本の概要
多くの人は能力主義社会が平等であり、目指すべき社会と信じています。
しかし、実際には能力主義は社会の分断を招いてしまっています。分断を招いているのは能力主義が完ぺきではないせいと考える人も多いですが、能力主義事態にも問題があります。
能力主義は自身の成功は運ではなく、自身の努力のおかげと思いすぎ、敗者を見下すようになっていきます。見下された敗者はエリートへの反発を高め分断を招いてしまいます。
成功者も能力主義のもたらす社会に大きなストレスを感じているため、能力主義を見直すことには大きな意義があります。
能力主義を見直すことで、謙虚さを取り戻し、よりよい社会につながっていきます。
この本がおすすめの人
・能力主義に疑問を感じる人
・なぜ世界で分断が起きているか知りたい人
現在アメリカではどんなことが起きているのか
現在、アメリカではかつてないほどの政治的な分断が起きていますが、コロナウイルスによるパンデミックで立場の弱い労働者は健康面でも、収入面でも大きな影響を受けた一方、経済的に有利な人々の影響は大きくありませんでした。
政治的、文化的エリートへの敵意を持つ人々の存在はトランプ支持という形で顕著に表れました。このような敵意がどのように生じ、どうすれば良いのかを考えるのが本書の目的となります。
アメリカでは政治的な分断が起き、政治的文化的エリートへの敵意があからさまになっています。
分断の原因はなにか
2019年に有名大学への不正入学が明らかになると、大きなスキャンダルとなりました。しかし、親が大学に寄付を行うと子供の入学に有利になることは違反でなく、公然と認められています。
また、そもそも学力を測る標準テストの結果も所得に比例しており、大学の願書に磨きをかけるため
にエリート向けスポーツを行う、多額の授業料が必要などの理由もあり、現在アイビーリーグの学生の2/3が所得上位20%の家庭の出身となっています。
この問題に対しては、政治的な姿勢に関わらず、能力主義を発揮できない状況が間違っていると考える人が多い。つまり家庭の裕福さではなく、自身の力量や才能に基づき入試が行われるべきと言う意見です。
このような意見は能力に基づいた結果であれば、結果による恩恵を受ける権利があると考えていることになります。
能力主義は自分の成功は自らの努力と才能で勝ち取ったと信じることにつながってしまいます。しかし、このような能力主義が労働の尊厳を失い、多くの人がエリートに見下されると感じる要因となっています。
分断に要因の一つは能力主義にあります。
なぜエリートへの反発を強まっているのか
エリートへの反発や外国人阻害などはアメリカだけでなく、ヨーロッパでも多く見られています。
エリートたちはポピュリスト達が自分たちに反発することとなったかを理解できていません。
1980年代以降、市場主導型のグローバリゼーションが世界で推し進められてきました。金融業界の規制緩和などで恩恵を受けたのは社会の頂点の人々でした。
従来、アメリカでは、アメリカンドリームのように貧乏でも成功できる流動性の高い社会であったため格差自体が問題になることは少なかったが、近年は社会流動性が低下し、反発の原因となっています。
グローバリゼーションで恩恵を受けたのが社会の頂点の人々だけであったことと、社会の流動性が下がったことがエリートへの反発を強めています。
なぜ能力主義が分断を招いてしまうのか
このような問題に対し、能力主義者は機会の平等を成し遂げることで改善が可能と考えてきました。しかし成功を運によるものであるとの考えを忘れ、自身の能力、努力つまり自身の手柄と考えることで敗者を見下すようになってしまいます。見下された敗者による反発がポピュリズムの台頭の要因の一つです。
成功が能力によるという考えは、宗教にも見られます。有徳な人々は報酬を得て、邪な人々は失敗するという考えは何時か逆転し、報酬を得ている=有徳と考えるようになっていきます。
現代の成功に対する見解は、成功は幸運や恩寵ではなく、自身の努力と頑張りによってもたらされるというものです。能力主義は他者への共感性を蝕み、機会の不平等さえ取り除けば、自分のいるべき場所に到達するという考えを生んでしまいます。
能力主義は政治的な立場を超えて広がっていきます。ここ40年の間に能力や値するといった表現が公的な言説のなかで多く見られるようになっています。
徐々に努力すれば出世できるという言葉は能力主義のおごりを肥大させ、激励ではなく、侮蔑と感じられるようになり、エリートへの不満となっていきます。
能力主義は成他者への共感性を蝕み、敗者を見下すようになり、見下された側はエリートへの反発を強く持つようになってしまいます。
能力主義の問題はどんなところでみられるか
学歴は大きな力を持ち、武器となるため多くの人が学歴を求めています。学歴が武器となる現象が能力や功績が一種の専制となり得るかを示しています。教育機会を平等にさえすれば、優れた武器は優れた人が手に入れると考えるようになり学歴偏重主義へとつながっていきます。
学歴偏重主義によって、学位を持たない人=劣る人々という偏見を与えています。学歴の低さは、人種や貧困以上に個人の努力不足とされ、エリートからの避難をうけるようになっていきました。
近年では、議員ほとんどが学位を持つようになり、労働階級から議員になる人は大きく減少してしまっています。
その結果による分断はアメリカの大統領戦で見られ、学位を持つ人の多くがヒラリーに投票し、持たない人の多くがトランプに投票するという形で現れました。
容赦のない学歴偏重は労働階級の有権者を移民排斥などのポピュリスリストの政党を支持させる結果となっています。国家の運営などを専門家主導で行い、市民の力をそぐテクノラートが進むことへの反発もポピュリスリストの台頭につながります。
学歴偏重による分断は能力主義による分断の例となります。
能力主義が完璧な形で運用されれば、問題は解決するのか
能力で決まる社会と生まれで決まる社会のどちらかが好ましいか聞かれれば、多くの人は能力で決まる社会が望ましいと考えます。
しかし、同じ貧しい境遇でも、能力で決まる社会のほうが、生まれで決まる社会よりも自信の喪失につながり、貧富さによる分断が大きくなります。
能力主義に関する議論は社会の競争システムに不備があり、公平でないという点になりがちだが、理想的な能力主義そのものにも欠点があります。
能力主義が完璧な形で運用されれば良いと考える人も多いが、能力主義そのものにも欠点があります。
能力主義は勝者にどのような考えをもたらすのか
多くの場合、公正な競争であれば、勝者と敗者に分かれるのは当然と考えるが才能を持ち、その才能を高く評価する社会に暮らしているのは偶然といえます。
また、公正な競争下では努力しだいで成功できると考えは、成功が環境の有意性やたまたま持った才能であることを忘れさせ、努力の意義を誇張することとなります。
功績とそれがもたらす価値に関連がないという考え方は自由主義や福祉国家でも見られる。ファンドマネージャーと教師の賃金差に疑問を持つ人は少なくありません。
しかし、それでも成功者のおごりがなくなることはありません。貧しい人に再分配をすること自体が貧しい人へ軽蔑的な態度を取らせる要因になってしまっているためでもあります。貧しいのは運ではなくその人の功績のためであると考えることとなってしまう。
能力主義者たちはこの侮蔑に気づかず、その怒りが徐々に大きくなり、ポピュリスリストの台頭へとつながっていった。
成功が環境の有意性やたまたま持った才能であることを忘れさせ、努力の意義を誇張することとなり、敗者に対する侮蔑を招いてしまいます。
学歴偏重による能力主義を再考することにどんな意味があるのか
難関大学への進学が成功に重要となると、選別装置としての機能を強く持つようになっています。
公平な能力主義に実現には社会の流動性が必要であり、社会の流動性を生むのは教育と考えられてきましたが、実際には能力による不平等を正当化することとなります。
現状では、学力と収入は比例し、能力主義による高等教育は不平等を固定化してきました。成功者はお金を使うことで子供の能力を伸ばすことが可能となった結果、名門大学には裕福な家庭の子が増え、教育による所得階層の移動は少なくなっています。
大学への入学=自身の努力という感覚を持つ人は多いため、学位を持たない人は自身に学位はないことは自分の努力不足と考えるようになってしまいます。
親から様々な種類の教育を受けることが大学の入学に有意になると過度な教育や親の介入、期待による精神的なストレスも問題になっています。
能力主義によって分断された市民生活を修復するために高等教育の役割を再考することは、勝者にも敗者にも意義が大きいことです。
一定の適格性を持つものの中からくじで選ぶなどとすれば過剰な教育を避け、能力主義の慢心を減らすことができます。
学歴偏重では学位を持たないこと=努力不足ととらえるため、勝者も敗者にも大きな問題をもたらします。見直すことで能力主義による分断を防ぐことも可能になります。
労働に対して能力主義はどう働いてきたか
労働による賃金はグローバリゼーションによって格差がより広がった。広がる格差も能力の結果と考え、低賃金の人々の労働の尊厳をむしばんできた。
労働者を生産者であり、消費者でもあるというアイデンティティはなくなり、消費者としてしか見なくなり、尊厳が失われてしまいました。労働を所得だけでなく、その貢献を承認することが重要となるります。
このような姿勢が共同体意識をたかめ、社会の絆を回復する方法となります。
広がる格差も労働の尊厳を失わせてしまっています。労働を所得だけでなく、貢献の面から承認することも重要となります。
能力主義に代わる社会はどんなものか
著名な野球選手であるハンク・アーロンは人種隔離時代のアメリカで育ったが、プロ野球選手と大きな成果を残しています。
このような話は能力主義の良さを表すように思われるが、野球選手として活躍しなければ超えられない人種差別精度を憎むべきであって、能力主義を愛するべき理由にはなりません。
機会の平等は道徳的に必要だが、善き社会に相応しい理想ではなく、資産の少ない人でもまともで尊厳のある社会は機会平等な社会に代わる社会といえます。
自身の運命が偶然のたまものと思うことで謙虚になることで、能力の専制を超えて寛容な公共生活に向かわせてくれます。
目指すべきは完璧な能力主義ではなく、資産が少なくても尊厳をもつことができる社会です。自分の運命が偶然と思い、謙虚になることでより良い社会につながっていきます。
感想
能力主義は平等で、目指すべき社会とされますが、現在の社会では行き過ぎた能力主義が社会の分断をまねいてしまっていると本書では書かれています。
社会の勝者は自分が勝利したことをすべて自分の手柄と感じ、敗者を見下すため敗者は劣等感や反発を持つことで社会の分断が広がってしまいると筆者は書いています。
自分の勝利が環境や家庭など偶然の要素があると捉えることで謙虚になるという部分は日本でもとても大切に感じます。生活保護批判など強者が弱者を自己責任論で切り捨てている風潮を少し和らげることができるのではと感じます。
ただ、どうやってそのような考え方を広げていくかは難しいなと感じました。本書では大学の入学試験である一定の能力を持つ場合はくじ引きで合否を決めるなどが挙げられていますが、なかなか受け入れられないでしょう。
どうやって謙虚の気持ちを持てるかは難しいですが、まずは成功がすべて自分の努力によるものでないということを知ることで少しは謙虚な気持ちを持てるようになるのではと思いました。
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