増加したことで、異文化理解の学問として生まれ、育ってきました。

 多くの外部の社会でフィールドワークを行い、人間とは何か、社会、文化について研究してきましたが、現代では人間の内に迫る学問へと変化しています。

 現在の人類学はインゴルドが主張したように、周囲の人とともに、人間の生について学ぶ学問です。

 人類学の生きているという問いに挑む理由は、人間が本質的に生きづらさや生きにくさを感じているためです。誰もが抱える生きていくうえでの悩みや困難という人類に共通した課題に取り組むことが人類学といえます。

 普段の世界の少し外側、言ったことのない場所に行き、五感をフルに働かせて、そこにいる人々を見つめてみることでが人類学実践の第一歩です。

 外部に出ると訪れる前に思い描いていたものとは違っていることに気づきます。そのことを手掛かりに、自分自身の生の問いをより一層深め、自己を変容させることができます。

現代の人類学は人間の内に迫り、生きているという問いに挑むものです。

この問いに挑んでいるのは、人間が本質的に生きづらさや生きにくさを感じているためであり、人類に共通する課題に取り組むことが人類学といえます。

外部に触れた際の得た気づきを手掛かりにすることで、自分自身の生の問いをより一層深め、自己を変容させることができます。

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