感染症の文明史 茂木誠 要約

本の概要

コロナによる被害もようやく落ち着いていますが、人々の価値観を変換させた影響はなくなるわけではありません。

これまでも、人類が文明を築いて以来、感染症に大きな被害を受けてきました。感染症と戦う中で多くの経験値を得ています。

特に感染症はただ死者をだすような直接的な被害だけではなく、人々の価値観や精神性にも影響を与え、その影響はパンデミックが収まったあとも残り続けます。

コロナが収まった今だからこそ、感染症との戦いで学ぶことができることの意味はあります。

駿台予備学校、ネット配信のN予備校で大学入試世界史を担当している歴史を知り尽くした筆者によって人類のパンデミックとの戦いの歴史を解りやすく知ることができます。

この本がおすすめの人

・パンデミックの歴史を知りたい人

・パンデミックが価値観をどう変えてきたか知りたい人

・感染症と人類がどう戦ってきたか知りたい人

本の要約

要約1

人類は感染症によって大きな被害を受けてきましたが、人類が文明を築き、細菌やウイルスとの闘いで多くの経験値を得ていることも確かです。

現在、コロナによる被害が落ち着いてきてはいますが、その影響がなくなるわけではありませんし、また新たなパンデミックの発生もおこります、

これまでの人類と感染症との戦いから学べることも多くあるはずです。

要約2

パンデミックは農耕によって人口が増加、密集したことや家畜の増加で発生するようになりました。

2世紀ごろにはすでに中国とローマ帝国で同じ感染症でそれぞれの王朝が衰退した可能性もあります。

感染症の拡大は人々に古い習慣や宗教を捨て、新しい宗教に向かわせました。特に死に良い意味を持たせる宗教である、キリスト教と仏教が大きく広がりました。

要約3

ペストの流行は人口を大きく減らす一方で、人々の精神性にも影響を与え、ルネサンスや科学革命などの西欧の近代化の要因になるなどプラスの面ももたらしました。

ヨーロッパ人によるアメリカ原住民の支配を可能にしたのは、武器以上に感染症への耐性の有無ともいわれています。

原住民をヨーロッパ人を支配する体制は今でも続いており、今でも続く社会不安の根本原因は感染症への耐性の有無とも言えます。

要約4

人類は公衆衛生や新技術で感染症と戦い、大きく前進してきました。しかし、パンデミックがあらゆる分野で価値観の変換を起こしていることには変わりがありません。

コロナ渦も人々の価値観を大きく変えました。感染症との戦いからどのように価値観の変換が起きるのかを知ることができます。

人間と感染症はどのような関係なのか

 人類は脳の発達により、他の生物を圧倒する繁栄を成し遂げていますが、細菌やウイルスによる感染症にはほかの動物と同じように冒されてしまいます。

 新型コロナの感染爆爆発でも人類は多くの被害をこうむりました。

 その一方で、人類が文明を築き、細菌やウイルスとの闘い始めてから、5000年もの時間が経っており、感染症との戦いで多くの経験値を得ています。

 長い歴史を振り返りることで、人類が蓄積してきた経験から学ぶことも多いはずです。

ほかの生物を圧倒するようになっても、感染症に感染することは変わっていません。一方で、感染症との戦いによる経験も積んでおり、長い歴史を振り返ることで学べることもあります。

最初のパンデミックはどのようなものだったのか

 狩猟採集民の時代は集団間の距離が大きく、病原体が集団をまたいで広がることもなく、感染症が爆発的に広がることはありませんでした。

 農耕による人口の増加と密集や家畜の増加が広がることで、感染症が流行するようになりました。

 史上初のパンデミックは2世紀ごろに起こりました。ローマ帝国がメソポタミアに攻め込んだ際に病原体を持ち込んだことでパンデミックとなりました。

 病原体は天然痘かはしかと推測されており、ローマ帝国の人口を激減させ、その勢力は徐々に衰えていきました。

 また、同時期の中国でも疫病による被害が報告されており、ローマ帝国と同じく、漢王国崩壊の要因となってしまいました。

 市場初のパンデミックは世界の広い範囲で確認させ、それぞれの王朝の衰退の原因になるほど大きな影響をもたらした可能性もあります。

農耕社会による人口の密集と家畜の増加で感染症の流行が起こるようになりました。

初のパンデミックは天然痘かはしかによるものとみられ、ローマ帝国と中国の漢王朝の衰退の原因となった可能性もあります。

パンデミックは人々にどんな影響を与えたのか

 感染症の拡大は、王朝の衰退、崩壊の要因となりましたが、宗教にも大きな影響を及ぼしました。

 感染症によるパニックは人々に古い習慣や宗教を捨て、新しい宗教に向かう強い動機となります。

 特に、死が身近なものとなるため、死を忌避する宗教ではなく、死を受け入れたり、立ち向かったり、死に意味づけをするような宗教が強く求められるようになります。

 西洋ではキリスト教が、東アジアでは仏教がその役割を果たすことで、大きく広がることとなりました。

王朝の衰退だけでなく、宗教にも影響を及ぼしました。パニックは新しい宗教への動機づけとなり、死者の大幅に増加する状況では、死に良い意味を持たせることのできる宗教が受け入れられるようになりました。

多くの被害を出した感染症は何か

 6世紀のエジプトかのナイル川の河口から、疫病の流行が起こります。疫病は東はシリア、ペルシャへ西はコンスタンティノープルへと向かいます。

 この疫病が初めて確認されたペストであり、多くの被害を生みました。多くの地域で死亡者が増え、人口が減ってしまいました。

 この時にローマ帝国とペルシャの間にあったアラビア半島にムハンマドが現れ、イスラム教国家を建設します。アラブ人はもともとペストに対する免疫を持っていた可能性もあり、大きく勢力を拡大しました。

6世紀に初めて観測されたペストは定期的に、流行し、多くの人の命を奪ってきました。

パンデミックの要因はウイルスや細菌の伝染だけなのか

 6世紀には日本でも、飛鳥時代に天然痘と思われる疫病が流行した記録があります。

 同時期に日本では天然痘、西洋や西アジアではペストが流行していますが、この時期、実は530年にハレー彗星が接近したことで、気候変動が起きています。

 ハレー彗星が細かいちりを大気圏に放出し、太陽の光を遮り、作物が実らず世界各地で飢饉が発生しています。

 感染症の爆発は細菌やウイルスの伝染だけでなく、免疫機能の低下によってもおこります。気候変動による寒冷化が栄養不足による免疫機能の低下をもたらし、感染症の流行を招きました。

 異なる地の、異なる感染症が同じ要因で起きたかもしれない事例となっています。

 ハレー彗星以外でも自然環境の急変→農民の窮乏、疫病の発生→社会不安による政権交代という流れは多くの場所で見られています。

感染症の爆発は細菌やウイルスの伝染だけでなく、免疫機能の低下によってもおこります。

気候変動による作物の不良が栄養不足を招き、免疫を低下させ、パンデミックが起きる流れは多くの場所で見られます。

ハンセン病はどのような感染症なのか

 ハンセン病は感染力が弱く、致死率も低いため、パンデミックの要因となることはありません。

しかし、ハンセン病は症状が悪化すると、顔面や手足の変形、障害を起こし、後遺症となることがあります。後遺症が祟りや罪業の報いとみなされたため患者や元患者への理不尽な差別が世界中でみられました。

 日本でも、特効薬が開発され、隔離される必要性がなくなった後も、政府は隔離政策をやめることなく続け、長期にわたって差別が起きる要因を作ってしまっていました。

ハンセン病は感染力が弱く、致死率が低いもの、顔面や手足の変形を起こすことなどから、理不尽な差別が起こる要因となってしまいました。

特に重大な感染症は何か

  ペストは疫病の中でも幾度となく流行し、すさまじい数の犠牲者を生むこととなります。

 1350年代の中国では、人口の3分の2が、14世紀のヨーロッパでは人口の3分の1にあたる2500万人の死者が出ています。

 この時のペストは世界人口4億5000万の20%、5000万人の命を奪ったともいわれています。

 中世ヨーロッパでのペストの流行は人々の精神を一変させました。

 ペスト流行を防ぐことのできないカトリック教会の失墜、責任を押し付けられたユダヤ人の迫害などをもたらしました。

 これらの動きがルネサンスや科学革命などにつながっており、14世紀のペストの余波によって、西欧の近代化が始まったとも言えます。

ペストは世界中で何度も、流行し、すさまじい数の犠牲者を生みました。

被害の一方で、人々の精神性にも影響を与え、ルネサンスや科学革命などの西欧の近代化の要因にもなりました。

ペストの被害はどのように収束したのか

 17世紀にはイギリスでペストが流行しました。当時のイギリスはスペインに代わり世界市場への参入をはじめため、人の流れも多くパンデミックのおこりやすい状況でした。

 ロンドン市は防疫対策として、患者の出た家の封鎖やペットである小動物の殺処分などを行いましたが大きな効果はありませんでした。

 最終的には50万人のうち7万人の命を奪い、生き残った人々に集団免疫ができたことで収束します。

 完全な収束は翌年のロンドン大火によって訪れます。火事への対策によるカラぶき屋根の禁止と木材不足による石造建築の推奨でペストを媒介するクマネズミが住居の屋根裏に住むことができなくなったことでペストは収束しました。

ロンドンでの流行は集団免疫の獲得と住居が木造から石造りとなったことで、媒介するネズミが住むことができなくなったことで収束しました。

感染症はアメリカ原住民の人々にどのような影響を与えたのか

 天然痘は多くのパンデミックを起こしてきました。ヨーロッパによるアメリカ大陸への侵攻では、天然痘に体制のなかった原住民を襲い、大きな被害を生みました。

ヨーロッパ人がアメリカ原住民の支配に可能にしたのは、武器の存在だけでなく、感染症への抵抗も大きかったと考えられています。

 天然痘以外にも、麻疹、チフス、インフルエンザ、マラリアなども持ち込まれ原住民たちは肉体敵にも精神的のも打ちのめされてしまいます。

 精神的にも追い込まれた原住民は征服された後に訪れた宣教師の言葉を信じ、キリスト教に改宗していきます。

 原住民をヨーロッパ人が支配する体制は今でも続いており、今でも続く社会不安の根本原因は感染症への耐性の有無とも言えます。

 その後、種痘を摂取することで予防できることが分かると、感染者は増え、最終的には完全な撲滅を成し遂げています。

ヨーロッパ人によるアメリカ原住民に支配は天然痘をはじめとした感染症がもたらした面が大きく、現在まで続く社会不安の根本原因に感染症への耐性の有無があるとも言えます。

人類は感染症とどのように戦ってきたのか

 コレラや結核などの感染症が猛威を振るうこともありますが、人類は以下のような進歩で感染症に対抗するようになります。

・上下水道の整備

・医療現場での消毒の導入

・顕微鏡の発明による細菌の発見

・防疫のための隔離や検疫システムの確立

 公衆衛生の向上や防疫が安全保障にかかわる問題であり、国防にも重要と考えた先人たちによって徐々に感染症を防ぐ体制が整えられてきました。

人類は公衆衛生や新技術で感染症と戦ってきました。防疫が安全保障にかかわる重大な問題と認識した国家によって感染症を防ぐ体制が整えられてきました。

ウイルスによる感染症はどのようなものか

 細菌よりも小さなウイルスは顕微鏡でも発見できませんでしたが、徐々にその存在が明らかになっています。

 電子顕微鏡の登場で、ウイルスが見えるようになると、遺伝情報をもつものの、生物とは構造の大きく異なる部分もあり、生物か無生物かの議論は今でも続いています。

 生物の遺伝情報はDNA、RNAの二つで伝えられますが、ウイルスはどちらかしか持っていません。DNAウイルスは遺伝情報が安定しており、一度ワクチンを開発する長期間使用可能です。

 一方で、RNAウイルスは遺伝情報がエラーを起こしやすいため、突然変異が起きやすいため、ワクチンもすぐに使えなくなります。

 インフルエンザはRNAウイルスが原因となるため、毎年予防接種をする必要があります。

 また、新型コロナもRNAウイルスであるため変異が速やかに起きました。

ウイルスは細菌よりも小さく、なかなか見つかりませんでした。特に、RNAウイルスは変異がしやすく、ワクチンができてもすぐに使えなくなってしまいます。

感染症の歴史から何を学ぶことができるのか

 21世紀に入り、10年ごとにパンデミックが繰り返されているのは、グローバル化が進行したことによります。

 グローバリズムは経済的な利点だけでなく、国家間の相互依存性を強めることで、国際的な緊張関係を緩和し、戦争の防止にも効果があります。

 しかし、グローバリズムは多国籍企業の独占や移民の増加による治安悪化、失業率増加による社会不安を高める点が懸念され、行き過ぎたグローバリズムに対する反動も起きていました。

 コロナのようなパンデミックが起こりやすいという点は反グローバル化に拍車を変えける可能性もあります。

 日本を含む世界中で、コロナ対策で後手に回ってしまった部分がありましたが、あらゆる分野で価値観の転換が起きる可能性があります。

 人類が感染症とともに歩んできた文明史から、価値観の転換がどのように起こるのかを学ぶことができます。

21世紀に入り、10年ごとにパンデミックが起きているのはグローバル化による弊害で、反グローバル化に拍車をかける可能性があります。

パンデミックはあらゆる分野で価値観の転換を起こしてきました。

感染症と文明史の関係から価値観の転換がどのように起こるかを学ぶことができます。

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