本の概要
コンテナは一見するとただの箱にすぎないが、世界中の輸送コストを下げ、貨物輸送量を大きく増やすことに大きく貢献した
コンテナの輸送業界への導入は港で働く人々の状況を一変させ、船や港の巨大化を招き、コンテナに適さない港は廃れていく、トラックや鉄道、船を経由して荷物を輸送する際にシームレスに輸送できるなど運送業界に大きな影響を与えた
しかし、輸送コストの低下の影響は運送業界への影響に留まらなかった
製造業のグローバル化は輸送コストの低下≒コンテナの普及によって起きた 輸送コストが高い場合は一か所で完成品を作る必要があったが、様々な場所で製造したものを輸送し完成品を製造することが可能となった
生産の分散は少量種を生産することとなり、品質の向上と在庫の低減が可能となった
一方、コンテナの普及の際に起きたことはイノベーションが普及する際に重要なことも教えてくれる
コンテナの普及で仕事を奪われる人たちの抵抗は他のイノベーションでも当てはまること 破壊的なイノベーションは各所に大きな影響があり、乗り遅れるとその地域の経済を停滞させることもある
そして、コンテナの普及とそれがもたらす影響を予想できなかったことは、破壊的なイノベーションを理論的に分析することがどれほど難しいかを示している
コンテナという普段気にも留めない存在が世界の輸出入、経済を大きく変えたことがわかることができる作品です
まえがき
コンテナは重要性は高いが単純なため研究対象にはならないと考えられてきた
しかし、世界経済の統一化は貨物を安価に運ぶことに依存しており、コンテナが果たした役割は大きい
コンテナの歴史では予想はことごとく外れており、合理的な分析の限界をも示している
コンテナの普及がアジアを世界の貿易市場に取り込む、製造業が港の近くにいる必要がなくなり、多くの卸売り業者が失業するとはだれも思わなかった
第1章 最初の航海
コンテナの普及以前はモノを輸送することは非常にお金がかかった 地球の裏側はもちろんアメリカの東海岸から西海岸に運ぶことも難しかったため、原料から完成品を作る工場は一か所にまとまっていた
コンテナの普及で輸送費が下がると、工場はより人件費が安い地域に移動することができた
輸入品が増加し消費者の選択肢が増え、製品の価格が下がる結果となった
コンテナの普及前、海上貨物運賃の半分は港(貨物の荷役など)で発生していた
コンテナは港での荷役の効率化を可能とし、コストが下がった
コンテナの普及を見ることで
イノベーションの重要性
輸送コストと経済地理学の関連性
イノベーションが普及するときにどんなことが起こるか見ることができる
第2章 埠頭
コンテナ輸送が始まるまで商業の中心地の大半の都市は港を抱えていた
当時の貨物は様々な大きさや種類の混載貨物が多かった これらの貨物を埠頭で荷を下ろしたり載せたりするのが沖仲仕といわれる人々だった
沖仲仕は重労働であり、危険が多い、雇用が不安定などの理由から独特の文化をもっていた
会社のために働く人はおらず、沖仲仕同士の連帯感が非常に強かった 沖仲仕の家系は代々沖仲仕になるため、排他的でもあった
労使の停滞関係は港で大きな問題を引き起こしていた
1つは積み荷の窃盗 もう一つは雇用側の変更に対し、沖仲仕が従わないため効率改善などが進まないことだった
第3章 トラック野郎
第2次大戦後好景気に沸いたアメリカだが、海運業はトラック輸送の拡大もあり低迷していた
利益は出ていないが、政府からの手厚い保護や競争の制限があったため、海運業者はなにかを変える必要性がなかった
トラック運送会社を立ち上げたマクリーンは、年々ひどくなるハイウェイの渋滞に悩まされており、トラックを船に乗せ輸送する方法を思いついた
船会社を買収後トラックを乗せると車輪分のスペースが無駄だと気づき、トラックの荷物を積むボディを外して運べばいいというアイデアを思いついた
このアイディアがコンテナの誕生となった
第4章 システム
マクリーンはコンテナ専用輸送船を製造し、積載量の増加と荷役作業の効率化を目指を行った
沖仲仕の拒否などもあり当初はコンテナでの輸送はうまくいかなかった
プエルトリコとの輸送に参入すると輸送コストを30%以上下げることに成功した 運送コストの減少はプエルトリコでの組み立て産業を盛り上げることにつながった
第5章 ニューヨーク対ニュージャージー
ニューヨーク港は1950年代海上輸送される工業製品の3分の1を扱っていた
しかし、ニューヨーク港には欠点も多く市の保護のために多く利用されているに過ぎなかった
ニューヨーク市としても港は雇用の供給として欠かせなかった
また、当時は輸送費が高いため、港の近くに製造業の工場が多くこちらも雇用に大きく貢献していたため、手厚い保護で港を助けていた
戦後老朽化や沖仲仕の犯罪の多さなどからニューヨーク港は次第に貨物の取り扱いが減少していった
一方でニュージャージー州では大量のトラックが行き来できるように港を改造し、コンテナ輸送に最適な港としていった
ニューヨーク側も改造を行ったが、立地の問題からコンテナへの対応ができなかった
コンテナ輸送が拡大するにつれ近くに位置する二つの港の輸送量の差は大きくなっていき、ニューヨークでは工場の数も激減していった
第6章 労働組合
コンテナ輸送や機械化は荷下ろしや荷積みの効率化も促したが、港湾業者の労働組合は力が強く、効率化を図りたい経営者と側常に争っていた
効率化を阻め、沖仲仕の職を確保するために非効率なルールを設けていた
経営者側は賃金保障などで譲歩し、徐々に機械化と効率化を進めていった
この改革によって荷役効率は41%上昇した
沖仲仕の待遇も変化し、人数は減ったものの常勤となり安定した収入を得るようになり、強い連帯感も徐々に少なくなっていった
仕事を奪うようなイノベーションを産業界が導入するときには、労働者を人間的に扱うことが必要となる そうでないと大きな反発を招くことになる
第7章 規格
コンテナの普及は続いていたが、サイズがばらばらなことが普及の妨げになる懸念があった
サイズがばらばらでは船、トラック、鉄道、クレーンが対応できなかった 実際ヨーロッパ製のコンテナはアメリカの鉄道に適合しなかった
これでは貨物業界全体で見るとコンテナを導入しても、コスト削減につながらない要因となっていた
コンテナのサイズの規格が決まった当初は長さの規格に適合したのはわずか16%だった
1966年に様々な変更を経て決定した規格がようやく各所に普及することとなり、国際コンテナ輸送の現実味が増すようになった
第8章 飛躍
コンテナの登場から6年後の1962年の時点では貨物にコンテナが占める割合はわずかだった
海上貨物をコンテナに入れて運ぶだけではコスト削減は充分でなかったから
原因の一つは海運業の船は第2次大戦に使われた船をそのまま使っており、コンテナ輸送に適したものではなかった
マクリーンがコンテナ輸送に適したコンテナ船を製造すると、他社も追従しコンテナ輸送は一気に広がった
内陸部の輸送についてもコンテナがトラックに広がった 鉄道による輸送にもヨーロッパではコンテナが広がったが、アメリカでは伝統や規制に守られていたためコンテナ輸送への積極的な参入を行わなかった
第9章 ベトナム
ロジスティックスはもともと武器弾薬や物質補給を意味する軍隊用語
ベトナム戦争は南北に長い地形、水深の深い港が一つしかないなどで、物資の輸送は非常にやりにくかった
ベトナムへの輸送はほとんどが混載船が行っていた マクリーンがコンテナの有用性を訴え、コンテナによって実際に効率良く輸送を行なうと港の改良が行われた
コンテナによる効率化が認められると、その後軍事関係の輸送には多くのコンテナが用いられるようになった
アメリカからベトナムへの輸送後、ベトナムからアメリカに戻る際に荷物を積んで帰れば大きな利益となる このときにマクリーンが目をつけたのが日本
当時アメリカにとって第2位の貿易相手国であったこともあり、トランジスタラジオ、ステレオ、自動車などを大量に運ぶこととなった
第10章 港湾
コンテナの増加は港の需要にも影響を与えた
コンテナ輸送は大量の貨物を高速で運ぶことで利益を出す必要がある そのため大型の貨物がスムーズに荷役できる港にのみ立ち寄るようになっていった
当時西海岸の港はさびれていたが、コンテナ輸送に対応したオークランドやシアトルは大きく発展していった
物流コストの低下は市内の産業と港との距離が近いというメリットを小さくした
イギリスでも同じようなことが起き、コンテナ輸送に不向きなロンドンの利用は減り、それまで小さい港だったフェリクストウはコンテナに対応し大きく発展した
コンテナに対応した港は荷役効率が66%向上していた
当初コンテナ輸送が長距離には適さないとみられていた しかしアジアでもコンテナ輸送が始まるとそれが誤りであることがわかり、コンテナ輸送はますます増加した
特にシンガポールはアジアのハブ港として大きく発展した
シンガポールはハブ港だけでなく、物流管理のノウハウも輸出し世界の30近い港の運営も行っている
第11章 浮沈
コンテナ輸送が増加し、コンテナ船の必要性が増すと船への投資が高額となっていった マクリーンは税米最大のたばこ会社に身売りすることで資金を得て、高速コンテナ船製造を行った
大型船が大量に投入され、貨物量は飛躍的に増加した
その一方でコンテナ輸送の供給過剰による値下げ圧力、オイルショック時の燃料高騰、不況による海上貨物量の減少などは業界の再編を促した
海運業が独自技術から次々にヒット商品を生み出すことは不可能で、景気の変動を大きく受けることで明らかになった
第12章 巨大化
コンテナによる輸送が本格化すると大手企業のみが生き残った 大手企業は貨物量の増加、船の巨大化を実施し、利益の確保を行った
船の巨大化に合わせ、港の巨大化も進んだ
これらの変化は港の繁栄にも影響した それまで港は立地が重要だったが、サイズが重要となった
船会社は少数の港を中心にルートを組み、荷主も輸送費が下がれば港の選択肢が増え、少数の港に荷物が集中した
コンテナリゼーションには多くの投資が集まり、大きな船、港の改善、クレーンの高性能化が一層進むようになる
第13章 荷主
コンテナリゼーションは当初海運業界には大きな影響をもたらしたが、他の産業への波及はそれほど多くなかった
混載貨物と併用されていることもあり、荷主のコストダウンはそれほど大きくなかった オイルショックによる燃料価格高騰は大型化したコンテナ船の燃費が悪いこともあり、運送運賃の値上がりをもたらし、遠国との取引量を減少させた
また、コンテナの基本コンセプト鉄道、トラック、船によるシームレスな輸送はなかなか実現しなかった
規制によって守られていた運送業界ではコンテナ化によるコストダウンはなかなか進まなかった
徐々に規制緩和が進み荷主の価格決定権が強くなると、運賃が下がりコンテナ輸送は増加し、国際貿易量は大きく増加した
貿易量の増加にコンテナが果たした役割はとても大きかった
第14章 ジャストインタイム
輸送費が高い時代には原料や部品を自前で調達し自社工場で製品を製造する垂直統合が製造業で一般的だった
輸送コストが下がると、生産の分散化が可能になった
トヨタのジャストインタイムは自前での部品製造をやめ、部品メーカーと長期計画を結んだ
この変更によって在庫を減らし、特定製品の製造が可能になるため品質を高めることができるようになった
現在の貨物の多くは完成品ではなく中間財 ある場所で加工され、次の処理のために別の場所に運ばれていくものが大幅に増加した グローバルなサプライチェーンが可能となったのもコンテナの影響といえる
第15章 付加価値
港湾は有利な立地だけで選ばれるのではなく、鉄道、トラック、港、物流センターなど様々な組み合わせで展開されるようになった
ドバイの立地は港として理想ではなかったが、政府が積極的にコンテナ港の建築を行ったことや徹底的な効率化もあり、ハブ港として大きく発展した
コンテナ輸送が世界経済地図を塗り替え、貿易量を大幅に増やすとはだれも思っていなかった
市場も国も民間も政府も何度も判断を誤ったが最終的に世界経済に大きく貢献するようになった
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