この記事で分かること
- ヒドリド鉄触媒とは:鉄とアルミニウムヒドリドを組み合わせた革新的な触媒です。50℃・常圧という極低温・低圧環境でアンモニアを合成でき、従来のハーバー・ボッシュ法に比べエネルギー効率を劇的に高めます。
- 高い活性を持つ理由:鉄を電子が極めて豊富な状態にすることで、強固な窒素分子の結合を低温で容易に切断できます。また、従来の触媒の弱点だった「水素被毒(水素が反応を邪魔する現象)」を回避できる構造のため、50℃という異次元の低温でも世界最高の反応効率を実現しています。
- ルテニウム触媒との比較:低温低圧ではルテニウム触媒以上の高い活性を持っています。強力な電子供与により窒素の結合を容易に切断できる点と、ルテニウムの弱点である「水素被毒(水素が表面を塞ぐ現象)」を克服した点にあります。
ヒドリド鉄触媒
触媒とは、それ自身は変化せずに、化学反応を促進させる物質のことです。反応に必要なエネルギーの壁(活性化エネルギー)を下げることで、通常よりも低い温度や短い時間で効率よく反応を進める役割を担っています。
現代の化学工業のプロセスの約90%に何らかの触媒が関わっていると言われているなど、私たちの生活のあらゆる場面で活躍しています。
今回はハーバボッシュ法で使用される鉄触媒に変わるヒドリド鉄触媒に関する記事となります。
ヒドリド鉄触媒とは何か
ヒドリド鉄触媒(ひどりどてつしょくばい)とは、鉄(Fe)と水素の陰イオン(H⁻:ヒドリド)を組み合わせることで、世界で初めてアンモニア合成を極めて低い温度と圧力で効率的に行うことに成功した革新的な触媒です。
2025年1月に東京科学大学(旧 東京工業大学)の原亨和教授らの研究チームによって発表され、100年以上続く「ハーバー・ボッシュ法」の常識を覆す成果として大きな注目を集めています。
1. なぜ「ヒドリド鉄触媒」がすごいのか
従来のアンモニア合成(ハーバー・ボッシュ法)には、非常に高い温度(400~500℃)と圧力(10~30MPa)が必要であり、世界の全エネルギー消費の約1%を占めるほどエネルギー負荷が高いものでした。
ヒドリド鉄触媒は、以下の点でこれまでの常識を打ち破りました。
- 異次元の低温動作: 工業用の鉄触媒は200℃以下では反応しませんが、この触媒は50℃という低温からアンモニアを製造できます。
- 高いエネルギーリターン: 既存のプラントの触媒をこれに置き換えるだけで、エネルギー効率が280%以上向上すると試算されています。
- 希少金属(レアメタル)が不要: ルテニウムなどの高価な貴金属を使わず、安価で豊富な「鉄」と「アルミニウム」を主成分としています。
2. 構造の秘密:「逆転構造」
通常の触媒は、土台となる材料の上に小さな金属粒子を載せますが、ヒドリド鉄触媒はその逆の「逆転構造」を採用しています。
- 構成: 大きな鉄粒子の表面に、アルミニウムヒドリド(AlH₃)などの水素化物をコーティングしたような構造です。
- メカニズム: アルミニウムヒドリドが鉄に対して強力に電子を与えることで、窒素分子(N₂)の非常に強い結合を切りやすくし、低温での反応を可能にしました。
3. 社会への影響
アンモニアは肥料の原料として人類を支えるだけでなく、燃やしても二酸化炭素(CO₂)が出ないため、次世代の脱炭素燃料(グリーンアンモニア)としても期待されています。
- 脱炭素社会の実現: 製造過程でのCO₂排出を大幅に抑えることができます。
- 食料問題の解決: より安価に肥料が生産できるようになります。
- 実用化の目途: 既に民間企業との共同開発が進んでおり、5年以内の量産化が目指されています。

ヒドリド鉄触媒とは、鉄とアルミニウムヒドリドを組み合わせた革新的な触媒です。50℃・常圧という極低温・低圧環境でアンモニアを合成でき、従来のハーバー・ボッシュ法に比べエネルギー効率を劇的に高めます。
アルミニウムヒドリドはなぜ鉄に対して強力に電子を与えるのか
アルミニウムヒドリド(AlH₃)が鉄に対して強力に電子を与える理由は、主に「ヒドリド(H⁻)」という負の電荷を持った水素が、電子を非常に放出しやすい性質(供与性)を持っているためです。
具体的には、以下のメカニズムが働いています。
- ヒドリドイオンの電子放出能:通常の水素分子(H₂)とは異なり、ヒドリドは電子を2つ持ったマイナスイオンの状態です。このヒドリドが鉄(Fe)に接触すると、自らが持つ余剰な電子を鉄の表面へと押し込み、鉄を電子が豊富な「富電子状態」にします。
- アルミニウムの低い電気陰性度:アルミニウムは金属の中でも電子を引きつける力(電気陰性度)が弱いため、結合しているヒドリドの電子がより自由に、接している鉄側へと移動しやすくなります。
- 窒素の結合を壊すエネルギーに変換:鉄に流れ込んだ大量の電子は、次に鉄の表面に吸着した窒素分子(N₂)の非常に強固な三重結合へと流れ込みます。これにより窒素の結合が弱まり、わずか50℃という低温でも窒素をバラバラに分解してアンモニアを合成することが可能になります。
いわば、アルミニウムヒドリドが「電子のポンプ」のような役割を果たし、鉄の反応性を極限まで高めているのがこの触媒の核心です。

アルミニウムに結合したヒドリドは電子を放出しやすい性質を持っており、鉄に接触すると余剰な電子を鉄側へ送り込みます。これにより鉄が「電子リッチ(富電子状態)」になり、窒素分子の強力な結合を破壊するエネルギー源となります。
ルテニウム触媒よりも高活性なのか
「低温・低圧」という条件下では、従来のルテニウム触媒を大幅に上回る活性を持っています。具体的には、以下の3つの点でルテニウム触媒よりも優れています。
1. 動作温度が圧倒的に低い
- ルテニウム触媒: 効率よく反応させるには通常 250℃〜400℃ 程度の温度が必要です。
- ヒドリド鉄触媒: わずか 50℃ という、お風呂の温度に近いような低温からアンモニア合成を開始できます。
2. 「水素被毒」に強い
ルテニウム触媒の最大の弱点は、水素分子が触媒表面を覆い尽くしてしまい、肝心の窒素が触媒に触れなくなる「水素被毒」という現象です。
ヒドリド鉄触媒は、表面のヒドリドイオン(H⁻)が柔軟に動くことでこの水素被毒を回避できるため、低温でも窒素を効率よく捕まえて反応させることができます。
3. コストと資源の安定性
- ルテニウム: 白金族の希少金属(レアメタル)で、非常に高価です。
- 鉄・アルミニウム: どこでも手に入る安価な材料です。「貴金属を使わずに、貴金属以上の性能を出せる」という点が、この触媒の最も画期的な部分です。
比較のまとめ
| 特徴 | 従来の鉄触媒 | ルテニウム触媒 | ヒドリド鉄触媒 |
| 主な反応温度 | 400〜500℃ | 250〜400℃ | 50℃〜 |
| 主な反応圧力 | 高圧 (10~30MPa) | 中圧 | 低圧〜常圧 |
| コスト | 安い | 極めて高い | 安い |
| 活性の高さ | 低温では働かない | 中温で高活性 | 低温で世界最高レベル |
この触媒が普及すれば、巨大な工場を作らなくても、小さな太陽光パネルの電力だけで必要な場所でアンモニアを作る「分散型生産」が可能になると期待されています。

低温域(50〜200℃)においてルテニウムを凌駕する圧倒的な高活性を示します。最大の理由は、強力な電子供与により窒素の結合を容易に切断できる点と、ルテニウムの弱点である「水素被毒(水素が表面を塞ぐ現象)」を克服した点にあります。安価な鉄で、高価な貴金属以上の性能を低温・低圧で引き出せるのが特徴です。
ヒドリド鉄触媒の問題点は何か
ヒドリド鉄触媒は非常に画期的な技術ですが、実用化に向けてはいくつか課題(問題点)も指摘されています。主な問題点は以下の3点に集約されます。
1. 水分や酸素への極端な弱さ(化学的安定性)
ヒドリド(H⁻)やアルミニウムヒドリド(AlH₃)は非常に反応性が高く、空気中の水分(湿度)や酸素に触れるとすぐに分解・失活してしまいます。
- 課題: 原料となるガス(窒素・水素)を極限まで精製し、水分や酸素を完全に取り除く高度な設備が必要です。
2. 触媒の寿命と耐久性
研究室レベルでは2,000時間以上の安定性が確認されていますが、実際の工業プラントで何年も連続稼働させる際の耐久性は未知数です。
- 課題: 長期間の使用による表面構造の変化(劣化)をどう抑えるか、また、反応中に生成されるアンモニア自体が触媒の構造に影響を与えないか、さらなる検証が必要です。
3. 大量生産のプロセス確立
この触媒は、大きな鉄の表面をヒドリドで特殊にコーティングする「逆転構造」を持っています。
- 課題: この特殊な構造を保ったまま、工業規模で数トン単位の触媒を均一かつ安価に製造する手法を確立する必要があります。

最大の課題は水分や酸素への極めて高い敏感さです。ヒドリド成分が空気中で容易に分解するため、原料ガスの高度な精製と厳密な管理が不可欠です。また、数年単位の長期耐久性や大量生産プロセスの確立も実用化への壁となっています。

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