本の要点
日本近代経済の父と呼ばれる渋沢栄一は生涯で約500の企業の設立にかかわるなど数々の功績を残してきました。
渋沢栄一は公益の追求を経済によって実現することで、身分の差なく、国を豊かにできると考えていました。
晩年、渋沢栄一は経済が暴走し、自己の利益のみを求めていくことを危惧し、「論語と算盤」を執筆しました。
しかし、渋沢栄一の危惧は現実となり、経済は暴走し、すべての物事の価値がお金で測られるようになってしまい、経済と利益偏重、富の偏在、環境の悪化などの問題を引き起こしています。
日々の暮らしと経済活動、地球環境の3つのバランスを見出すことが必要となる中で、渋沢栄一のひ孫である筆者は「森」に焦点を当てることで3つのバランスをとれる可能性があると考えています。
物資的な豊かさ増しても、多くの人が不安を感じているのは、経済に依存し、地に足のついた暮らしを送っていないことが根本にあります。
日本のかつての農村や当時の大都市であった江戸でも資源を効率よく利用し、消費と生産が循環する暮らしが営まれており、経済、環境、社会が調和する暮らしは一昔前まで当たり前の物でした。
木材や燃料の供給や食べ物を生み出す場、水を貯える場でもある森は消費と生産の循環を象徴するものです。森を持続的な利用の方法を知ることができれば、経済、環境、社会が調和する暮らしを送ることができます。
森を持続的に利用するためには、次世代のことを考え、行動することが不可欠です。
自分の家族を食わせるための「稼ぎ」と子孫に村をつなぐために行う「仕事」の両立ができなければ、一人前でないと考えている集落もあります。
仕事の中でも重要とされているのが人々のつながりを強化し、非認知能力を高める「祭り」と田植えや刈り取りなどみんなで共同して行う作業である「結」です。
祭りと結によって人同士のつながりを強化することで、次世代のことを考え行動しやすくなります。
わしいけど暖かい社会は持続可能な社会に欠かすことのできないものです。
お金を介した取引だけでなく、お金では測れない非経済的価値に目を向け、昔と現代の間くらいの暮らしをすることで都市でも幸せなを感じ、持続的な社会を実現できる可能性は充分にあります。
この本や記事で分かること
・渋沢栄一は経済をどのように考えていたのか
・現在の経済の問題点はどこにあるのか
・経済の問題を解決し、持続可能な社会を実現する方法はあるのか
渋沢栄一は経済に対し、どんな考えを持っていたのか


渋沢栄一は誰もが平等に過ごせる社会を実現するために、経済の発展に貢献したが、晩年、経済が自己の利益のみを追求し、暴走することを危惧していました。
渋沢栄一の危惧していた経済はどうなったのか


渋沢栄一の危惧が現実となり、経済は暴走し、自己利益の尊重、富の局在化、環境問題などの問題を生み出しました。
今、改めて日々の暮らしと、経済、環境のバランスをとることが求められています。
渋谷なぜ、民間企業の設立に力を入れたのか


渋沢栄一は江戸時代の封建的な身分制度に疑問をもっており、ヨーロッパの民間企業の力の大きさと身分の差のなさに衝撃を受け、身分にかかわらず経済活動を支える社会の仕組みが必要と考えました。
渋沢栄一は資本主義を日本に浸透させたかったのか


渋沢栄一利益の追求を使命とする資本主義という言葉は使わず、公益の追求を使命とする合本主義を浸透させようと考えていました。
しかし、公益の追求のツールでしかない経済は徐々に富を求める姿勢を強む、社会も経済を偏重するようになっていきます。
経済偏重はどんな問題を招いているのか


物資的に豊かになったにもかかわらず、多くの人が不安を感じています。
この不安は経済への過剰な依存や地に足がついた生活ができていないことに起因しています。
経済のもたらす問題から脱却するにはどうすれば良いのか


経済と環境、社会の3つを調和させることで、様々な問題を解決することが可能です。かつての農村や江戸ではあたりまえのように3つを調和させおり、決して不可能なことではありません。
なぜ、森林が重要なのか


森林は木材、食、水などの供給源として、重要であり、持続的に利用するには、次世代のことを考え行動することが不可欠です。
森とのかかわり方から多くのことを学ぶことができます。
次世代につなぐために必要なことは何か


農村では祭りや共同作業でつながりを強化することで、次世代に村をつないできました。都市の暮らしでは煩わしいと感じがちな人とのつながりは持続可能な社会に欠かすことができません。
幸せな社会を実現するにはどうすれば良いか


幸せな社会は物資的な充足だけで得ることはできません。非経済的価値に目を向け、昔と現代の間位の暮らしをすることで、持続可能で幸福な社会を実現できます。
本の要約
日本近代経済の父と呼ばれる渋沢栄一は生涯で約500の企業の設立にかかわるなど数々の功績を残してきました。
渋沢栄一は誰もが平等に過ごせる社会を実現するために、公益を考え、経済の発展に貢献しましたが、晩年に経済が自己の利益のみを求めて暴走することを危惧していました。
その中で書かれたものが「論語と算盤」でした。しかし、経済の暴走は止まらず、自社、自己の利益偏重、富の偏在や環境問題などが問題となっています。
日々の暮らしと経済活動、地球環境の3つのバランスを見出すことが必要となる中で、渋沢栄一のひ孫である筆者は「森」に焦点を当てることで3つのバランスをとれる可能性があると考えています。
渋沢栄一は江戸末期に生まれ、若いときから封建的に身分制度に疑問をもっていました。幕府の幕臣となりヨーロッパを訪れたさいに、資本主義による民間企業の力の大きさと商人と軍人の身分を感じさせないやり取りに驚きます。
人々が平等に暮らせるのは、身分にかかわらず経済活動を支える社会の仕組みにあると渋沢栄一は考えました。
その後、明治維新の官僚となり、民間企業の力を増すために様々な取り組みを行いました。一方で、渋沢栄一自身は「資本主義」ではなく「合本主義」という言葉を用いて、自身の理想とする平等な社会と国を富ませることを実現しようとしていました。
合本主義は自己の利益ではなく、公益の追求を使命として、適した人材と資本を集め事業を推進させるという資本主義よりも強い規範を持った思想です。
渋沢栄一にとっては平等な社会を実現し、公益を最大化させるツールでしかなかった経済ですが、徐々に自身の富を求める方向に進んでいきます。
その状況に危惧した渋沢栄一は道徳、倫理観を解く論語と算盤を記しますが、社会の経済偏重は進み、現代では、お金で物事の価値が計られるようになってしまっています。
戦後60年の間の科学技術の進歩は凄まじく、物の豊かさは増し、生活は快適、便利になったものの、多く人がお金がなくては生きていけなにことなどに不安を感じています。
経済に依存し、衣食住を自分で調達することのできないなど、地に足のついた暮らしを送っていないことがこの不安の根本にあります。
さらに、自然の成長量以上の資源を搾取し、環境破壊も問題になってきました。地球の資源を貪る生活を続けられないことは明らかであり、新しい価値観による新しい暮らしを作る必要があります。
しかし、経済、環境、社会が調和する暮らしは一昔前まで当たり前の物でした。日本のかつての農村や当時の大都市であった江戸でも資源を効率よく利用し、消費と生産が循環する暮らしが営まれてきました。
森林は木材や燃料の供給や食べ物を生み出す場、水を貯える場でもあります。
昔の里山の暮らしでは、木材を利用する際にも次に木材が利用できるようになるまでどれくらいの時間が必要を知り、その範囲内で持続的にエネルギーを得ていました。
森の大きさからエネルギーが決まり、その中でどれくらいの人が生きられるかを決めていました。自然が先にあり、その中で人間は自然の余剰物をもらいながら生きてきました。
森を持続的に利用するためには、次世代のことを考え、行動することが不可欠です。自分の家族を食わせるための「稼ぎ」と子孫に村をつなぐために行う「仕事」の両立ができなければ、一人前でないと考えている集落もあります。
仕事の中でも重要とされているのが「祭り」と「結」です。
祭りは人々のつながりを強化し、非認知能力を高めてきました。結は田植えや刈り取りなどみんなで共同して行う作業のことであり、同じようにつながりを強化するものです。
合理性を求める都会に住む暮らしから見ると煩わしい面もありますが、この煩わしいけど暖かい社会が里山の暮らしであり、持続可能な社会に欠かすことのできないものです。
地域内で人と人、世代と世代がつながり、自分たちで、考え自治をしていこうという考えが里山の根っこにあり、この考え方を都市で活かすことも充分に可能です。
お金を介した取引だけでなく、お金では測れない非経済的価値に目を向け、昔と現代の間くらいの暮らしをすることで持続可能な社会を実現できる可能性は充分にあります。
幸せな社会は物質的な充足だけで得ることができるものではなく、地に足をつけた生活をし、人の役に立っている実感を得ることが不可欠です。
お金やモノを否定するのではなく、それ以外の価値観を作り上げていくことで、森(自然)と算盤(経済)を両立し、持続的に生きていく糸口とすることがかできるようになります。
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