この記事で分かること
- 支援の変化内容:巨額補助金による生産施設誘致から、次世代技術の「研究開発(R&D)」への支援に重点を移し、特に2nm以下の先端技術や先進パッケージングの試作・設計プラットフォームへの投資を強化する方向です。
- 研究開発を重視する理由:巨額な工場誘致競争の回避と、2nm以下の先端技術や設計における長期的な技術主権を確保し、持続的な競争力を獲得するためです。
- 自国主義が増加しているわけ:経済安全保障の観点から、半導体のサプライチェーン途絶リスクを回避し、技術覇権を握るため、各国が国内生産や研究開発を巨額補助金で優遇しています。
EUの半導体支援の変化
世界の主要国・地域(米国、EU、日本など)の半導体支援策は、自国・域内勢力の優遇を強く意識した傾向にあります。これは、地政学的なリスクの高まりやサプライチェーンの強化を背景に、半導体の国内(域内)生産能力の確保と技術開発を重視しているためです。

欧州連合(EU)は、当初の「工場誘致」を重視した戦略から、「研究開発(R&D)への支援強化」へと戦略を大きく転換する方向で、欧州半導体法(European Chips Act)の改正を進める方針を示しています。
法改正の内容は
現時点で欧州半導体法(European Chips Act)の改正法案そのものの具体的な内容は公表されていません(改正案は早ければ2026年春にも公表予定とされています)。
しかし、「工場誘致から研究開発へ」という方向転換は、既存の半導体法で既に柱として確立されている研究開発支援を大幅に強化・拡大し、当初の生産拠点誘致(国家補助金の特例)への依存度を下げることを意味しています。
法改正の方向性として報じられている研究開発(R&D)への支援強化の内容は、主に以下の既存の枠組みを拡大・深堀りするものと考えられます。
法改正が強化する見込みの研究開発(R&D)支援の主な内容
欧州半導体法は、もともと「チップス・フォー・ヨーロッパ・イニシアチブ(Chips for Europe Initiative)」という名称で研究開発支援を第1の柱として掲げており、改正ではこの部分に重点が置かれます。
1. 先端パイロットライン(試作ライン)の設置・運営支援
研究成果を実用化に繋げるため、量産前の技術検証、テスト、試作を行うための世界最先端の施設を設置・運営します。
- 目的: 欧州の研究機関や企業が、量産前のリスクを負わずに、新しい技術や設計コンセプトを検証できる環境を提供します。
- 具体的な重点技術:
- 2nm以下の最先端半導体の技術開発
- 異種集積技術(Advanced Packaging): 異なる種類のチップを組み合わせて高性能化を図る技術
- ワイドバンドギャップ・超ワイドバンドギャップ半導体: SiC(炭化ケイ素)やGaN(窒化ガリウム)など、電力効率の高い次世代パワー半導体
2. クラウドベースの設計プラットフォームの整備
半導体設計(デザイン)は欧州の強みの一つであり、この分野を強化します。
- 内容: EU域内の半導体設計企業やスタートアップ向けに、高額な設計ツールやIP(知的財産)にアクセスできるクラウドベースの設計環境を展開します。これにより、特に初期段階の企業の研究開発を促進します。
3. 量子半導体などの次世代技術への投資
長期的な技術的優位性を確保するため、将来的に重要な役割を果たす分野への投資を加速します。
- 具体例: 量子半導体技術やエンジニアリング能力の開発、国産の人工知能(AI)半導体の実証・商用化支援などが含まれます。
4. 人材育成・コンピテンシーセンターのネットワーク構築
研究開発を支える人材不足への対策も強化します。
- 内容: EU全域でコンピテンシーセンター(技術・知識共有拠点)のネットワークを構築し、半導体の技術者や科学者の育成、技術移転を促進します。
「工場誘致」からのシフトとは
初期の欧州半導体法は、域内での生産を増やすために、「域内初(first-of-a-kind)」となる先端半導体生産施設に対して、加盟国による国家補助金(通常はEU規制で原則禁止)を特例として承認する仕組み(第2の柱)が大きな焦点でした。
「研究開発へのシフト」は、この「生産能力確保・工場誘致」に偏っていた支援構造を是正し、「設計・研究開発」といった技術的基盤の強化に予算と政策資源をより多く配分することで、持続的な競争力を確保しようとする戦略的転換です。
業界団体からは、この研究開発支援のためのEU単体の予算規模を200億ユーロ(約3.6兆円)規模に拡大する要望が出ていると報じられており、法改正ではこの予算の確保が焦点の一つとなる見通しです。

欧州半導体法(EU Chips Act)の改正は、巨額補助金による生産施設誘致から、次世代技術の「研究開発(R&D)」への支援に重点を移し、特に2nm以下の先端技術や先進パッケージングの試作・設計プラットフォームへの投資を強化する方向です。
なぜ、研究開発支援に重点を移すのか
EUが半導体支援の重点を工場誘致から研究開発(R&D)へ移す主な理由は、長期的な「技術主権」の確保と、持続的な競争力の獲得を目指す戦略的転換にあります。
これは、短期的な生産能力の増加だけでなく、将来の技術革新における優位性を確立するための措置です。
1. 長期的な技術的優位性の確保
- 技術主権の確立: 半導体はAI、量子技術、高度な通信技術など、次世代産業の根幹です。EUは、他国に依存せず、自らこれらの基幹技術をコントロールできる「技術主権」の確立を目指しています。
- 最先端技術への集中: 単に現在の技術で量産工場を誘致するだけでなく、2nm以下の次世代ノードや先進パッケージングなど、将来的に競争力を決定づける最先端技術の研究・開発に資金を集中させる必要があります。
2. 補助金競争の回避と効率化
- 誘致合戦の激化: 米国、日本、アジア諸国など、世界中で巨額の補助金による工場誘致競争が激化しており、EUが対抗し続けるのは財政的負担が大きいです。
- 欧州の強みの活用: 欧州には、オランダのASMLやベルギーのimec(アイメック)のような高度な研究機関や製造装置メーカーが存在します。これらの既存の強みを最大限に活かせる研究・設計という上流工程に注力することが、EUにとって最も効率的な戦略となります。
3. サプライチェーン上流の強化
- 価値の創出: 半導体産業において、最も大きな付加価値を生むのは設計(デザイン)と知的財産(IP)の部分です。R&Dを強化することで、この上流工程での域内企業の競争力を高め、サプライチェーンにおける欧州の地位を向上させる狙いがあります。
つまり、EUの戦略は、短期間で生産量を増やす「量」の確保から、将来の市場を支配する「質」の確保へと移行していると言えます。

巨額な工場誘致競争の回避と、2nm以下の先端技術や設計における長期的な技術主権を確保し、持続的な競争力を獲得するためです。
半導体製造で自国主義が高まっている理由は
半導体製造において自国主義が高まっている最も大きな理由は半導体が「経済安全保障の最重要戦略物資」と位置づけられるようになったためです。
主な理由は以下の3点に集約されます。
- 地政学リスクの顕在化(供給途絶の回避):
- 新型コロナウイルスのパンデミックや地政学的緊張(特に米中対立や台湾情勢)により、特定の地域に生産が集中している半導体のサプライチェーンが途絶するリスクが顕在化しました。
- 半導体の安定供給が途絶すれば、自動車、家電、医療機器から軍事システムに至るまで、国民生活と国家安全保障のすべてが危機に陥るため、自国内での生産能力確保が最優先事項となりました。
- 技術覇権競争の激化:
- AI、5G/6G、量子コンピューティングなどの次世代技術の成否は、最先端半導体の性能に依存します。
- 各国は、将来の技術的な優位性(覇権)を握るために、自国企業や研究機関への補助金や規制を通じて、コア技術の開発・流出防止を強化しています。
- 既存の国際秩序の機能不全:
- 世界貿易機関(WTO)などの国際協調の枠組みが、経済安全保障を理由とした保護主義的な国家介入(巨額の補助金や輸出規制)を効果的に抑制できていません。このため、各国が「自国ファースト」で国内産業を優遇する動きが加速しています。

経済安全保障の観点から、半導体のサプライチェーン途絶リスクを回避し、技術覇権を握るため、各国が国内生産や研究開発を巨額補助金で優遇しているからです。

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