無理ゲ―社会 橘玲 要約

本の概要

 攻略が極めて難しく、クリアできないようゲームことを無理ゲーと呼びますが、現代の社会では生きることそのものの難易度が上がり、無理ゲーと感じる人が増加しています。

 リベラル化による自分らしく生きるという生き方が自由を獲得した半面、自分らしく生きるべきという呪いに捉われてしまいます。

 また、階級社会では自分が成功できなくても社会のせいにできますが、公平な社会で成功できないのは自分が劣っているせいと考えてしまいます。格差の広がりで競争の条件が不公平であるにもかかわらず、強制的に競争に参加させられる状況を無理ゲーととらえる人が増加しています、

 もしも金銭的な問題が解決しても評判で格差がつく社会がやってきます。評判は分配できないためさらに格差は広がっていくようになります。

この本がおすすめの人

・生きていくことが難しくなっている原因を知りたい人

・多くの人がどんな不安をもっているのか知りたい人

・社会の生きにくさをどうすればよいか知りたい人

橘玲の新著(バカと無知 人間、この不都合な生きもの)の要約はこちら

本書内でも言及されている同テーマのマイケルサンデル 実力も運のうち能力主義は正義か?の要約はこちら

多くの人は生きるうえでどんな不安を持っているのか

 ある政治家がSNSであなたの不安を教えてくださいと聞いたところ、早く死にたい、生きる意味が解らない苦しまずに自殺する権利を法制化してほしいなどの要望が殺到しました。

 筆者はこのような状況に直面している人々は単なる生きづらさではなく、攻略が極めて難しいゲーム=無理ゲーに放り込まれてしまったかのように感じているのではと考えています。

生きることを攻略が極めて難しい無料ゲーととらえている人が増えています。

なぜ多くの人が人生を無理ゲーととらえているのか

 能力に差がある場合、公平と平等は原則的に両立できません。徒競走で同じスタートラインからスタートすれば足の速さに違いがあるため、順位がつくため結果は平等ではありません。一方で足の速さによってスタート位置を調整し一緒にゴールするようにすれば平等ではあるが、公平ではなくなってしまいます。

 人々は基本的に不平等ではなく、不公平を理不尽と考えます。無理ゲーと感じている人々は格差そのものよりも競争の条件が公平でないことと、自分がその競争をさせられることを理不尽だと考えています。

無理ゲーと感じている人々は競争の条件が公平でないことと、自分がその競争をさせられることを理不尽だと考えています。

多くの人が無理ゲーと感じる要因は何か

 筆者はこれまでも日本も世界もリベラル化していると述べてきました。このリベラル化は政治的イデオロギーではなく、「自分の人生は自分で決める」「自分らしく生きること社会を目指すべき」という価値観のことです。

 当たり前のことと思われるが、このような考えは1960年代のヒッピームーブメントで始まったに過ぎず、人類の数百万年の人類の歴史の極一部でしかありません。

 経済的な豊さを得ると人々は脱物質主義が進み、理性的価値や自己表現価値の比重が上がるようになると、誰もが自由に生きる権利があるという社会へ変化していく、これは素晴らしいことだが光があれば、闇もあります。

 自分らしく生きられない人はどうすればよいのかという問題も大きくなります。

「自分らしく生きる」という価値観は自分らしく生きられない人にとって、大きな負担となっています。

夢至上主義とは何か

 これまで、学校でまじめに勉強すればよい会社で働けるという暗黙の了解がありました。しかしこの前提が崩れつつあるなかで、子供たちに勉強するモチベーションを与えることが難しくなりました。

 そこで、勉強のモチベーションのために、夢を実現するためには今頑張らなくてはならないという、夢至上主義が蔓延するようになり、多くの人が自分独自の夢を持つべきという圧力を感じてしまっているます。

勉強ができても良い会社で働けるわけでなくなったことで、勉強のモチベーションがなくなってしまいました。そこで代わりに夢のために頑張るべきという夢至上主義が広がっています。

多くの社会問題はなぜ起きているのか

 ネットの発達、移動速度の高速化で人間関係は希薄化し広がっているが、人間の脳は小さなコミュニティで生きていた時代と変わっていないためこのような変化に対応できていません。

 人間の他者との関わりは家族などの愛情空間、その外に友情空間、その外に貨幣空間がありませう。

 他者との関わりが減ると人は家族や恋人などとの関係性愛がより重要なものと認識します。一方でコミュニティに頼っていたことは貨幣で解決するようになっていきます。現代社会では愛情空間の肥大化と友情空間の縮小、貨幣空間の拡大が起きています。

 自分らしく生きる世界では以下のような3つの変化が起こります。

1.世界が複雑になる

2.中間共同体が解体される

3.自己責任が強調される

 全ての人が自分の利害を主張すれば、人間関係は複雑化し、全ての人が自由に生きられれば、成功するかは個人の責任となります。

 リベラルの思想を信じる人は社会問題をリベラルな政策で解決しようとするが、リベラル化が全ての問題を引き落としており、自由な人生を求め、自分らしく生きるという呪いにとらわれてしまっています。 

自分らしく生きるという価値観は世界を複雑にし、コミュニティを解体し、自己責任が強調してきました。

自分らしく生きるというリベラル化が多くの問題を引き起こしています。

リベラル化は私たちにどのような変化をもたらしたのか

 現代では自分探しや自分らしく生きるという概念は陳腐なものとされているが、この概念が生まれた半世紀前には地位や名誉を捨て全身全霊で賭けるに値するようなある種の宗教体験でした。キリスト教やイスラム教の誕生に匹敵するような人類史的な出来事だが、そのインパクトを正しく評価できていません。

 多様性が受け入れられる社会では社会的なアイデンティティと個人的なアイデンティティのかい離は小さくなっていきます。素晴らしいことではあるが、多様性が認められるようになれば、探すべき自分は消失ししていきます。そのため自分探しは陳腐化していきました。

自分らしく生きるという概念が生まれた半世紀からリベラル化は大きく広がりました。多様性が認められるようになっています。

リベラル化がもたらした問題は何か

 リベラルな社会では、身分や階級、人種、国籍などではなく学歴、視覚、経験、実績など知性によって客観的に評価される社会を理想とし、これらは努力や教育で延ばすことができるというメリトクラシーが最大の神話になっています。

 メリトクラシーは階級による社会よりも公平ではあるが、だからこそ不平等で残酷でもありませう。階級社会では自分の成功できない理由は社会制度のせいにできるが、公平な社会で成功できないのは自分が劣っているからになってしまいます。

 メリトクラシーは人間の本能で、無意識で相手にどの程度の利用価値があるかを見積もり、有能な者に魅力を感じ、無能なものを避けようとすることは幼少期から見られます。

 現代は知能の有無が最も重要な能力だが、知能には人によって大きな違いがあります。先進国での調査でも成人の半分は簡単な文章が読めず、小学3~4年生以下の数的思考しか持っていません。一般的な仕事をこなす能力を持たない人が大半であり、知能格差がそのまま経済的な格差につながっています。

リベラル化した社会では客観的な指標で評価される社会を理想と考えています。公平な社会では成功は努力した証とされ、成功できないのは自分のせいとされるようになっています。

世の中は本当に公平な社会なのか

 行動遺伝学では心を遺伝率+共有環境+非共有環境で説明します。共有環境はきょうだいが同じ影響を受ける影響で一般的には家庭環境で非共有環境はきょうだいが異なる影響を受ける環境としています。

 人の持つ性格や能力、社会行動などとこれらの項目が与える研究をまとめた結果では、共有環境の影響は非常に小さく、遺伝と非共有環境が非常に大きいものになります。非共有環境は主に友人との関係で、親からの教育と比較して、子供にとって非常に大きな影響を持ちます。

 社会的、経済的な成功には知能だけでなく、コミュ力や、やり抜く力、人間力が必要と考えるのは一般的で、仮に知能が遺伝的の要素が大きくても、これらの要素は後天的に身につけられると考えがちです。しかしやる気や集中力にも遺伝は大きく影響しています。

知能以外の社会的、経済的に必要な要素にも遺伝が大きく影響するため、公平な社会とは言いにくい部分が大きくなっています。

格差が広がっているのは経済的な面だけでなのか

 世界中で平均寿命がのびているが、アメリカの白人労働者階級だけが平均寿命が短くなっていることの原因を調べると、死ぬまで酒を飲んだり、薬物を過剰摂取したり、自殺する絶望死が原因であることが明らかになっています。

 絶望死する人は低学歴の人のほうが多いが、経済的な格差が根源ではなく、就労や恋愛、結婚といった機会を奪われ続けてしまったことが主な原因です。

 秋葉原での連続殺人事件での加藤被告も様々な機会を失ったことが原因で犯行に及んでいます。若いころは外見が、年を取ると経済力が恋愛の自由市場で選ばれる基準となるため、外見に自信がないまま、中年を迎え経済的にもうまくいっていないと性愛の可能性から排除されてしまいます。

 リベラルな社会で女性が経済力を持つと結婚や出産に伴い、自分らしく生きることをあきらめなくてはならなくなります。そうなったときに女性は選ぶ男性に経済力を求めるようになり、より格差は大きくなります。女性の地位向上は重要なことではあるが、モテ/非モテの格差がさらに拡大していくことも確かです。

 多くの衝撃的な事件を自分らしく生きられない人が起こしています。

経済的な格差だけでなく、就労、恋愛、結婚といった機会でも格差は広がっています。特に絶望死の原因は経済的な格差以外の格差が主な原因となっています。

資本主義からの脱却で社会をよくできるのか

 資本主義の定義は様々だが、一般的には株式市場や金融市場が整備されたのちの市場システムのことを示すことが多いです。

 資本主義の大きな特徴はレバレッジつまり、投資の一部を負債で賄うことです。住宅ローンもその一つで自分で住宅を買うお金を持っていなくても、買うことができ、事業のアイディアがあってもお金の無い経営者が事業を行うことができます。

 どちらも自己資金のみで行うとしたら、長い時間がかかるため、資本主義は未来のお金を先取りするタイムマシン効果を持つともいえます

 タイムマシン効果は人類にとてつもない恩恵をもたらしており、邪悪なものとするのはばかげたことです。

 産業革命以後工業化によってエネルギーや資源の消費量は増加し続けてきましたが、1970年を境に経済成長は続いても資源の消費量が減り始めました。資本主義、テクノロジーの進化が効率を向上させ、脱物質化につながっているとの考えもあり、資本主義からの脱却はマイナスでしかありません。

 日本の若者の不安の多くは高齢化によるものです。根本的な解決には老人の既得権を減らす必要があるりますが、人口も多く、影響の多い世代でマスメディアにを支える層でもあるため高齢者批判はNGです。そのため別の犯人として資本主義への批判がなされています。

資本主義はアイデアを実現する時間を大きく削減することで人類に大きな恩恵をもたらしていますので、資本主義を批判することで解決するわけではありません。

特に日本の最大の問題は高齢化で老人の既得権を減らす必要がありますが、高齢者批判はNGであり、代わりに資本主義が批判されているという面があります。

金銭の問題が解決できれば社会問題は解決するのか

 人が誰かと自分を比べるときに優れた人と比べることを上方比較、劣った人と比べることを下方比較と言い、脳は上方比較を損、下方比較を行うことを報酬と感じる傾向があります。あらゆる社会問題にこの生物学的メカニズムが存在しています。

 経済格差の問題は様々な手段で改善することは可能ですが、評判を分配することはできません。一部ボリベラルな人は富の不均衡の解消で理想的なユートピアが実現すると考えていますが、次に訪れるのは評判格差社会となります。

 金銭的な問題がなくなれば、女性が子育てで男性の手を借りる必要がなくなることになります。そうなればより、モテ/非モテ格差が限りなく拡大していき、多くの人が性愛から排除されて絶望してしまっていきます。

 資本主義を脱却したとしても、自分らしく生きるという呪縛は続いています。社会的、経済的に成功し評判と性愛を獲得するという無理ゲーを一人で攻略する。これが自分らしく生きるリベラルな社会のルールで何とかして生き延びていくしかありません。

金銭的な格差問題を解決しても、次に訪れるのは評判社会です。評判は金銭と違い分配できないため、さらに格差が深刻化される可能性も秘めています。

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