宗教と不条理 佐藤優、木村凌二 要約

本の要点

要点1

合理性を求める近代社会では、宗教について考えることは少なくなっていますが、宗教の影響力は依然として大きなものです。様々な場面で近代の価値観に限界が見えているなかで、より宗教の重要性は増しています。

ロシア・ウクライナ問題にもパレスチナ・イスラエル問題の背景にも宗教や信仰心の問題が潜んでいるように、宗教が人類へ与える影響は依然として大きく、注目する必要があります。

要点2

戦争の要因は必ずしも合理的なものではありません。価値観の対立が戦争へとつながることもあり、価値観の対立の背景には多くの場合、宗教の存歳があります。

宗教は戦争に向かう大義を「神が望んでいる」などと理屈抜きで説明できるため、戦争を正当化しやすくなります。そのため近代では利権を追求する戦争を宗教でカムフラージュするパターンが多かったことも確かです。

しかし、戦争=利権の追求となっているのも近代の価値観にすぎません。実際にロシアがウクライナを統治する経済的な合理性な理由は薄く価値観の対立によるものという側面が強いものです。

要点3

合理主義や啓蒙主義(理性による思考を重視するもの)などの近代の価値観は人類史の中で不変なものではなく、現在でも様々な宗教で、近代の価値観とは相いれない教義や習慣が失うことなく生き続けています。

特定の宗教を信仰する人は減少していますし、その流れは今後も続きますが、すべてを合理的に割り切れるわけでも、すべてを自分で決定できるほど強い気持ちを持っているひとばかりではありません。

どれほど人間中心の社会となっても、形が変わることはあっても、今後も神の声を求めるづけていくものであり、宗教が人間にとって重要であることは変わることはありません。

この本や記事で分かること

・なぜ、今でも宗教は強い影響力を持っているのか

・宗教が戦争の要因となりやすい理由

・今後、宗教はどう変化していくのか

感想

 技術が発展し、近代化が進む中で一見、宗教の影響力は減少しているように見えますが、本書では、宗教の影響力は意識的から無意レベルに移ったにすぎず、依然として大きな影響があることと書かれています。

 実際に、宗教が戦争につながることは多く、現在のウクライナ戦争もパレスチナ問題もその背景には、宗教の存在があります。

 近代的な合理主義は人間の根本ではないということ、さらには合理主義に限界が見え始めている今だからこそ、より宗教について知っておくことが重要であることがよくわかりました。

 超越者を求めるという人間の根本、本能がいかに強いものか、特定の宗教を信仰する人の少ない日本人こそ知っておくべきことだと感じる本でした。

なぜ、いま宗教に注目することが大事なのか

合理性を重視する近代では、宗教への注目が薄れていますが、ウクライナ戦争、パレスチナ問題の背景には宗教や信仰心の問題があり、今でも宗教は大きな影響力を持っています。

近代になり、宗教はどう変化したのか 

近代以前の宗教は意識的に、社会の枠組みを決定していました。近代では宗教の影響が小さくなったと考えがちですが、依然として大きく、無意識化に押し込まれて社会を動かすように変化しただけに過ぎません。

戦争の起きる要因は何か

戦争は土地の奪い合いのような合理的な理由だけでなく、価値観の対立によってもおこるものです。価値観の対立の背景には多くの場合、宗教が存在しています。

戦争は合理的な理由だけで起きるのか

近代以降は利権の追求による戦争を宗教を大義として、本来の目的を隠すことが多かったため、戦争=利権の追求と思いがちですが、単純な価値観の対立が戦争の要因となることもあります。

キリスト教はどのように世界に広がったのか

キリスト教はカトリックが国家の後押しを受けたことで世界に広がりました。

カトリックに賛成できない人も多く、そのような人々は東に流れ、ロシアなどで信仰を続けました。そのずれがウクライナ戦争で表れています。

一神教は一般的なものなのか、どのようにして生まれたのか

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などが一神教であるため、宗教では一神教が標準的なモノと考えがちですが、一神教は歴史的にみても特別なものです。

超越者としての神が必要となったことで、一神教が誕生したという仮説もなされています。

一神教は暴力的なのか

一神教は相手の神を否定する側面があり、宗教自体に人間の観念を組み立てる作用があるため、一神教が暴力的になりやすい側面があることは事実です。

しかし、すべての宗教が一神教と多神教に綺麗に分けられるわけでもなく、多神教であっても一神教の要素が高まり暴力的になることはあります。

宗教は今後もあり続けるのか

近代的な合理主義が普及しても、合理性のない教義や習慣を持つ宗教が生き続けていることからも、今後も残りつづけます。

超越的なモノを求めるという人間の根本は変わっていなません。

宗教はどの変化していくのか

ただし、特定の宗教を信じる人は減っており、その流れは今後も続くと思われます。

それでも、すべてを合理主義で割り切ったり、自分で決められる人は多くないため、形は変わっても、神の声を求め続けることには変わりはありません。

本の要約

要約1

合理性を求める近代社会では、宗教について考えることは少なくなっていますが、ロシア・ウクライナ問題にもパレスチナ・イスラエル問題の背景にも宗教や信仰心の問題が潜んでいます。

近代以前の世界史を見れば、宗教は大きな影響力を持っていることは明らかですし、近代的な価値感は人類史全体に通用するものではありません。

近代以前は宗教は意識的なレベルで社会の枠組みを決めていましたが、現在では、無意識に押し込まれた形で社会を動かすようになったにすぎません。

近代の価値観に限界が見える中で、再び宗教の持つ影響力に注目する必要があります。

要約2

ウクライナ戦争では、アメリカは民主主義対独裁、ロシアは正教対悪魔崇拝の戦争と位置付けています。当初ロシアは地域紛争と認識していましたが、価値観の戦争という枠組みという認識に変化しています。

戦争の要因は、領土を増やしたいなど合理的な思惑である場合もありますが、価値観の対立が要因となることも多く、価値観の背景には多くの場合、宗教があります。

人々を死地に向かわせる戦争には大義が必要ですが、「神が望んでいる」などのように宗教は大義を理屈抜きで説明できます。戦争を正当化しやすくなるため、宗教対立による戦争は多く起きてきました。

近代では、植民地や資源を手に入れるなどの利権を追求するための戦争が多く、それを隠すために宗教を大義名分として、戦争を行ってきました。

そのため、戦争=利権の追求と思い込んでしまいますが、単純な価値観の対立で戦争が起こることも少なくありません。

実際、ロシアがウクライナを統合することでの経済性など合理的な理由は薄いため、利権の追求という視点から捉えようとすると本質を見誤ってしまいます。

要約3

キリスト教が世界宗教となった要因には、カトリックが国家の後押しを受け、国教になったことがあります。その後カトリックにあまり賛成出来ない人が東に流れ、ロシアなどで信仰を続けました。

この東西のずれが現れたものが、ウクライナ戦争となっています。

現代の世界宗教として、多くの人が認識しているのはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教であるため、一神教が宗教の標準的なものを考えがちです。

しかし、一神教は歴史的にみても特別で、人間にとって不自然な信仰でもあります。実際に、ギリシャやローマももともとは多神教の文化を持っていました。

従来、神の声が誰でも聞けていたが、文字の普及などで神の声が聞こえなくなってしまったが、神そのものが不要になったわけではありませんでした。

そこで、直接声を聞ける神ではなく、手の届かない超越的な存在としての神を求めたことで、一神教が誕生したという仮説もあります。

宗教は人間の観念を組み立てることができるものであり、一神教には相手の神を否定する側面があるため、どうしても一神教のほうが暴力的になりやすい面があります。しかし、すべての宗教が一神教と多神教できれいに分けられるわけではありませんし、多神教の宗教であっても一神教の要素が高まり攻撃的になることもあります。

要約4

現代人の多くが持っている近代的な価値観は人類にとって普遍的なモノではなく、実際に現在でも様々な宗教が合理主義や啓蒙主義とは相いれない教義や習慣を失う事なく生き続けています。

国の方針で宗教的なものを消し去ろうとしてもうまくいきませんし、技術の発展で神の位置づけが変わることはあっても、超越したものを求める人間の根本は変わっていないため、宗教の影響を消すことはできません。

特定の宗教を信仰する人は減少していますし、その流れは今後も続くものと思われますが、近代的な合理主義だけで物事を割り切れるわけでも、すべてを自分で決定できるほど強い気持ちを持っているわけではないため、宗教から離れていく中で、これらの問題とどのように向き合って行くのかは大きな課題です。

宗教には、この世の不条理に気づかせたり、人の限界を教えたりすると同時に人間が打ちひしがれているときに助けてくれるものでもあります。

どれだけ、人間中心の社会になったとしても、神々の声を求め続けていくものだと思われます。

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