働くということ 「能力主義」を超えて 勅使河原真衣 要約

本の要点、概要

 人が人を選ぶことは日常的でありふれており、そのことによって特に働く場において、生きにくさ、やりにくさを多くの人が感じています。

 選ばれる人=勝者と選ばれない人=敗者を生み出す仕組=能力主義そのものが間違っているという視点からの議論が必要になっています。

 能力主義は様々な背景から社会、私たちの意識に根付いていますが、能力主義から脱し、競争ではなく共創を意識することができれば、他者と働くことがつらいものでなくなっていきます。

 労働であれ、教育であれ、どんな形でも他者とともにあることが社会で生きることであることをもう一度考えてみるべきです。

この本や記事で分かること

・働きにくさの原因は何なのか

・能力主義の問題点はどこにあるのか

・能力主義から脱するために必要なことは何か

なぜ、多くの人が今、生きにくさを感じているのか

 人が人に選ばれるシーンは学校、職場、プライベートなど日常的にありふれたもので、どのように選ぶのか、選ばれるのかという視点はどこにでもあるものです。

 この選ぶ選ばれるという視点があることが多くの人の負担になっています。

 選ばれるために無限の努力やゴールのないレースを強いられ、勝者と敗者を生み出す仕組みそのものが間違っているのでは?という視点からの議論が必要です。

選ぶ、選ばれるという視点が多くの人の負担になっており、仕組みそのものが間違っているのでは?という視点からの議論が求められています。

なぜ、選ぶこと、選ばれることが至るところでみられるのか

 社会が能力主義を強く信奉しているため、多くの場面では選ばれる人であれという強い重圧が存在しています。

 能力主義自体は身分で地位が決まる社会への不満から広まったものですが、能力もまた、不平等なものです。

 また、そもそも能力とは何かを正確に定義したり、測定することは不可能に近いものです。

社会にあふれる能力主義が選ばれる人であれという重圧を生んでいます。

現代の能力主義の特徴は何か

 自己責任のもと、能力主義が強化されるだけでなく、抽象化されています。実際に、教育の場では、学力ではなく、人間力、生きる力などへの抽象化が進んでいます。

能力主義の強化と抽象化が進んでいます。

能力主義の問題点は何か

 能力主義の問題点は様々な場面で見られます。

  • 際限なく、高みを目指させることで構造的な欠陥に目を向けないようしてしまう
  • 仕事のように本来は貢献度に序列のつかないものに無理に序列をつける
  • 組織として策を講じるべき際に、個人の能力の問題のせいにする

 優秀といわれる人も自分だけの持ち味が周りの人や要求されている仕事内容とうまくかみ合うこと時が活躍している状態に過ぎず、タイミングや偶発性に大きく左右されるものです。

能力主義の様々な問題が明らかになりつつあります。優秀な人そのものが偶発性やタイミングに大きく左右されるものです。

優秀な組織とはどんな組織なのか

 優秀な組織は優秀な人があつまったものではなく、様々な持ち味を持ったメンバーを最大限活かす組織です。

 理想論に聞こえてしまいますが、どんなことでもできる人を探すことのほうがよほど難しく、不可能に近いことです。

 どうしたら人と人の持ち味を組み合わせることができるかを考えることが重要です。

どんなことでもできる優秀な人を探すのではなく、人と人の持ち味を組み合わせることを目指すことが必要です。

どうすれば能力主義から脱することができるか

 個人の能力からそれぞれの関係性へと焦点をずらしていくことは簡単ではありませんが、自立、競争によって本来、組み合わせることが重要な人間を分断してしまっている状態は人間に適したものではありません。

 重要になるのは人を選ぶという視点から、自分のモードを変えて、人をどう生かしていくのかという視点に変換することです。

 フラットな組織を作り、足の引っ張り合いを避けることも有効です。

人を選ぶのではなく、人をどう生かすかという視点に自分のモードを変えることで、能力主義から脱しやすくなります。

組織であれば、フラットな組織を作ることも有効です。

能力主義から脱することで何が得られるのか

 とにかく効率よく成果を出すことを求められている時代に他者とともにある事こそが労働と感じることは難しいことですが、生きた心地は競争しているときよりも感じやすいはずです。

 競争ではなく、共創を意識することで、他者と働くことがつらいものでなくなりやすくなります。

 どんな形でも他者とともに在ることが労働であり、教育であり、社会で生きるということであることをもう一度考え、方向を展開することが求めれれています。

能力主義から脱すっることができれば、生きた心地を感じ、他者と働くことがつらいものではなくなっていきます。

競争ではなく、共創への方向転換が求められています。

本の要約

要約1

人が人に選ばれるシーンは学校、職場、プライベートなど日常的にありふれたもので、どのように選ぶのか、選ばれるのかという視点はどこにでもあるのものです。

しかし、選ばれるために無限の努力やゴールのないレースを強いられ、勝者と敗者を生み出す仕組みそのものが間違っているのでは?という視点からの議論はあまりされていません。

脱落者が続出するような競争、ルールで選ばれる人であれといわれる重圧があるのは社会が能力主義を強く信奉しているためです。

身分による違いで地位が決まることは差別的ですが、能力であれば、自己責任であり平等とされがちですが、能力もまた不平等なものですし、そもそも、能力とは何かを正確に定義したり、測定することは不可能に近いものです。

要約2

能力主義が社会の配分を決めることへの疑問がある中で、能力主義は強化されるだけでなく、より抽象化されています。

学力ではなく、人間力、生きる力などへの抽象化は止まらず、能力開発や人材開発業界などの市場規模は年々大きくなっています。

欠乏を突き付け、際限なく高みを目指させて、結果が出ないときも構造的な欠陥には目を向けることのできない能力主義は様々な場面で限界がみられています。

特に仕事では一人で仕事をしている人はおらず、本来はその貢献度に序列をつけることはできないものです。

また、組織として策を講じるべき際に、個人の能力の問題のせいにしてしまうような例も多く見られます。

言動の癖や傾向は個人個人でちがいがあり、自分だけの持ち味が周りの人や要求されている仕事内容とうまくかみ合うこと時が活躍し、優秀と称される状態になるに過ぎず、タイミングなどの偶発性に大きく左右されるものです。

優秀な組織は優秀な人があつまったものではなく、様々な持ち味を持ったメンバーを最大限活かす組織であるといえます。

理想論のようにも聞こえますが、どんなことでもできる人を探すことのほうがよほど難しく、不可能に近いことです。良しあしでや優劣ではなく、人と人の持ち味を組み合わさることを目指すことが重要です。

要約3

能力という虚構的な概念を据えたほうが合理的となっている社会の構造もあり、能力主義は私たちの意識に深く根付いています。

そのため、個人の能力からそれぞれの関係性に焦点をずらしていくことは難しいことでもあります。

それでも選別を前提とし、自立、競争によって本来、組み合わせることが重要な人間を分断してしまっている状態は人間に適したものではありません。

このような状態を変えるために必要なのは、人を選ぶという視点ではなく、自分のモードを変え、どう活かしていくかと視点に変換することが大切です。

また、競争のある組織では、優劣をつけるために、脚の引っ張り合いがどうしても起きるため、フラットな組織で競争を避けることも有効です。

学校教育や企業などが人を選ぶことの限界に気づき、その方向性を転換することが改めて求められています。

要約4

タイパ、生産性などとにかく効率よく成果を出すことを求められている時代ですが、他から抜きんでるのではなく、他者とともにあることこそが労働であると考えることは簡単なことではありませんが、生きた心地は競争をしているときよりも感じられるはずです。

競争ではなく、共創を意識することで、他者と働くことがつらいものでなくなりやすくなります。

どんな形でも他者とともに在ることが労働であり、教育であり、社会で生きるということであることをもう一度考えてみるべきです。

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