この記事で分かること
- どのように構造決定を行うのか:NMRによる構造決定は、主に化学シフトで原子の近傍環境を、ピークの積分比で各環境の水素数を、カップリング(分裂)で隣接する水素の数を解析します。これらをパズルのように組み合わせて分子骨格を特定します。
- エタノールとジメチルエーテルの違い:エタノールは3種の異なる環境の水素を持つためピークが3本(比率3:2:1)現れますが、対称構造のジメチルエーテルは全水素が等価で1本(比率6)のみです。酸素との距離による化学シフトの差が顕著に出ます。
NMRによる構造決定
機器分析とは、化学反応を用いる古典的な化学分析に対し、物質が持つ物理的・化学的性質を精密な機器で測定し、その物質の成分や構造を分析する方法の総称です。
高感度で迅速な分析が可能であり、微量な成分や複雑な混合物も精度高く分析できるため、現代の科学技術分野で広く利用されています。
今回はNMRでの構造決定に関する記事となります。
NMRでは構造決定をどのようにして行うのか
NMR解析では「化学シフト」でパーツ(原子の種類と環境)を特定し、「スピン結合」でパーツ同士の繋がりを確認することで、パズルのように構造を完成させます。
1. 化学シフト:原子の「住所」
原子の周りにある電子の状態によって、信号が出る「位置(横軸)」が決まります。
- 情報: 「この水素は、酸素の隣にいるな」「これは二重結合の一部だな」といった、原子の置かれた環境がわかります。
2. スピン結合:原子の「隣人関係」
信号が何本に分裂しているかを見ます。
- 情報: 「隣の炭素には水素が2個ついているな」といった、原子同士の結合状況(つながり)がわかります。
化学シフトで「原子がどのような化学環境(パーツ)にあるか」を特定し、スピン結合で「そのパーツがどう隣り合っているか」を判別します。これら両方の情報を組み合わせることで、分子全体の正確な設計図を描き出せます。
エタノールとジメチルエーテルはどのような違いになるのか
エタノールとジメチルエーテルは、どちらも分子式が C2H6O という構造異性体の関係にありますが、NMRの化学シフトでは驚くほどはっきりとした違いが現れます。
それぞれの水素原子(1H)が置かれている環境は以下のような違いがあります。
1. エタノール (CH3CH2OH) の場合
エタノールは、水素が3つの異なる環境に分かれています。
- CH3 基(約 1.2 ppm): 酸素から遠いため、一般的なアルカンに近い低い値に出ます。
- CH2 基(約 3.7 ppm): 電気陰性度の高い酸素原子に直接結合しているため、電子を奪われて化学シフトが大きく(左側に)移動します。
- OH 基(約 1~5 ppm): 溶媒や濃度(水素結合の強さ)によって値が大きく変動するのが特徴です。
2. ジメチルエーテル (CH3OCH3) の場合
ジメチルエーテルは、分子が対称な構造をしています。
- CH3 基(約 3.2 ppm): 全ての水素が「酸素の隣にあるメチル基」に属しています。そのため、ピークは1種類しか出ません。
- エタノールの CH2 同様、酸素に隣接しているため値は比較的大きくなります。
比較まとめ
| 特徴 | エタノール | ジメチルエーテル |
| ピークの数 | 3本 (CH3, CH2, OH) | 1本 (CH3 × 2) |
| 積分比(面積) | 3 : 2 : 1 | 6 (全等価) |
| 特徴的な形 | CH3 と CH2 がお互いに分裂する | 分裂せず鋭い1本の線になる |
エタノールでは、隣り合う炭素の水素同士が影響し合う「スピン-スピン結合」により、ピークが枝分かれ(分裂)して見えるのも大きな違いです。
このように、化学シフトとピークの数を見るだけで、これら2つの物質は簡単に見分けることができます。

エタノールは3種の異なる環境の水素を持つためピークが3本(比率3:2:1)現れますが、対称構造のジメチルエーテルは全水素が等価で1本(比率6)のみです。酸素との距離による化学シフトの差が顕著に出ます。
プロパンとプロペンはどのような違いになるのか
プロパンとプロペンでは、「二重結合の有無」が化学シフトに決定的な違いをもたらします。
1. プロパン (CH3-CH2-CH3)
すべての炭素が単結合 (sp3) で構成されているため、電子の遮蔽が強く、ピークは全体的に右側(低化学シフト側)に寄ります。
- 環境の数: 2種類(端の CH3 と中央の CH2)
- 化学シフト: *CH3:約 0.9 ppm
- CH2:約 1.3 ppm
- 特徴: アルカン特有の低い数値のみが観測されます。
2. プロペン (CH2=CH-CH3)
二重結合 (sp2) が含まれることで、構造が複雑になります。
- 環境の数: 4種類(CH3、および二重結合部分の異なる3つの H)
- 化学シフト: * CH3 基: 約1.7 ppm二重結合の隣なので少し左へ移動)
- ビニル水素 (=CH2, =CH-): 約4.5~ 6.5 ppm 特徴: 二重結合部分の水素は、磁気的異方性効果によって電子密度が低くなり、プロパンよりも大幅に左側(高化学シフト側)に現れます。
比較
| 項目 | プロパン (飽和) | プロペン (不飽和) |
| 主なピーク域 | 0.9~ 1.3 ppm付近 | 1.7と 5~6ppm 付近 |
| ピークの種類 | 2種類 | 4種類 |
| 二重結合の影響 | なし | 強い脱遮蔽により左へ大きく移動 |
プロペンでは、二重結合部分の水素がそれぞれ異なる方向を向いているため、非常に複雑な「分裂」が見られるのも大きな特徴です。

プロパンは単結合のみで構成されるため、ピークは低磁場側の 1~1.5ppm 付近に2本現れます。一方、プロペンは二重結合の「磁気的異方性」により、不飽和結合の水素が 5 ~6 ppm付近に大きくシフトして現れるのが特徴です。
磁気的異方性とは何か、なぜ大きく化学シフトするのか
磁気的異方性とは、分子内の π 電子(二重結合やベンゼン環など)が外部磁場によって円環状に運動し、場所によって強度の異なる「二次的な磁場」を生み出す現象です。なぜ大きく化学シフトするのか、その理由は以下の通りです。
1. 誘導磁場の発生
外部磁場(B0)をかけると、π 電子がぐるぐると回り、ミクロなコイルのような役割を果たします。これにより、分子の周りに独自の磁場(誘導磁場)が発生します。
2. 「磁場の足し算」が起こる
この誘導磁場は、場所によって向きが異なります。
- 環の外側(水素がある場所): 誘導磁場の向きが、外部磁場と同じ向きになります。
- 結果: 原子核は「外部磁場 + 誘導磁場」という通常より強い磁場を感じるため、エネルギー差が大きくなり、化学シフトが大きく左側(高磁場側)へ移動します。これを脱遮蔽と呼びます。
代表的な構造と影響
| 構造 | 誘導磁場の影響 | 化学シフトの変化 |
| ベンゼン環 | 環の外側の磁場を強める | 大きく左へ (7 ~ 8ppm) |
| 二重結合 (C=C) | 結合平面上の磁場を強める | 左へ (4.5~ 6.5 ppm |
| 三重結合 (C≡C) | 軸方向の磁場を弱める | 右へ (例外的に遮蔽される) |

磁気的異方性とは、π電子の循環によって場所ごとに強度の異なる磁場が生じる現象です。ベンゼン環等の外側では、この誘導磁場が外部磁場を強める方向に働くため、原子核が受ける磁場が増大し、化学シフトが大きく左側へ移動します。
フェノールはどのような解析結果となるのか
フェノール(C6H5OH)のNMR解析では、「ベンゼン環」と「水酸基(-OH)」という2つの特徴的な構造が、化学シフトに大きく反映されます。
1. ベンゼン環の水素(Harom)
ベンゼン環の水素は、先ほど説明した磁気的異方性の影響を強く受け、高い数値(低磁場側)に現れます。
- 化学シフト: 約 6.8 ~ 7.3 ppm 付近
- 特徴: 置換基である -OH 基が電子を送り込む性質(電子供与性)を持つため、ベンゼンのみ(7.26ppm)に比べると、わずかに右側(高磁場側)へシフトします。
- ピークの形: オルト位、メタ位、パラ位で環境が異なるため、複雑に分裂した複数のピークとして観測されます。
2. 水酸基の水素(-OH)
アルコールと同様、周囲の環境に非常に敏感です。
- 化学シフト: 約 4.0~ 6.0ppm付近(変動あり)
- 特徴: 水素結合の強さや、測定に使う溶媒、試料の濃度によって数値が大きく動きます。
- 見分け方: 重水(D2O)を加えると、H が D に置換されてピークが消えるため、他の水素と容易に区別できます。
解析結果のまとめ
| 構造部位 | 化学シフト (δ ppm) | 積分比(面積) |
| ベンゼン環 (H) | 6.8 ~ 7.3 | 5 |
| 水酸基 (-OH) | 4.0 ~ 6.0 | 1 |

フェノールのNMRでは、磁気的異方性によりベンゼン環の水素が 7 ppm 付近に5水素分、水酸基(-OH)が 4 ~ 6ppm付近に1水素分現れます。-OH 基の電子供給により、環の水素はベンゼン単体より少し右へ動くのが特徴です。

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