学びの本質 山田肖子 要約

本の要点、概要

この本や記事で分かること

・学ぶとは何か

・アフリカへの教育援助へ現地の文化から学ぶことは何か

・今後の学びの場において重要なものは何か

学び、教育=学校教育なのか

 現在の社会では、教育=学校制度と捉えられ、その他の場所での学びを軽視してしまう傾向が見られますが、学校以外でも学びのは多く存在しています。

 インターネットの発展で学校以外での学びを得る方法の広がったことやAIの発展によって単純な知識が陳腐化している中で、これまで以上に人間ならではの知への注目が集まっています。

 学校以外の様々な学びの場や歴史を通じることで、人間が如何に知識を獲得し、いかにして新しい知を生成するのか=「学び本質」を知ることができます。

学校教育以外の場でも、様々な学びが存在しています。単純な知識が陳腐化する中で学校教育意外でも学びに着目することで学びの本質を知ることができます。

アフリカへの教育援助からどんなことがわかるのか

 第二次世界大戦以降、アフリカは先進国や国際機関による途上国援助の一環で、教育援助を受けてきました。

 教育援助には、流行がみられます。

・1960年代には多くの旧植民地が独立したことで、国家のリーダの育成のために高等教育への援助

・1990年代には農村部や貧困層への基礎教育の普遍化

 流行な裏には教育に関する人類普遍の価値ではなく、援助をする側の利害が絡むことも少なくありません。

アフリカへの教育援助には流行があり、その流行の裏に、援助をする側の利害が絡むことも少なくありません。

アフリカへの教育援助にはどんな思惑があったのか

 ヨーロッパによるアフリカ諸国への学校教育という面での高等教育の援助には、ヨーロッパ人に対抗したり要求したりせず融和的で協調的な人材を育てる教育という側面がありました。

 食料や鉱物などの資源が豊富であるアフリカには、経済成長し、輸出先として機能させたいが、先進国を脅かすような存在にはしたくないという先進国の思惑が教育の内容にも見て取ることができます。

ヨーロッパによるアフリカ諸国への高等教育の援助には、ある程度の経済成長は必要だが、ヨーロッパ人に対抗したり要求したりせず融和的で協調的な人材を育てる教育という側面がありました

高等教育への援助はなぜ、減少したのか

 高等教育への援助にはエリート層の人々が富めば、貧しい人にも富がこぼれ、経済全体が成長するというトリクルダウンの考えがありました。

 しかし、トリクルダウンには大きな効果が見られず、徐々に貧困状態の削減を目指す、ボトムアップ型の政策が取り入れられ、教育援助も基礎教育への援助に切替わっていきました。

エリート層の人々が富めば、貧しい人にも富がこぼれ、経済全体が成長するというトリクルダウンの考えがうまくいかず、貧困をなくすための基礎教育への援助にシフトしていきました。

教育援助の流行どんな混乱をもたらしたのか

 基礎教育への援助は就学率の向上につながり、一定の効果がありました。基礎教育が一般化すれば、差別化のために高等教育の需要が高まりましたが、基礎教育への援助を優先したため高等教育の受け皿が少なくなってしまいました。

 また、2000年代には基礎教育の充実にも拘わらず、若年層の失業率の拡大が起きてしまうなど、援助の方法に疑問が持たれるようになります。

 雇用者からは、雇用者の求める能力を教育機関が教えていないとの指摘がなされています。

基礎教育への援助は一定の効果は上げましたが、若年層の失業率の拡大が起きてしまうなど、援助の方法に疑問が持たれるようになります。

雇用者の求めによって、教育はどう変化したのか

 雇用者からは仕事で必要な能力を学校教育で教えてほしいとの要望が強くなりますが、就学率のように分かりやすい指標がなく、どのような教育が有効であるかを判断することも難しいものです。

 また、学校での仕事に役立つ能力として、仕事に直接的に役立つ作業的能力、専門技術の向上が重視されていますが、仕事の場では非認知能力の有無が成功できるかに大きく影響しています。

 学校のような画一的な教育では、非認知能力を高めることが難しいため、仕事で役立つ能力を学校で教えることはとても難しいことでした。

 認知、非認知能力、専門技術は三位一体で向上していくものです。

仕事で必要な能力を学校教育で教えてほしいとの要望が強くなりましたが、仕事には認知、非認知能力、専門技術が必要であり、特に学校のような画一的な教育では、非認知能力を高めることが難しい面もあり、有効な教育への変化はできていません。

現代の教育に求められているものはなにか

 リスキリングが話題になるように、生涯を通して学ぶことの必要性が増加し、AIの発展によって、単に情報を収集することの価値は低下しています。

 人間に求められるのは、AIに身に着けることが難しい「質問をする力」と「価値判断を行う」ことです。

 そのために必要となるのは単に情報を収集するだけでなく、主体的に情報を得て、情報を論理的に構成し、知識としていくことです。

AIの発展で、単純な情報収集の価値は下がり、「質問をする力」と「価値判断を行う」ことの重要性が増しており、教育にもこれらの力を身に着けるために、主体的に情報を得て、情報を論理的に構成し、知識としていくことを学ぶ必要があります。

アフリカの文化から何を学べるのか

 価値判断の重要性が増す中で注目すべきがアフリカの口承文化です。

 口承文化では語り手は単に情報を伝えるのではなく、

・情報を組み合わせて知識とする

・その知識の持つ意味を解釈する

・どう行動すればよいかの価値判断をする

 という手順を踏んでいます。

 これまの学校教育では、中立的で普遍的な知識ほど信頼性が高く、物事には必ず1つの正解があるという思考訓練がなされてきましたが、社会では、複数の選択肢があることが一般的であり、どのように価値判断をしていくかという面から口承文化から学ぶことは大きくなっています。

アフリカの口承文化は価値判断を伴うものであり、多くのことを学ぶことができます。

学校はどう変化していくべきか

 教科を教えることはAIでもきるようになりつつあるなか、学校教育の役割は変化しています。

 特に、自己の利益だけでなく、他者にも配慮して関係性を構築し問題を解決できる知識と能力を身に着けることが必要になっています。

 学校教育での学び=認知能力の向上という見方を変えることができれば、それまでの常識を超え、人生や社会を新たな視点で捉えるようにできます。

学校教育=認知能力の向上という見方を変えることで、人生や社会を新たな視点で捉えるようにできます。

本の要約

要約1

現在の社会では、教育=学校制度と捉えられ、人間がその他の場所である学びを軽視してしまう傾向が見られます。

筆者は人間がいかにして学び、学びから得た知識はその人自身や人を取り巻く社会にとって意味があるものなのかを、学校や学校を取り巻く地域社会からの視点、学校外の仕事な場などから調査を行っています。

学校以外での学びを得る方法の広がりや、AIの発展によって単純な知識が陳腐化している中で、今までの常識を見直して人間ならではの知への注目が高まっています。

様々な学びの場、歴史を通じて、人間が如何に知識を獲得し、いかにして新しい知を生成するのか=「学びの本質」とは何なのかを知ることができます。

要約2

先進国や国際機関による途上国援助には流行があり、1960年代には多くの旧植民地が独立したことで、国家のリーダの育成のために高等教育が、1990年代には農村部や貧困層への基礎教育の普遍化という援助が広がりました。

流行を作るのは、人類普遍の価値ではなく、いくつかの集団の利害によるものであることも少なくありません。

ヨーロッパによるアフリカ諸国への学校教育という面での高等教育の援助には、ヨーロッパ人に対抗したり要求したりせず融和的で協調的な人材を育てる教育という側面がありました。

食糧や鉱物などの資源が豊富なアフリカを先進国への輸出先として機能させるためにも、経済発展はさせたいが、先進国を脅かすような存在にはしたくないという先進国の思惑が教育の内容にも見て取ることができます。

高等教育への援助は、エリート層の人々が富めば、貧しい人にも富がこぼれ、経済全体が成長するというトリクルダウンの考えに基づいたものでしたが、うまくいったとは言えませんでした。

そのため、1980年代以降は貧困状態の削減を目指す、ボトムアップ型の政策が取り入れられ、教育援助も基礎教育への援助に切替わっていきます。

要約3

基礎教育への援助が広がるにつれ、就学率の上昇につながりました。多くの子供が基礎教育を受けられる状態が作られるなど一定の効果がみられています。

しかし、基礎教育が一般化すれば、差別化のために高等教育の需要が増加しますが、基礎教育への援助にばかり焦点をあてていたため、高等教育の受け皿が不足する問題が起きます。

また、基礎教育の充実にも拘わらず、2000年代には、若年層の失業率の拡大が起きてしまうなど、援助の方法が見直されるようになります。失業者の増加の背景には雇用者の求める能力を教育機関が教えていないとの指摘がなされています。

雇用につながり、仕事で役に立つ能力の学校教育に注目が集まりますが、基礎教育における就学率のように分かりやすい指標がなく、どのような教育が有効であるかを判断することも難しいものです。

また、学校教育における認知能力に偏った知識の伝達や仕事に直接的に役立つ作業的能力、専門技術の向上が重視されていますが、実際の仕事では非認知能力の有無も大きく影響しているため、非認知能力を高めることが難しい画一的な学校教育だけでは、仕事に必要な能力を得ることは難しいといえます。

認知、非認知能力、専門技術は三位一体で向上していくものです。

要約4

変化の大きな現代では、リスキリングが話題となるように、学校だけでなく生涯を通して学ぶことの必要性が増加しています。

また、AIの発展によって、単に情報を収集することの価値は低下しています。

人間に求められるのは、AIには難しい質問をする力と価値判断を行うことです、そのためにも単に情報を収集するだけでなく、主体的に情報を得て、情報を論理的に構成し、知識としていくことが求められています。

アフリカでは、口承による知識の伝達が行われてきました。口承文化では語り手が単に情報を伝えるのではなく、情報の組み合わせて知識とし、その知識の持つ意味を解釈し、どう行動すればよいかの価値判断をしてきました。

このような価値判断の重要性に改めて着目する必要が出てきています。

これまでの学校教育では、中立的で普遍的な知識ほど信頼性が高く、物事には必ず1つの正解があるという思考訓練がなされてきました。

しかし、社会では複数の選択肢があることが一般的であり、その中で道義的にどのような選択をするかの価値判断は非常に重要です。

教科を教えることはAIでもきるようになりつつあるなか、学校教育では自己の利益だけでなく、他者にも配慮して関係性を構築し問題を解決できる知識と能力を身に着けることが必要になっています。

学ぶ=認知能力の向上という教育への見方を変えていくことで、それまでの常識を超え、人生や社会を新たな視点で捉えるようにできます。

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