ペアレントクラシー 志水宏吉 要約

本の内容

 親ガチャという言葉が流行るなど近年,子供たちが学力的,経済的に成功できるか,精神的に安定して成長できるかなどに親の影響が大きくなっている。

 本書ではその大きな要因として,教育への新自由主義の進出が挙げられている。学区の撤廃や学力テストの公表など競争を過度にとりいれた結果,家庭環境が悪い子供を救うための教育が成り立たなくなってしまった。

 子供,親、教師,行政の視点からペアレントクラシーの現状について書かれた本になっている。

この本が向いている人

・親ガチャという言葉が流行った背景を知りたい人

・教育へ市場主義を持ち込んだ影響を知りたい人

・子供にどんな教育をさせるべきか迷っている人

ペアレントクラシーはどのように生まれたのか?

ペアレントクラシーとは親の影響力が極めて強い社会であり、個人の努力と能力が人生を切り開くとするメリトクラシーに変わるイデオロギーになりつつある。

日本でも親ガチャという言葉が流行するなど、親の影響力の肥大化は多くの場面で見ることができる。

個人の能力と努力が重要だとするメリトクラシーは社会の進歩に寄与してきたが、階級の対立による分断を招く面がある。ペアレントクラシーの社会では分断が大きくなるだけでなく、固定化され前近代の身分社会のような不平等と差別に満ちた社会に成り下がってしまうかもしれない。

個人の努力と能力を重視するメリトクラシーは身分を重視した社会を進歩させてきたが,格差や分断も生んでいる。格差や分断によって,親の影響が大きくなり,格差が次世代まで固定化されるようになる。

ペアレントクラシーはなぜ多く見られるようになったのか

ペアレントクラシーは

・二世の増加 

・サラブレット化 育ちの良さが求められている

・格差化 学力、体力などの2極化

などで見ることができる。

ペアレントクラシーの一因となっているのが、新自由主義の教育の場への持ち込み。学校間を競争させ選択制を導入することで、質を上げようとする取り組みなどが、ペアレントクラシーと組み合わさることで格差の拡大と自己責任論の過大を招いている。

新自由主義を教育に持ち込み競争を持ち込んだこととで格差の拡大と自己責任論の課題を招いている。

ペアレントクラシーの増加の子供への影響は

家庭環境が複雑で経済的、文化的に恵まれないこと恵まれる家庭の子供では状況が大きく異なっている。恵まれない家庭の子はペアレントクラシーの上昇気流の外側に存在しており、上昇気流の恩恵を受けることなく、沈んだままになってしまう。

ペアレントクラシーの上昇気流に乗った子供たちはレベルの高い学校に通い、塾や多数の習い事をすることも多い。順調に育つ子も多いが、中には両親の見栄や期待の大きさに苦しむ子も少なくない。

家庭環境の悪い家庭では上昇するきっかけがなくなってしまっている。家庭環境の良い子は順調に育つ事も多いが,苦しむ子がいない訳ではない。

ペアレントクラシーの増加が親に与える影響は?

子育てに関する不安がペアレントクラシーの進行に拍車をかけている。

教育費の高騰、公立校の教育への不安と私立受験の増加、格差がもたらす子供への教育投資の差などは親の悩みの原因とペアレントクラシーをもたらす大きな要因になっている。

教育に興味がない、余裕のない家庭の問題もあるが、ミドルクラスの家庭では、不安を感じ、なんとかペアレントクラシーに乗ろうとすることで親が苦しむことも多くなっている。

公立校への不安,教育費の高騰,格差拡大でミドルクラスの家庭でも不安を感じることは少なくない。

ペアレントクラシーは教師にどんな影響を与えているか

教師にも大きな変化が見られる。教育を親と一緒に行ってきたが、親が教育を選ぶものへと変化したことで、教師を親が選び、品定めする立場となり、機嫌を損ねなようにする必要が出てきた。

公立高校でも学区を撤廃し、選択させることで学力の二極化も進んでしまっている。これまで家庭環境の悪い子供を押し上げるような動きをとってきた教師も市場原理の導入により、そのような動きを取りにくくなってきている。

教師受難の時代となり、なりても減っている。試験結果などを元にボーナスを支給するなどの方策も取られているが、子供が成長したという実感によってもたらされる達成感のような内的報酬の充実がないと効果は薄いと思われる。

 教育が一般サービス化し,親が選ぶものとなったことで親の機嫌を損なわないようにする必要が出てきた。市場原理の導入で下層の子をすくい上げる動きを取りにくくなっている。

なぜ新自由主義と教育は相性が悪いのか

教育の水準の評価には公正さと卓越性の観点が用いられる。公正さは平等性、特にしんどい立場の子供がささ得られているか、卓越性は水準の向上、一人一人の力を向上できているかを評価する。

新自由主義の発想は卓越性に偏っており、公正かどうかを顧みる事は少ない。そのバランスの悪さはペアレントクラシーの中での勝ち組と負け組との格差を広げてしまっている。

格差に対する危機感は政治家や行政担当者の間にも広がり、バランスの取れた舵取りを行おうという試みも見られている。

教育には公正さや卓越性が重要だが,新自由主義の発想は卓越性に偏っているため,教育格差を広げてしまう。

ペアレントクラシーによる格差克服には何が必要か

 ペアレントクラシーの高まりが格差を招き、固定化してしまう。その克服には以下のようなものが考えられる。

1.しんどい層を経済的に支える

2.しんどい層を文化的、社会的に支える

3.親の影響力を相対化する、親以外の意見や情報を得る機会を増やす

4.学校教育の中身を問い直す、公教育の充実、学業以外の学び

5.社会の意識、価値観を変える、

 特に公教育の公の部分を恵まれた子供たちにも学ばせることが重要。弱いものの視点に立つ機会がなければ、社会をリードする立場になったときに公正原理をしっかり身につける必要がある。

家庭環境の悪いことをしっかりさせること、家庭環境の良い子には自分達の成功の自身の努力だけでないことを理解させ,公教育の重要性,弱いものの視点に立つ機会を作ることでペアレントクラシーを克服する一歩となる。

感想

親ガチャという言葉が流行っていることからもわかるように、子供がどのように育つかに親の占める割合が大きくなっていることを感じる人は多いと思います。

本書ではこのような状況をペアレントクラシーとし、子供、親、教師、行政の観点から教育現場で起きていることが紹介されています。

 教育熱心で教育費をかけられる親の子は順調に育ち、家庭環境の悪い子がいかにしんどい状況であるかがわかります。これまでは家庭環境の悪い子を救う教育が機能していましたが、教育へ新自由主義的な発想が持ち込まれたことで、機能不全に陥ってしまっています。

できる限り規制を撤廃し、競争を促すことような新自由主義は企業が利潤を最大化するというような明確な目標がある場合にはうまくいくのですが、数値化できない部分が多いとなかなかうまくいかないのでしょう。経済でも新自由主義の限界がとりだたされている中で教育でうまくいかないのも当然なのかもしれないですね。

 また、本書では教育の新自由主義化が平等性を犠牲にして卓越性を追い求めたことのデメリットが書かれていますが、卓越性を高めることに成功したのかも気になりました。卓越性を高めることに成功したのであればある程度の効果があったとも言えると思いますが、そうでないと何のための改革なのかとうことになってしまいます。学区の撤廃や学力テストの公表による競争が本当に卓越性を高めることに成功したのかも知りたいなと思いました。

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