テクノ・リバタリアン 橘玲 要約

本の要点

要点1

リバタリアンとは自由原理主義者のことで、道徳的、政治的価値の中で自由を最も重要視している人たちです。リバタリアンの中でも世界を数学的に把握し、テクノロジー業界を通じて、世界の実権を握っている人々がテクノ・リバタリアンと呼ばれています。

テクノ・リバタリアンの影響力はテクノロジーの発展で非常に大きくなり、世界を変えるただ一つの思想とみられるようになっています。

要点2

テクノ・リバタリアンは自由を重視する「自由主義」と効用を最大化したものが良いものと考える「功利主義」を合わせた思想を持つ人達の中で特に高い倫理、数学能力を持つ人々です。

テクノ・リバタリアンは民主政が自由を毀損しており、中央集権化した社会をブロックチェーンなどの暗号化技術で非中央集権化したいと考える「クリプト・アナキズム」とテクノロジーの力で効率的な監視を行い、社会を最適化しようとする「総督府功利主義」の2つに分けられます。

要点3

クリプト・アナキズムでは、中央集権的な組織からの解放が真に自由な社会を実現するとされていますが、実際には自由度が上がるほど、これまで以上に組織は階層的になっていきます。

ただし、階層的な組織では大きな構成要素と小さな構成要素は互いを必要としており、共生状態にあるため、より大きな階層からより大きな自由が生まれる可能性も秘めています。

日本は自由や合理性を受けいれない傾向があり、リバタリアニズムや功利主義をアメリカ特有の変わった思想と捉えがちですが、テクノロジーの発展とリバタリアニズムの融合で生まれたテクノ・リバタリアンが世界を変える唯一の思想になっています。

世界で起きている大きな変化を良く知っておく必要があります。

この本や記事で分かること

・テクノ・リバタリアンとは何か

・リベラル、自由主義、共同体主義、功利主義などの思想はどのような関係にあるのか

・なぜ、テクノ・リバタリアンが世界を変える雄一の思想なのか

テクノリバタリアンとは何か

自由原主義=リバタリアンの中でも、世界を数学的把握し、テクノロジー企業で実権を握っているのがテクノ・リバタリアンと呼ばれる人々です。

リバタリアンはどのように生まれたのか

平等性を重視する「リベラル」は、共同体を重視する「右派・伝統主義」を保守、右翼と攻撃してきました。また、「リベラル」は大きな政府を志向しており、国家による介入を嫌う「小さな政府」とも対立しています。

そこで、「リベラル・は経済政策が正反対であるにもかかわらず、「小さな政府」派も保守、右翼とレッテルを張り、攻撃してきました。

「小さな政府」派は自分たちのことを自由原理主義、リバタリアンと称するようになっていきました。

功利主義とは何か

リベラルは平等を、共同体主義は共同体を、自由主義は自由を重視していますが、この3つの正義のせめぎ合いに答えはないため、色々とやってみて、効用が最大化したものが正しいと考える人々が表れましや。この人々が「功利主義」と呼ばれる人々です。

功利主義からどのようにテクノ・リバタリアンは生まれたのか

功利主義は市場と相性が良いこともあり、大きく発展してきたため、自由主義と同じく自由重視ししています。

功利主義の中でも特に倫理的、数学的能力の高い人々がテクノ・リバタリアンと呼ばれます。

なぜ、テクノ・リバタリアンは自由を重視するのか

IT企業で成功する人の多くは極端にシステム化された脳を持っています。

システム化された脳を持つ人は共感性が低いため、周囲と軋轢を生みますが、その高い能力で成功してきました。

この成功経験から国家の権力を抑え、テクノロジーを自由にすることで、世界が良くなると考えがちとなります。

テクノ・リバタリアンの中にどのような考えの人がいるのか

テクノロジーの発展を志向するリバタリアンですが、国家や政府を信頼しておらず、脱中央集権化を理想とする「クリプト・アナキズム」と自由に生きるために監視が必要であり、効率の良い中央集権化がを理想とする「総督府功利主義」の2つの考え方が存在しています。

非中央集権化こそが本当の自由な社会なのか

非中央集権化=自由で階層のない社会と考えがちですが、実際には自由な社会ほど組織は、より階層的になっていきます。

ただし、より大きな階層性からより自由が生まれることもあります。

リバタリアンをどのようにとらえるべきか

日本人は自由と合理性を避ける傾向にある耐め、リバタリアンや功利主義をアメリカ特有の奇妙な思想と考えがちです。

しかし、リバタリアニズムとテクノロジーの結び付きで生まれたテクノ・リバタリアンは世界で大きな影響をもち、世界を変える雄一の思想へと進化していることを理解することが必要です。

本の要約

要約1

リバタリアンとは自由原理主義者のことで、道徳的、政治的価値の中で自由を最も重要視している人たちです。

リバタリアンの中でも、世界を数字的に把握し、テクノロジー企業の世界で実権を握っている人たちはテクノ・リバタリアンと呼ばれています。

テクノ・リバタリアンは世界を変えるだた一つの思想とみられています。

日本では思想というと、孔子やブッダプラトンやカントのことと考えがちですが、科学とテクノロジーの水準が指数関数的に高度化したことで、これらの思想はすべて過去のものとなり、テクノ・リバタリアンの影響力が非常に大きくなっています。

要約2

現代社会でのリベラルとは福祉と人権を重視し、平等な社会を目指す活動のことです。そのため、リベラルの人々は再分配や産業保護、インフラの国営化など「大きな政府」を志向しています。

それに対し、国家が個人の私的な領域に介入することを嫌う人たちは自由市場と個人の創意工夫に任せるべきと「小さな政府」派の人を志向しています。

リベラルの人々は共同体を守るためには、自由や人権を制限することは許与されるとする右派・伝統主義者を「保守・右翼」として攻撃してきましたが、経済政策的には正反対である小さな政府派の人々も同じように攻撃してきました。

自由主義を掲げているのも関わらず、保守のレッテルを張られてしまった小さな政府派の人々は自信を古典的自由主義や自由原理主義(リバタリアニズム)、自由原理主義者(リバタリアン)と自称することでリベラルとの戦いを行ってきました。

リバタリアニズムは「ひとは自由に生きるのが素晴らしい」と考えますが、リベラリズムは若干の修正を加え「ひとは自由に行くのが素晴らしい。しかし平等も大事だ」と考えます。

自由主義に対抗する思想として共同体主義が挙げられますが、彼らの主張は「ひとは自由に行くのが素晴らしい。しかし伝統も大事だ」になります。

自由と平等、共同体の3つを正義と考える主張はチンパンジーの社会でも見られるように普遍的なものですが、その後、正義感覚にかけているにも関わらず、影響力の強い「功利主義」が登場します。

自由と平等、共同体のせめぎ合いに答えはないため、色々やってみて、効用が最大化したもの、うまくいったものを正しいとする考えが功利主義です。功利主義は市場原理と相性が良いこともあり、大きく発展してきました。

自由を重視する功利主義のうち、特に高い倫理、数学能力を持つ人々がテクノ・リバタリアンと呼ばれる人々です。

テクノ・リバタリアンは民主政が自由の価値を毀損すると考え、暗号(クリプト)によって国家による規制のない社会を作ろうとする「クリプト・アナキズム」と功利主義を追求し、テクノロジーの力で社会を最適化しようとする「総督府功利主義」の立場をとる人が存在しています。

要約3

脳にはシステム化と共感化の2つの機能があり、両者はトレードオフの関係にあります。自閉症は過度にシステム化された脳がもたらす脳の発達障害です。

シリコンバレーを中心としたIT企業家の多くは極めて高い論理、数学的知能を活かして成功を収めていますが、その反面、自閉症の傾向の強い人が多いことも明らかになっています。

自閉症の発症率は一般人口の約1~2%ですが、もっとも裕福な家庭330家庭では8%、MITの同窓生の間では10%ともささやかれいます。裕福な家庭では両親ともにシステム化された脳を持っていることが多いことが要因ともいわれています。

共感性の低さによって、周囲の人と軋轢を起こすことも少なくありませんが、極度にシステム化された脳によって大きな成果を収めてきました。その経緯からも、国家の力を弱め、より自由にテクノロジーを発展させることで世界は良くなると考えるためリバタリアニズムの人が多くなっています。

国家や政府をあまり信頼しないリバタリアニズムはブロックチェーン技術などで中央集権組織が不要となることを理想としています。非中央集権化に大きな意味を感じる人々がクリプト・アナキズムとなっていきました。

一方で自由に生きるためにこそ、効率的な監視が必要と主張する人々が総督府功利主義者となります。テクノロジーがさらに発展し、ひとりひとりの状態をリアルタイムで把握し、必要なものを提供することができれば、中央集権的な組織による自由が実現すると考えています。

総督府功利主義では、自由を束縛しない見えないような統治で効用が大きくなるのであれば、民主制を否定したり、制限することにも躊躇しないものと思われます。

要約4

クリプト・アナキズムでは自由主義を強め、中央集権的な組織から解放されることで、真に自由な社会が実現すると考えられていますが、実際には自由度が上がるほど、これまで以上に階層的な組織が生まれていくと考えられます。

しかし、より大きな階層性からより大きな自由が生まれる可能性もあります。階層的な組織では大きな構成要素と小さな構成要素がお互いを必要としています。

例えば、Youtubeのコンテンツを作り出しているのは無数の動画投稿者であり、Youtube側は中央集権的な組織ではありますが、ユーチューバーを支配しているわけではなく、ユーチューバーと共生しているとみることもできます。

階層的で中央集権的な組織の中でも、自由で風通しの良い組織であれば生き残っていくことは可能なはずです。

日本には自由を恐れ、合理性を受け入れない面があるため、リバタリアニズムや功利主義が受け入れられないため、アメリカに特有の奇妙な思想と捉えられることも少なくありません。

しかし、リバタリアニズムは指数関数的に発展するテクノロジーと結びつくことで世界を変える唯一の思想へと進化しています。いま世界ではリバタリアニズムによる大きな変化が起きていることを改めて感じる必要があります。

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