日本の死角 現代ビジネス編 要約

本の概要

いま日本はどんな国なのか?私たちはどんな時代を生きているのか?日本の本当の姿を知ることが日本の抱える問題を解決するためには欠かすことができません。

しかし、多くの日本人は間違った常識や先入観を持っています。

間違った常識や先入観のもとで思考してしまえば、本当に有効な解決法を考えることはできません。

本書では、様々な視点を通じて、日本人のもつ誤った先入観について言及し、様々な問題の本当の原因や対処法は何なのかを知ることができます。

この本がおすすめの人

・日本の抱える問題について知りたい人

・なぜ、日本の抱える問題がなかなか改善できないのか知りたい人

本の要約

要約1

日本は問題が山積みですが、国の形や制度が劇的に変わることはなく、旧態依然のままになっています。

問題の解決しようとしても、間違った常識や先入観のもとで思考してしまえば、解決することはできません。そのため、今必要なことは、様々な謎や論点を正しくとらえ、常識や固定概念を解きほぐし、問い直すことです。

日本の問題は下記のように分類ができます。

1.勘違いや思いこみ、誤った先入観

2.表層的な面でしか物事を見ず、本質を見逃してしまう

3.見たいものしか見ず、臭いものに蓋をして問題を誤認したり、先送りする

要約2

勘違いや思い込みに、誤った先入観がもたらす問題には以下のようなものがあります。

・根拠もなく日本人は集団主義と思い込んでしまう

・詳しく調べずに、ハーバードなどのアメリカの教育を参考にすべきと提言してしまう

・若い世代の時代背景を考慮せずに態度だけからやる気がないと判断してしまう

・少子化=結婚数の減少と勘違いしてしまう

・糖質制限は原始の生活と同じだから健康に良いはずと考えてしまう

要約3

表層的な面でしか物事を見ず、本質を見逃してしまうこともよく見られます。

・移動の減った原因は経済、学歴などの格差だが、世代や考えの違いと考えてしまう

・中国の発展を本気にせず、チャンスを逃してしまう

・暴力には敏感だが、拘束などの静かな虐待に鈍感

要約4

臭い物に蓋をする、事なかれ主義など問題を先送りすることも下記のような問題を引き落としています。

・教育現場での政治の行き過ぎたタブー化

・いじめの蔓延

・被災者支援が諸外国のレベルに比べて低い

問題の解決のためには、本当の原因を知らなければ正しい対処はできません。まずは日本の抱える問題を知ることから始め、対処法を考えていく必要があります。

日本の抱える問題の解決には何が必要か

 日本は問題が山積みですが、国の形や制度が劇的に変わることはなく、旧態依然のままになっています。

 問題の解決しようとしても、間違った常識や先入観のもとで思考してしまえば、解決することはできません。そのため、今必要なことは、様々な謎や論点を正しくとらえ、常識や固定概念を解きほぐし、問い直すことです。

 なぜやそもそもといった視点から日本を見ていくことで、事態をより深く、理解し、「日本の視覚」である論点を再考することが重要です。

 現在ビジネスに掲載された様々な筆者による論考から新しい視点を得ることができる本になっています。

間違った常識や先入観のもとで思考してしまえば、問題の解決はできません。今必要なことは、様々な謎や論点を正しくとらえ、常識や固定概念を解きほぐし、問い直すことです。

日本人=集団主義という考えは本当か?

 日本人は個性がなく、集団主義という考えは常識になっていますが、科学的な根拠はありません。

 集団にどれくらい同調するかを調べる調査では、個人主義的なイメージ強いアメリカ人と比較しても、あまり差はなく、日本人が特に集団主義的であるという結果は出ていません。

 このような間違いは基本的帰属錯誤とよばれるバイアスによるものです。

 人の行動の原因を置かれた状況ではなく、その人の特性と勘違いしやすいバイアスは極めて強く働きます。

 世界大戦後などでの日本人の戦時中の集団的な行動は、日本人の集団主義を象徴するような行動と思われていますが、外敵に対する普遍的な反応であり、アメリカでも同じよう行動がみられています。

日本人には個性がなく、集団主義という考えは常識になっていますが、科学的な根拠はありません。様々な調査では日本人が特に集団主義であるという傾向は見られていません。

日本人はなぜ、移動しなくなったのか

 日本人の地方から都市への移動するひとが減少しています。地方での暮らしが快適なった側面もありますが、移動の減少には格差をともっています。

 大学進学や就職のために都市に出る人の数はあまり減っていません。

 つまり、学歴や資産を持っている社会的な強者だけが都市に出ていける状態に変化しています。

 地方に残る人々が固定化され、序列が明らかになり、抜け出したくても抜け出せないような状況にもなっています。

日本人の地方から都市への移動するひとが減少していますが、その理由は格差が関係しています。学歴や資産を持っている社会的な強者だけが都市に出ていくことができ、出ることのできない人が地方に残るという形になっています。

日本の教育はハーバードを参考にすべきなのか

 ハーバードやシリコンバレーの教育を理想として、日本の教育政策提言されることが多く見られますが、日本の状況とあっているかどうかが議論されることはあまりありません。

 教育分野の提言は理論的、実証的な裏付けがなくてもハーバードやシリコンバレーなどのネームバリューでもっともらしさを持たせてしまうことが多く見られます。

 実際のアメリカの教育制度は、州ごとの自由度が高い反面、大きな格差が生まれています。州の所得とテストのスコアに相関がある、マイノリティの排除がみられるなどアメリカの教育制度には平等性に大きな問題を抱えています。

 シリコンバレーやハーバードなどでのアメリカの教育制度はごく上澄みです。日本の平均とアメリカの上澄みでは比較として成り立っていません。

 日本の教育に問題があるのは事実で、アメリカから学べることもありますが、シリコンバレーやハーバードで見たなどの雑な教育論ではなく、知識と分析スキルを持った専門家の議論を聞くべきです。

日本の教育に問題があり、アメリカから学べることもありますが、格差が多く平等性に欠ける面もあります。シリコンバレーやハーバードなどでのアメリカの教育制度はごく上澄みであり、そのまま日本が参考にすることができないことを意識すべきです。

中国の発展をどう捉えるべきか

 中国南部の都市、深センは猛烈な勢いで、成長しています。

 発展の要因は、現地企業の意思決定の速さや豊富な若い労働力などです。

 しかし、深センの技術力は高くてもコンテンツのクオリティは低く、日本から輸出する余地は十分にあります。

 昔、アメリカに対して若手として仕事をしてきた人たちが管理職になっています。当時と同じように若手に裁量を与え、中国での仕事をさせることができれば大きなチャンスとなる可能性があります。

深センは現地企業の意思決定の速さや豊富な若い労働力などで猛烈な勢いで成長しています。

以前アメリカと仕事をした時の様に、若手に裁量を与え、中国と仕事をさせるべきです。

政治を教育でどう教えるべきか

 日本と中国のエリートと呼ばれるような学生たちの討論会で文化の多様性について、論じると日本は同調性が高く、文化の多様性を認めず、中国は少数民族の文化は多様性を認めていると論じられていました。

 このような視点を持ってしまうのは抑圧された人々の声を聴くのではなく、政府などの発表を鵜吞みにしているから起きると考えられます。

 特に、日本の教育では、政治的な中立性が求められるあまり、政治的な議論がなされていません。しかし、現実の社会には問題が山積みで考える力や行動する力を持つことが求められています。

 民主主義国家の基礎を崩さないためにも、行き過ぎた政治のタブー化はやめるべきです。

日本の教育では、政治的な中立性が求められるあまり、政治的な議論がなされていませんが、民主主義国家の基礎を崩さないためにも、行き過ぎた政治のタブー化はやめるべきです。

若い世代は本当にやる気がないのか

 多くの若者は個性的だねという言葉をとても否定的にとらえる傾向にあります。人間関係の流動性が高い、若い世代では周りから浮かないことを優先するため、個性的という言葉にマイナスのイメージをもっています。

 また、がつがつさがない、やる気がないとみられることもありますが、ここでも集団で浮かないような態度をとっているだけです。

 やる気のない人間というわけではなく、人間関係に過度に気遣いをする人々と考える必要があります。彼らの生きてきた環境に想像力を巡らせ、憂うのではなく、理解することで、新旧どちらの世代にも恩恵があり、日本社会にプラスになっていきます。

個性的という言葉を否定的にとらえるなど、集団で浮くことを強くさける傾向にあるため、やる気がないようにみられることもあります。

人間関係に過度に気遣いする人々と考え、理解するころで新旧どちらの世代にも恩恵があります。

なぜ、日本ではいじめがなくならないのか

 日本の学校では、以前からいじめが大きな問題になっていますが、いまだに解決していません。

 学校は市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、強制的にべたべたさせる生活環境であるため、いじめを蔓延させ、エスカレートさせてしまいます。

 多くの人はいじめという言葉を使うことで、物事を正義ではなく、教育の問題としてあつかってしまいます。

 社会では名誉棄損、侮蔑、障害、暴行、脅迫とされるような行為であっても、教師が行えば教育の一部とみなされたり、加害者が生徒であれば犯罪であっても、いじめとして教育の問題とされてしまいます。

 理不尽なことが続くのは人がそれを当たり前と思うからです。当たり前と思っていることでもよく考えたらおかしいことは多くあり、まずはそれに気づくことが重要です。

遮断した閉鎖空間に閉じ込めることがいじめを蔓延、エスカレートさせます。またいじめという言葉で犯罪ではなく、教育の問題としてあつかってしまいます。

理不尽なことを変えるには、まず、それに気づくことが重要です。

少子化の原因は何か

 日本の少子化の原因は、結婚した夫婦の子供の数が少ないのではなく、結婚しない人の割合が増えたことにあります。

 結婚が減っている理由には上昇婚の影響があります。女性の地位が低かったかつての日本社会では女性が収入、地位、学歴の高い男性と結婚することが一般的でした。

 女性の地位は向上しましたが、上昇婚の考えが残っており、結婚を減少させている理由に一つになっています。

 実際に、下降婚の多い国ほど、出生率が高い傾向が確認されています。

 人を拘束してきた規範や秩序が揺らぎ新しい選択肢が提示されると、却って過去からの伝統を呼び戻し、すがってしまいます。結婚に関する考えの変化も昔ながらの伝統にひきづられたことが出生数減少の原因になっています。

日本の少子化の原因は、結婚した夫婦の子供の数が少ないのではなく、結婚しない人の割合が増えたことにあります。

昔からの価値観にひきづられたことが結婚しない人の数を増やした大きな原因となっています。

糖質制限は本当に健康なのか

 糖質制限などで穀物を摂取しないようにしている人が増えています。

 原始時代の人類は糖質の摂取が少なかったことから、糖質の少ない食生活が人間本来の食事とされていますが、原始時代の食生活には不明な部分が多い、農耕から1万年たっており、適応進化するには十分な時間が経っているなどの反論もあります。

 特に、やせすぎが問題になることが多い日本では、糖質制限が健康につながるとは限りません。

 糖質制限は食べたいけどやせたいという願望を叶えるものですが、食べ物に溢れ、やせていることが評価される社会は特殊な価値観を持っているとも言えます。

 糖質制限が本当に人類の健康食なのかあらためて考える必要があります。

統率制限はべたいけどやせたいという願望を叶えるものですが、食べ物に溢れ、やせていることが評価される社会は特殊な価値観を持っているとも言えます。

また、やせすぎが問題になることが多い日本では、糖質制限が健康につながるとは限らないことも理解しておくべきです。

なぜ、丁寧な暮らしに批判が集まるのか

 丁寧な暮らしという言葉が2010年後半に流行してきました。

 高度成長期の日本では、専業主婦が多く、洗濯機などで家事の負担が軽減し、家事に手をかけることが必要なことから趣味の領域に入り始めたことで、最初の丁寧なくらしという考えがブームとなりました。

 仕事を始める女性も増えつつある中で、専業主婦が自らの存在価値を示す意味もあり、大きなブームとなりました。

 現在は、変化のスピードの加速によるストレスや東日本大震災などで暮らしの根本を揺るがされた人たちが中心となっています。

 一方で、SNSで公開した丁寧な暮らしを批判する動きもあります。日々の暮らしに余裕のない人たちからするとSNSにある丁寧な暮らしにイラつきを覚えることもあります。

 丁寧な暮らし批判は、心に余裕をなくす、現代社会のありようを映し出しています。

日々の暮らしに余裕のない人たちからするとSNSにある丁寧な暮らしにイラつきを覚えることもあります。

心に余裕のない現代社会のありようを映し出しています。

死後離婚とは何か

 現在、死後夫と別のお墓に入ることを選択したり、配偶者の死後、配偶者の親族と縁を切る死後離婚などを選択する女性が増えています。

 必ずしも配偶者と不仲だったわけではありませんが、家族関係を自分で選択したり、解消したりすることが一般的なものへと変化しています。

配偶者の死後、配偶者の親族と縁を切る死後離婚などを選択する女性が増えています。

日本の被災者支援の問題は何か

 日本は災害が多く発生する国にもかかわらず、避難所はいまだに体育館で行われています。

 日本と同じく地震の多いイタリアでは、災害用のテントや公費によるホテルへの避難が行われています。

 この違いは災害対策を自治体に任せきりにせず、国家が備蓄することで迅速な対応を可能にしている点にあります。

 日本の避難所は赤十字などの策定した最低基準すら満たしていない状況です。

 日本政府はあくまでも、自己責任を基調としていますが、赤十字などの国際基準では、避難者が援助を受けることは権利であり、それを国が援助することは義務と考えられています。

 日本でも災害時の支援をものへの支援から人への支援へ転換することが求められています。

海外では、災害用のテントや公費によるホテルへの非難が一般的ですが、日本ではいまだに体育館での非難が行われています。

日本でも災害時の支援を国家が管理し、自己責任から脱居すること、ものへの支援から人への支援へ転換することが求められています。

フクロウカフェの問題は何か

 外見の可愛さなどからフクロウカフェが人気を集めていますが、フクロウに大きなストレスを与え得てしまっています。

 飛ぶことができずに拘束され、自由に水を飲むことができない、騒音の多い環境、夜行性にもかかわらず、常に明るい環境におかれるなどフクロウは大きなストレスを感じています。

 私たち日本人は殴る蹴るなどの暴力には敏感ですが、拘束などの静かな虐待には鈍感になりがちです。

 アニマルウェアフェアや動物福祉という観点をもって野生動物と向き合うことが求められています。

フクロウカフェはフクロウに大きなストレスを与えてしまっています。

日本人は拘束などの虐待には鈍感になりがちですが、動物福祉の観点を持つことが求められています。

性暴力とどのように向き合うべきか

 性暴力は私たちの心をざわつかせるものですが、日常生活の中にあるもので、目を背けがちです。

 加害者と被害者を同じ空間に集めて、議論する試みも行われていますが、日本は被害者に沈黙を強いてしまう風潮が強くあります。

 被害者へ沈黙を強いていることは、加害行為を促進してしまう可能性があります。また、加害者になるにも理由や時代背景が大きく関係しています。

 加害者、被害者の声を聴くことで、多くのモノを得ることができる可能性があります。

日本では、性暴力に目を背け、被害者、加害者ともに沈黙を強いる傾向にありますが、それぞれの声を聴くことで、多くのモノを得ることができる可能性があります。

差別とはどのように向き合うべきなのか

 多様性が重視される中で、差別は悪いものとして扱われています。

 しかし、差別はどこでも見られる常態化したものです。差別されるイメージのある黒人も中国人を差別したり、アフリカでも民族間の差別があるなど世界中で差別は見られています。

 人間が自分と他を区別することは、本能的なものであるため、差別はどこにでもあり、誰もが持つものです。

 差別をした人を攻撃するのではなく、差別が生み出される環境を理解すること、区別が他者を抑圧する方向に変えないような意識、仕組みが必要になっています。

人間が自分と他を区別することは、本能的なものであるため、差別はどこにでもあり、誰もが持つものです。

差別をした人を攻撃するのではなく、差別が生み出される環境を理解し、区別が他者を抑圧する方向に変えないような意識、仕組みが必要です。

人種差別の是正には何が必要なのか

 人種差別を是正するには、ただ自分が傷ついたと声を上げるだけではなく、寛容さを持つことも求められています。

 被害者が声を上げる権利は重要ですが、差別された側がすべての差別に反応していると未来の世代も差別されたと戦う道しかないと勘違いしてしまいます。

 差別を生み出す原因の一つは簡略化されたデータ社会にもあります。

 目に見えないものや言葉にできないものを信じなくなり、データでカテゴライズしすぎたことで大衆がその枠を超えて考えることを難しくしています。

 多様な視点、柔軟な考え、統一性を求めすぎる時代で戦う以外に方法があることを伝えていくことが求められています。

被害者が声を上げる権利は重要ですが、戦う方法以外にも人種差別を是正する方法があることを伝えていくことも求められるようになっています。

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