人間はどこまで家畜か 要約

本の要点、概要

この本や記事で分かること

・自己家畜化とは何か

・自己家畜化は人類に何をもたらしたのか

・行き過ぎた自己家畜化は何をもたらすのか

自己家畜化とは何か

最近の進化生物学のトピックスに「自己家畜化」というものがあります。

 自己家畜化とは、生物が進化の過程でより群れやすく、より協力しやすく、より人懐っこくなるような性質に代わっていくことを指します。

 人の近くで住んでいたオオカミやヤマネコが人間を恐れずに暮らし、生き残った子孫が犬や猫への進化した事は自己家畜化の分かりやすい例といえます。

 近年の研究からこの自己家畜化が人間にも起こったと論じられています。自己家畜化は人間が文明社会を築くうえで非常に重要であったと考えられています。

・高密度な集団を作っていられる

・共通のルールを守って暮らせる

・攻撃性や不安を抑えることができる
 などのことは動物としてはすごい性質であり、この性質がなければ、交易や文明は成立しないため、人類にも自己家畜化が起こったとされています。

自己家畜化とは、生物が進化の過程でより群れやすく、より協力しやすくなるように進化することで、近年の研究で人類にも自己家畜化が起こったとされています。

自己家畜化には良い面しかないのか

 自己家畜化がもっと進み、文明が進歩していけば万事OKというわけではありません。文明社会に人間が飼いならされる状況やさらに攻撃性や不安を抑えることを求めらることで、その求めについていけない人も多くなっていきます。

 暴力や犯罪が少なく、安全安心な暮らしを実現できている裏で、多くの人が社会不適応を起こし、心を病んでしまっています。
 自己家畜化という進化が社会や文化の発展を促してきましたが、社会、文化の発展が早すぎれば、ゆっくり進む進化過程との齟齬はどんどん大きくなっていきます。

社会、文化の発展が早すぎれば、自己家畜化についていけない人が不適応となってしまいます。

自己家畜化はどのように起きるのか

 自己家畜化が進行している生物で起きている生物学的なメカニズムの一つがホルモンを分泌する臓器の成熟度度合の変化です。

 視床下部-下垂体-副腎系(HPA系)はストレスに対して分泌されるホルモンの分泌をつかさどっています。HPA系はストレスに対する感情的な反応の基礎となり、人間もストレスを感じるとコルチゾールやノルアドレナリンといったホルモンが分泌され様々な臓器に影響し、血糖値や血圧、心拍数などを上昇させストレス源と対峙させるようにします。

 一般的に、野生生物でも子供のうちがHPA系が成熟していないため、あまり人間を怖がりませんが、大人になるとHPA系が成熟し、人間と接すると恐怖や攻撃性を示すようになります。

 家畜化が進むと、大人になっても、HPA系の反応が鈍く、従順な行動を示しやすくなります。またHPA系のホルモンは体の色素を司る細胞にも影響を与えています。一部の家畜化した動物で白い斑点が見られることも、HPA系のホルモンの影響と考えられます。

 HPA系の反応性の低下以外にも、家畜化によって動物には以下のような変化が起きています。
・小型化する

・顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる

・性差が小さくなる(雄が強さをアピールする度合いが小さくなるなど)

・体重に対する脳の容量が小さくなる

・セロトニン(不安や攻撃性を減らす作用を持つ)の増加

 これらの変化はHPA系のホルモン以外にも胎児期に出現し。成長過程で様々な場所に移動し、様々な役割を果た神経堤細胞が関連している可能性もあります。

 進化の過程で、人間にも多くの動物で確認されている家畜化が起きています。 

 HPA系の反応性が下がり、セロトニンが多く利用できる家畜的な脳への変化によって、協力し合い、ルールを共有し、社会をかたちづくる形質を身に着けるに至っています。

自己家畜化で起きている生物学的なメカニズムの一つが、ホルモンを分泌する臓器の成熟度度合の変化です。HPA系のホルモンへの関与によるストレスに対する感情的な反応の抑制や不安や攻撃性の減少、不安や攻撃性を減らすセロトニンの増加などによる変化が代表的なモノです。

なぜ、人間は争いや戦争がなくならないのか?

 家畜化が進み、暴力性は低下しているにも関わらず、戦争はなくなったわけではありません。
攻撃性にはその場の感情に根差した「反応的攻撃性」と計画的な「能動的攻撃性」の2種類があり、セロトニンの増加などの変化は反応的攻撃性は減らしても、能動敵攻撃性を減らすわけではありません。

 冷静な頭で考え、準備して人を害するということは家畜化が進んだ人類でも見られるものです。

自己家畜化によって、反応的攻撃性は減らしても、能動敵攻撃性を減らすわけではないため、争いや戦争がなくなるわけではありません。

文化的な自己家畜化とは何か

 ホモサピエンスの歴史は約20万年にもなりますが、その大半の期間を数百人程度の小部族からなる狩 猟採集社会で過ごしてきました。狩猟採集時代の文化は国家による介入がないことあり、部族間の戦闘や残酷な復讐なども多くなっていました。

 また、狩猟採集時代には共同体無しでは、生きられず、共同体からの離脱は死を意味したため、人々はルールを逸脱したものを目ざとく発見し、罰したいと感じる行動形質を進化させてきました。

 都市の発展や司法の誕生によって、反応的攻撃性が小さくなること自体は進んできましたが、現代のように危険が大きく減少したのはつい最近の数百年のことに過ぎません。

 中世以降、穏やかな文化が進むにつれ、社会の中で合理的な主体であることが求められるようになり、それによって安全で便利な暮らしをおくることができるようになっています。

 合理的な主体であることの重要性の増加は、ホルモン分泌などの生物学的な自己家畜化だけでなく、文化的な自己家畜化も進めてきました。

 しかし、この文化的な自己家畜化は恩恵だけをもたらすわけではないとも言えます。医療の発展は寿命の伸長や健康をもたらしましたが、死を日常から遠いものとしています。

 死生観の変化は自分の命がどこから社会のものでどこまで自分のものなのかを曖昧しています。命が社会ものであるという考えによって、健康リスクを冒す行為を禁止することが個人の自由を上回るようなケースも見られます。

中世以降、文化が穏やかになり、社会の中で合理的な主体であることが、強く求められるようになると文化の進化も自己家畜化を後押しするようになっています。

文化的な自己家畜化による家畜化の加速はどのような不具合を生むのか

 高度な資本主義とそれをもたらす文化や環境で育った世代は。資本主義を内面化し、それに基づいて行動しています。
 コスパやタイパなどの考えは資本主義の内面化といえ、このような行動をとること自体は悪いことではありませんが、本来、資本主義に基づいていない領域(結婚や芸術、子育てなど)でも、資本主義をもとに行動するようになれば、私たち自身が資本の乗り物に過ぎないような存在になってしまっているとも言えます。

 また、社会全体で社会契約から逸脱する人を阻害するような動きは人々を豊かにした反面、見方によっては思想に飼いならされているとも見ることができます。
 さらに、文化や環境が発展し、これまで以上に文化的な自己家畜化が進み、生物的に身に着けている家畜度合いと社会が求める自己家畜度合いに乖離が生じていけば、不具合が生じてしまいます。 

 社会全体で功利主義がいきわたり、これまで以上に社会契約を全うし、資本主義や個人主義に妥当する流れが加速すれば、これまでは、HPA系の自己抑制の弱い人やセロトンニンの少ない人でも問題なく生きていけましたが、精神疾患として扱われるようになっていきます。

 学校教育においても、児童、生徒の行動管理などが進んだことで、暴力行為は減少しています。一方で、功利主義に基づいた ルールを守らせ、なじませることに適応できない子もおり、不登校、特別支援教育の対象者の増加につながっています。
 文化や環境の変化は人間の行動を変えてきましたが、子供は生物学的な自己家畜化以上のものは身に着けていない状態です。子供が感情や衝動を抑制できないことを極端に問題視すれば、安全は確保できても、文化的な自己家畜に対応できない子を排除することとなってしまいます。

文化や環境が発展し、これまで以上に文化的な自己家畜化が進むことで、安全で便利な社会を実現できる反面、生物的に身に着けている家畜度合いと社会が求める自己家畜度合いに乖離が生じていけば、その乖離に苦しむ人が多くなってしまいます。

今後、社会をはどう変化していくべきか

 生物学的な自己家畜と文化的な自己家畜に組み合わさることで、社会はこの数百年で大きく変化しました。
 このギャップに苦しむ人も多くなっています。また、社会の進歩を止めることはなく、ますますギャップは大きくなっていくことが予想されます。
 エンハンスメントなど自己家畜化を人為的に推し進める可能性もあります。また、家族や子供をもつことを功利主義的にとらえすぎれば投資としては、あまりに長期で利益が不確かなため、リスクと捉えるのも当然のこととなります。

 文化的な自己家畜化が長寿や利便性、生産性を向上させていることは確かです。しかし、このエビデンスが現代ならではの権力として私たちを文化的な自己家畜の方向に引っ張っていくと抵抗しにくいものとしています。
 
 技術や制度の先端にいる人にとって、進歩は必ず良いものと感じ、自分たちが社会を良い方向に導くと感じてしまいますが、守らなければならないルールや社会適応のためのハードルの高さを感じる人も多くいます。

 そのような人たちにも耳を傾け進歩を見直す姿勢も必要になってきます。社会の進歩による恩恵を認めつつ、進歩に警戒の目を向ける感覚も必要になってきます。
 進歩を否定せず、動物としての人間を取り戻す、加速する文化と環境と生物学的な人間とを折り合いつけられる未来を創造することが大切になっています。

進歩は多くのモノをもたらしましたが必ずしも良いものとは限りません。動物としての人間を取り戻す、加速する文化と環境と生物学的な人間とを折り合いつけられるようにすることも大切なことです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました