この記事で分かること
- 水素生成の触媒の種類:天然ガスからの改質では、安価なニッケル(Ni)系触媒が使われます。一方、水の電気分解(グリーン水素)では、高活性ですが高価な白金(Pt)やイリジウム(Ir)といった貴金属触媒が一般的に使われています。
- 貴金属触媒が活性の高い理由:電子構造(d電子軌道)により、反応に必要な分子を強すぎず弱すぎない最適な強さで吸着し、反応の活性化エネルギーを最も効率的に下げるため、高い活性を発揮します。
- マンガン触媒の高性能化の理由:最大の課題であった酸性環境での安定性が、コバルトとの複合化や電位制御技術の開発により向上したためです。これにより、安価なマンガン触媒の実用化が可能になりました。
貴金属不使用の水素生成触媒
理化学研究所(理研)は、貴金属を使わずに水素を製造するための触媒に関する研究開発を進めています。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG308U30Q5A031C2000000/
特に、水の電気分解による「グリーン水素」製造の低価格化・実用化に向けた成果をいくつか発表しています。
一般的な水素を製造するための触媒は
水素を製造するための触媒は、採用する製造方法によって大きく異なります。現在、主に工業的に利用されている方法と、近年注目されている方法とで、使用される触媒の主な材料は以下の通りです。
1. 工業的な水素製造(化石燃料の改質)
現在、最も大量に水素が生産されている方法(グレー水素)は、主に天然ガス(メタン)を原料とする水蒸気改質法です。このプロセスでは、高温・高圧下でメタンと水蒸気を反応させます。
水蒸気改質触媒
- 主な材料:ニッケル(Ni)系触媒
- ニッケルは比較的安価で、メタンの炭素-水素結合を切断し、一酸化炭素(CO)と水素(H2)を生成する改質反応(CH4 + H2O→CO + 3H2)を促進します。
- その他の触媒:
- 貴金属(ルテニウム Ru、ロジウム Rh)なども利用されますが、ニッケルよりも高価です。
- 触媒の活性や安定性を高めるために、アルミナ(Al2O3)などの担体が使用されます。
水性ガスシフト反応触媒
- 改質反応で生成した一酸化炭素は、さらに水蒸気と反応させて水素を増やす(CO + H2O → CO2 + H2)工程(水性ガスシフト反応)を行います。
- 主な材料:
- 高温シフト反応: 鉄・クロム系酸化物触媒
- 低温シフト反応: 銅・亜鉛・アルミナ系触媒
2. 水の電気分解(水電解)
再生可能エネルギーを用いて水を電気分解することで、二酸化炭素を排出せずに水素(グリーン水素)を製造する方法が注目されています。この方法では、電極上で水を分解するために触媒が使われます。
水の電気分解触媒(電極触媒)
水の電気分解は、陽極(酸素発生反応 OER)と陰極(水素発生反応 HER)の2つの半反応から成り立ち、それぞれに触媒が必要です。
| 反応の種類 | 主な材料(一般的な触媒) | 触媒の課題と傾向 |
| 陽極 (OER) | イリジウム(Ir)酸化物、ルテニウム(Ru)酸化物 | 希少な貴金属で非常に高価。このため、酸化マンガン(MnO2)やコバルト(Co)などの非貴金属系への代替研究が盛んです。 |
| 陰極 (HER) | 白金(Pt) | 最高の活性を持つ貴金属。コスト削減のため、ニッケル(Ni)や鉄(Fe)などの非貴金属合金、または炭素系材料を用いた触媒開発が進んでいます。 |
- PEM(固体高分子膜)型水電解では、高い効率と長寿命を実現するため、酸性環境に強いイリジウム(OER)と白金(HER)が特に一般的に使用されます。
- アルカリ水電解では、比較的安価なニッケル(Ni)や鉄(Fe)などの卑金属系触媒が使用されることもあります。
貴金属は、高い活性と安定性から、水の電気分解や燃料電池において最も高性能な触媒として広く使われていますが、希少性が高く高価であることが、水素社会実現の最大の課題の一つとなっています。
そのため、理研などの研究機関では、これらの貴金属を不要とする、または使用量を大幅に削減する非貴金属触媒の開発が活発に進められています。

水素の最も一般的な製造法である天然ガスからの改質では、安価なニッケル(Ni)系触媒が使われます。一方、水の電気分解(グリーン水素)では、高活性ですが高価な白金(Pt)やイリジウム(Ir)といった貴金属触媒が一般的に使われています。
貴金属触媒の活性が高い理由は
貴金属触媒の活性が非常に高いのは、主にその電子構造と表面特性が、化学反応の活性化エネルギーを最も効率的に下げるように設計されているからです。
活性が高いとは、「少ない量で、より速く、より低温で反応を進行させる能力が高い」ことを意味します。この能力は、以下の主要な要因によって実現されます。
1. 適切な吸着強度(表面特性)
- 反応物質の吸着: 触媒反応は、反応物質が触媒の表面(活性サイト)に吸着することから始まります。貴金属は、反応に必要な分子(水素、酸素、COなど)を効果的に引き寄せる強い吸着能力を持っています。
- 脱離とのバランス: しかし、吸着が強すぎると、生成物が表面から離れられず(脱離)、次の反応を妨げてしまいます。貴金属は、反応物を強すぎず、弱すぎない、絶妙な強さで吸着し、反応後に生成物をスムーズに脱離させる特性を持っています。この吸着と脱離の最適なバランスが、高い活性をもたらします。
2. 特有の電子状態(d電子軌道)
- 活性点の役割: 貴金属は、原子の最外殻に近いd電子軌道に電子が詰まっており、このd電子が、吸着した反応分子の電子と相互作用(結合)することで、分子の結合を切断・再構築しやすくします。
- 活性化エネルギーの低下: この電子的な相互作用により、反応が進行するためのエネルギー障壁(活性化エネルギー)を大幅に下げることができます。活性化エネルギーが低下すれば、より多くの分子が反応に必要なエネルギーを得られるため、反応速度が飛躍的に向上します。
3. 化学的な安定性と耐久性
- 貴金属は、酸化・還元反応を起こしにくく、化学的に安定しています。
- 触媒として長期間、高温や酸性・アルカリ性といった厳しい反応環境下で構造が変化しにくい(耐久性が高い)ため、活性を失わずに使い続けることができます。これは、工業的な利用において非常に重要な利点です。
その他の要因
ナノ粒子効果: 触媒として使用される貴金属は、通常、数ナノメートル(nm)サイズの超微粒子として担持されます。この微細な構造により、高い表面積と特異的な構造を持つ活性サイトが最大限に確保され、触媒活性をさらに高めています。

貴金属は、電子構造(d電子軌道)により、反応に必要な分子を強すぎず弱すぎない最適な強さで吸着し、反応の活性化エネルギーを最も効率的に下げるため、高い活性を発揮します。
マンガン使用の利点は
マンガン(Mn)を触媒として使用する主な利点は、コストの削減と資源の豊富さにあります。
これは、特に水の電気分解による水素製造(グリーン水素)において、高価で希少な貴金属(イリジウム、白金など)の代替として非常に重要視されています。
1. 資源の豊富さと低コスト
- 豊富な存在量: マンガンは、地球上に豊富に存在する卑金属(非貴金属)です。
- 低価格: 希少性が高いイリジウムや白金などの貴金属に比べて、非常に安価に入手できます。
- 意義: 水素製造コストの大部分を占める触媒の材料費を大幅に下げ、グリーン水素製造の経済的な実用化に大きく貢献します。
2. 環境負荷の低減
- 貴金属は採掘や精製において環境負荷が高い場合があるのに対し、マンガンは一般的に環境への負荷が低いとされています。
3. 高い耐久性(特定の条件下で)
- 理化学研究所などの研究により、酸化マンガン(MnO2)を特定の電位や反応条件で使用することで、長期間(11ヶ月以上など)にわたって安定した水の電気分解(特に酸素発生反応)が可能になることが実証されています。
- また、変動する電圧下でも、触媒が一時的に溶けても再生するメカニズムを持つ酸化マンガン触媒の開発も進められており、耐久性の課題克服に期待が持たれています。
課題と研究開発の方向性
一般的な貴金属触媒に比べ、非貴金属であるマンガン触媒には、以下の課題が存在します。
- 活性(効率)の向上: 一般に貴金属触媒よりも触媒活性が低く、より高い電圧(エネルギー)が必要となる場合があります。
- 酸性環境での安定性: 固体高分子(PEM)型水電解槽のような酸性環境下では、マンガンイオンが溶け出しやすい(溶出)という課題がありました。
現在の研究開発は、この活性と安定性の課題を、構造制御や他の元素との複合化(例えば、微量のイリジウムとの組み合わせ)によって克服し、工業的に要求される性能を満たすことを目指しています。

最大の利点は、資源が豊富で非常に安価なため、高価で希少な貴金属(イリジウム等)を代替し、グリーン水素製造コストを大幅に削減できることです。
マンガンを使用できるようになった理由は
マンガン(Mn)を水の電気分解(特に固体高分子膜 PEM 型水電解)の触媒として実用化できるようになった最大の理由は、非貴金属触媒の最大の課題であった酸性環境での安定性(耐久性)を向上させる技術が開発されたからです。
かつて、マンガンなどの非貴金属触媒は、PEM}型水電解の過酷な酸性環境下で、触媒成分が溶け出す(溶出・劣化)という問題があり、貴金属(イリジウムなど)の代替として利用が困難でした。
マンガン触媒の安定性向上技術
近年、理化学研究所をはじめとする研究機関により、マンガン系触媒の安定性を劇的に高める以下のような技術が開発されました。
1. 複合化による構造安定性の向上
- コバルト(Co)との複合化: マンガンを単独で使うのではなく、コバルトなどの別の元素と組み合わせた複合酸化物(例:Co2MnO4)を合成することで、触媒の構造そのものを強化し、酸性環境下での溶出を抑制することに成功しました。
- この複合触媒は、強酸性環境下で長期間(例:200 mA/cm2の電流密度で1,000時間以上)安定して機能することが実証されています。
2. 稼働条件(電位)の制御
- 触媒には、その元素の特性に応じて安定して稼働できる電位領域が存在します。
- 研究により、マンガン酸化物触媒の劣化を抑えることができる安定電位領域が特定され、この領域内での運転を可能にする技術や、変動電圧がかかっても触媒が一時的に溶け出し、その後に再生するような自己修復メカニズムの特定・利用が進められています。
これらの技術開発により、マンガン触媒は「安価で豊富」という利点を活かしつつ、貴金属触媒に迫る、あるいは一部の用途で実用レベルの「活性と安定性」を兼ね備えることができるようになり、実用化の道が開かれました。

最大の課題であった酸性環境での安定性が、コバルトとの複合化や電位制御技術の開発により向上したためです。これにより、安価なマンガン触媒の実用化が可能になりました。

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