その働き方、あと何年できますか? 木暮太一 要約

本の概要

 働き方改革で労働時間が短くなっても、働くことに情熱を持てない人は少なくないと思います。私たちが働くことに情熱を持てないのは単に、労働時間が長すぎて疲れているからだけではありません。

 本書ではモノがあふれ、周囲の目を気にしすぎることで、本当に自分のやりたいことをしたり、欲しいのものを生み出すことができなくなっていることが大きな要因としています。

 なぜ仕事に情熱を持てないのか、自分たちのやりたいこと、欲しいものを生み出さないのかを知ることができる本になっています。

この本がおすすめの人

・仕事の時間は減ったのに、やる気が出ない人

・自分のやりたいことはあるのに、できていない人

・情熱をもって取り組む仕事を探すにはどうすればよいか知りたい人

本書の要約

社会人は自分たちの働き方をどう考えているのか

 若手~中堅の人々の間に「あと何年、この働き方ができるのか」、「本気で働き方を考えないと」というフレーズがよくみられる。

 多くの人が求めていたのが今の働きかたではないと感じている。

 体力的な問題だけでなく、日々の仕事にあまり熱意をもてない、生活のために働かなければならないがゴールが見えないと感じている人が非常に多い。

今の働きかたが求めてきた働きかたと考えている人は少なく、熱意をもって働いている人も少ない

なぜ熱意をもてなくなっているのか

 高度成長期なども超長時間労働だったが、との時期には道路や橋などのインフラも足らず、自動車や冷蔵庫などの日用品も不足しており、社会に足りていない部分が明らかだった。

 現代は、その目的はどんどん小さくなり、明確なやるべきことが残っていない社会になっている。

 0から1を生み出すには大きな労力が必要。一方で10,000のものを10,001にすることは、変化が感じられないような些細なことに情熱を注がなくてはならず、精神的にとてもしんどいことになる。

社会に足りない部分が少なくなり、明確なやるべきことが減り、些細な事しかやることがないため、情熱をもてなくなっている。

働き方改革は熱意を高めているのか

 働き方改革も進んでいるが、仕事のやりがいが向上し、仕事ストレスが減っている人は少ない。

 仕事をするのは最終的には自分のため。自分のゴールがありそれを叶えるために手段として企業に就職したり、ビジネスを行うことが、その視点が抜けている議論は多い。

 企業で働く人が生産性、効率の向上を達成したところで自分のためになっていないため、熱意を持って働く人も少なくなってしまう。

働き方改革は企業の生産性や効率性を高めることが先行し、個人のためになっていないため、熱意をたかめてはいない。

個人個人では何を意識すべきか

 我々が自己生産性を上げることを考えるべき。自己生産性とは自分が望む状態に近づいていくこと。主に

・経済状況:経済的な安心感がある

・自己存在感:誰かに頼られたり、貢献していると感じる

・回避能力:嫌いなものを避けられること

の3つの要素を改善していくことや多様な選択肢を持つことで自己生産性をあげることができる。

自分が望む状態に近づくために自己生産性をあげることを考えるべき。

なぜ情熱を持てない仕事が多くなるのか

 資本主義は自由競争で各自が利己的にふるまうことで、全体としては最適化されるという考えのもと発展してきたが、資本家が機械や工場を独占したことで生産設備をもたない労働者は資本家のもとで働かなければならなくなっていき、働く=企業への就職となっていった。

 現在では長大な生産設備は必要なくなっている分野も多く存在するが、多くの人はそのまま就職することを続けている。

 資本主義経済では常にライバルとの競争となり、徐々に利益が下がっていくことはよく知られているが同じような製品であふれることで製品の意義も徐々に失われていく。

 製品やサービスの意義が小さくなる中でさらなる改善や改良をおこなっていくのは、意味が小さくそのような仕事を行うことは精神的に厳しい。

 労働時間が短くなっても労働者としての満足度が上がらないのは、意味の小ささが大きな原因。

 本来であれば、やる必要のない仕事は増えており、もっと短い労働時間で事足りる世の中になっているが、フルタイムで働くことが前提となっているため、無駄な仕事を作ることで空白の時間を埋めている場合も少なくない。

資本主義化では常にライバルとの競争になるため、同じような製品であふれ製品の持つ意義は小さくなっていき、情熱をもって取り組むことは難しくなる。

また、仕事量が減っても、フルタイムでの勤務が前提になっており、空白の時間を埋めるために無駄な仕事を作っていることも少なくない。

日本の社員の情熱が特に低いのはなぜか

 特に日本では労働を楽しいこととしてとらえ、好きなことで生きていくことを道徳的に許さない側面が強い。

 労働が誰かに貢献しているかではなく、苦しんでいるか、汗水たらして働いているかとする考え方がいまだに多く残っているため、好きなことで働くことを否定しがちになっている。

 また、お金が卑しいものという考えもあるため、報酬は精神的な評価でもらうべき、お金に関する知識を得るべきではない、お金について交渉すべきではないなどの傾向も強い。

日本人は仕事は苦しいことや大変なことを我慢することという考えが強く、好きなことで働く、楽しんで働くことを否定しがちなためより情熱をもって仕事をしにくい。

なぜ、これほど自分の好きなことができないのか

 人間は社会の評価や自分のしたことに世間から賛同してほしいという同調願望を持っている生き物。

 善悪の基準や道徳観などは、社会ともに変化するが自分だけで決めるのではなく、周囲の人との関係の中で出来上がっていく。

 人の目を気にすること自体は社会の中で生きていくために欠かせないが、あまりに行き過ぎると過剰に平等を求めたり、同調圧力で他人の目を気にしすぎて動けなくなることもある。

 また、ネットの普及でマイナーな意見がクローズアップされる環境と相まって、他人の目が気になったり、炎上を恐れ、自分の感情や願望を表に出すことができなくなっている。

人間の同調願望が強く、人からどう見られているかを非常に気にするため、自分が好きなことでも人からどうみられるか評価されるかを気にしてしまい、動けないことも多い。

人の目を気にすることは生きていくうえで欠かせないが、行き過ぎると同調圧力となってしまう。ネットによって今まで見えなかったマイナーな意見まで目にすることは同調圧力を強くしている側面もある。

人の目を気にすることは製品やサービスにどう影響するか 

 自分の感情や願望を出せないことは製品やサービスにもおよび、できる限り批判されない「真っ白な製品」が求められるようになっている。

 真っ白な製品を作るためには、誰からも日案されないような性能を改良することになるが、重箱の隅をつつくことになり、情熱を持って取り組むことは難しく、消費者側も本当に欲しいとは思っていないため売れることもなくなってしまう。

 これまで新しい製品を考える際には

・プロダクトアウト:自分たちにできることから、どんものを作るか考える

・マーケットイン:市場が求めているものをつくる

の二つがある。日本企業はプロダクトアウト型で製品開発を行ってきており、マーケットインがたに切り替えるべきとの声もある。

 しかし、消費者側も真っ白なニーズしか出てこないため結局うまくはいかない。

炎上を恐れるあまり、誰からも批判されない製品やサービスしか生まれなくなっている。

市場が求めるものを作っても、消費者側も炎上しない要望しか出せないため、実際には大してほしくないため、開発しても売れないこととなる。

今後どのような製品やサービスを生み出していくべきか

 これから重要となるのはフロンティアニーズ。こういうことをやりたいけど否定的な意見もあるかもと躊躇して手掛けてこなかったようなニーズが重要になっていく。

 人目を気にして手を出さなかったような領域には多少の反対意見もあるが、大きな需要があることが多い。

 企業は利己的に利益を最適化していくように活動していくはずが、体裁を気にして利益を追い求めず、無難なニーズを追い求めてしまっている。

 なにかを追い求める際に周囲からの非難を避けたいと思うのは当然だが、譲れないものである思うようなものであれば、外野の声があっても、前に進めるはず。

これから重要となるのは人目を気にして手を出せなかったフロンティアニーズ。

多少批判はあっても大きな需要があることも多い。批判を避けたいのは当然だが、譲れないものであれば情熱を持って、前に進めるはず。

感想

 働き方改革で労働時間が短くなったのに、仕事に情熱をもって取り組むことができていない人は少なくないと思います。

 今の私たちが仕事への情熱を失っているのは、ただ単に労働時間が長いからではなく、新しく必要なものが少なくなり、仕事に明確な目的を持てないことが大きな原因であるという本書の指摘にはうなずかされる部分も多かったです。

 自分のやりたいことを人に批判されてもやりきることは難しいですが、これ以上、誰からも批判されないような新しいものはほとんどなく、人から多少の反対がある部分にこそチャンスがあるというのも納得でした。

 当然、逆風も大きいですが、その中でもやりたいようなことでなければうまくいかないというある種単純な結論ですが、そのようなやりたいことを見つけたいと改めて思いました。

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