この記事で分かること
- 炭素繊維規制案とは:自動車リサイクル法改正で廃棄時の健康懸念などを理由に、炭素繊維を「有害物質」に追加し使用を制限するものです。
- どのような反発があったのか:既存の科学的知見ではそのリスクは証明されていない、あるいは適切に管理すれば問題ないとする声がありました。
- 有力メーカーは:東レ、帝人、三菱ケミカルなどの日本企業が高いシェアを持っています。
EUの炭素繊維規制案
EUで検討されていた自動車部品への炭素繊維の使用規制案は、日本企業からの強い反発などを受け、見送りの方向で調整が進んでいることが明らかになりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8e023f9177d5c49056d1d8208c8b38392e4ef1a
三菱ケミカルをはじめとする日本の主要な炭素繊維メーカーにとっては、朗報となる見込みです。
EUの炭素繊維規制案とは何か
EUの炭素繊維規制案とは、自動車部品への炭素繊維の使用を制限または原則禁止する可能性があった一連の提案を指します。これは主に、廃棄される自動車(ELV:End-of-Life Vehicle)のリサイクルを規定する「ELV指令」(現在は「ELV規則案」として改正が進められている)の改正プロセスの中で浮上しました。
- 対象: 主に自動車部品に使用される炭素繊維。
- 提案の背景:
- 廃棄時の健康影響への懸念: 炭素繊維は非常に細く、高い強度を持つため、自動車が破砕処理される際に微細な繊維が粉塵として飛散し、人体に吸入されることで肺や胸膜に炎症を引き起こすリスクがあると指摘されました。これはアスベストの健康影響に類似する可能性が懸念されました。
- リサイクル性の課題: 炭素繊維複合材料のリサイクル技術がまだ発展途上にあり、効率的かつ経済的なリサイクルが難しい現状も背景にありました。
- 政治的・経済的側面: 一部からは、世界の炭素繊維市場で大きなシェアを占める日本企業への対抗策や、EU域内での生産回帰を促すための「環境規制」という名目での動きではないかという見方も出ていました。
- 具体的な内容:
- ELV指令の改正案の中で、炭素繊維を鉛や水銀、六価クロムなどと同様に「有害物質」の項目に追加し、自動車部品への使用を制限、あるいは原則禁止するよう求める提案が欧州議会から出されました。
- 将来的には、欧州委員会が行政立法(委任法)でさらに制限を強化できるような規定も盛り込まれる可能性がありました。
- 影響:
- もしこの規制案が成立すれば、世界で初めて炭素繊維が本格的な使用規制の対象となり、世界の炭素繊維生産量の過半数を占める日本の東レ、帝人、三菱ケミカルなどの大手メーカーに深刻な影響を与えることが懸念されました。
- 自動車の軽量化や高性能化に不可欠な素材であるため、自動車産業全体にも大きな影響が予想されました。
しかし、日本の産業界からの強い反発や、炭素繊維が自動車の軽量化やCO2削減に貢献する環境効果も大きいことなどから、現在は規制が見送りの方向で調整が進んでいます。 これは、技術革新と持続可能性のバランスを考慮した結果と考えられます。

EUの炭素繊維規制案は、自動車リサイクル法改正で炭素繊維を「有害物質」に追加し使用を制限する動きでした。廃棄時の健康懸念が背景にありましたが、日本の産業界の反発や炭素繊維の環境貢献効果を考慮し、現在は見送り方向で調整されています。
健康被害についてどのような議論があったのか
EUの炭素繊維規制案において、健康被害については主に以下の意見や懸念が表明されました。
1.アスベストとの類似性による発がん性・呼吸器疾患のリスク懸念
- 「アスベストの再来」との懸念: 炭素繊維が非常に細い(数マイクロメートルからナノメートル)繊維状物質であるため、廃棄処理時などに粉塵として空気中に飛散し、これを吸入することで、アスベスト(石綿)と同様に肺や胸膜に沈着し、炎症や線維化、さらには発がん(特に中皮腫や肺がん)のリスクがあるのではないかという懸念が欧州議会を中心に提起されました。
- 物理的特性の類似: アスベストも繊維状で生体内で分解されにくい性質を持つため、炭素繊維も同様に生体内で長期的に残留し、健康影響を引き起こす可能性が指摘されました。特に、長さがあり、細い繊維ほど、マクロファージが取り込みにくく、炎症を起こしやすいという研究結果が、カーボンナノチューブなどの極微細な炭素材料で示されています。
2.日本の産業界・専門家からの反論・科学的根拠の不足の主張
- 「WHOファイバー」基準との違い: 日本の炭素繊維メーカーや専門家は、一般的なPAN系炭素繊維の直径が5~7マイクロメートル程度であり、世界保健機関(WHO)が発がん性の懸念される繊維状物質(WHOファイバー)として定めている基準(直径3マイクロメートル未満、長さ80マイクロメートル未満、アスペクト比3以上)には合致しないと主張しました。
- 過去の研究での有害性未確認: これまでの様々な研究では、標準的な炭素繊維の有害性が確認されていないとの報告が挙げられました。例えば、肺胞に到達する吸入性繊維の条件を満たしておらず、化学修飾も行われていなかったため、毒性は認められなかったという意見もありました。
- リサイクル技術や管理によるリスク低減の可能性: 炭素繊維のリサイクル技術の進化や、粉塵対策、作業環境管理(局所排気、清掃など)を適切に行うことで、健康リスクを十分に低減できると主張されました。
3.その他の意見
- 皮膚・粘膜への刺激: 炭素繊維は弾性率が高く、繊維径が細いため、皮膚や粘膜に付着すると刺激を与え、かゆみや痛みを生じることがある、という意見もありました。ただし、これは重篤な健康被害というよりは、物理的な刺激によるものです。
- 微細化・リサイクルにおける課題: 今後、炭素繊維のリサイクルや廃棄が進む中で、より微細な炭素繊維粉塵が発生する可能性が指摘され、その生体影響の評価が重要であるという意見も出ています。一部の研究では、微細に粉砕された炭素繊維が細胞に取り込まれ、一定の細胞応答を引き起こすことが示唆されていますが、その影響は限定的であるという見方もあります。

炭素繊維がアスベストと同様の健康リスクを持つ可能性を指摘する声と、既存の科学的知見ではそのリスクは証明されていない、あるいは適切に管理すれば問題ないとする声が対立する形でした。
炭素繊維の有力メーカーはどこか
炭素繊維の有力メーカーは、グローバル市場において、日本の企業が圧倒的な存在感を示しています。特に以下の3社は「日本三大炭素繊維メーカー」として知られ、世界シェアの大半を占めています。
東レ
- 世界最大の炭素繊維メーカーであり、高い技術力と幅広い製品ラインナップを持っています。
- 航空宇宙分野(ボーイング社の主要サプライヤー)で特に強く、その他、自動車、スポーツ・レジャー、風力発電など多岐にわたる分野で採用されています。
- PAN系炭素繊維のパイオニア的存在です。
帝人
- 傘下の「東邦テナックス」が炭素繊維事業の中核を担っています。
- 航空宇宙分野(エアバス社の主要サプライヤー)や自動車分野に強みを持っています。
- 特に、高温での安定性に優れた炭素繊維や、熱可塑性樹脂との複合材料など、差別化された製品を提供しています。
三菱ケミカル
- PAN系炭素繊維だけでなく、ピッチ系炭素繊維も手掛けている点が特徴です。
- 自動車、産業、スポーツ・レジャーなど幅広い用途に展開しています。
- 近年は、自動車分野を成長戦略の柱として、積極的な事業展開を進めています。
海外の主要な炭素繊維メーカー
- Solvay (ソルベイ):ベルギーの化学大手で、複合材料分野に強み。
- Hexcel (ヘクセル):アメリカの炭素繊維・複合材料メーカー。航空宇宙・防衛分野に強い。
- SGL Carbon (SGLカーボン):ドイツの炭素・グラファイト製品メーカー。
- Formosa Plastics (フォルモサプラスチック):台湾の化学メーカー。
- Zhongfu Shenying Carbon Fiber Co Ltd(中複神鷹炭素繊維)、Weihai Guangwei Composites Co Ltd(威海広威複合材料)などの中国企業:近年、中国政府の支援を受けて台頭してきています。
日本のメーカーは、長年の研究開発と製造ノウハウにより、品質面で非常に高い評価を得ており、特に高性能な炭素繊維の分野で世界のリーダーシップを維持しています。
炭素繊維が禁止された場合にどのような代替があるのか
炭素繊維がもし広範囲で禁止された場合、特に自動車や航空機など軽量化と高強度を両立させたい分野では、さまざまな代替技術が検討・開発されています。主な代替技術は以下の通りです。
1.既存素材の高度化・多機能化
- 高張力鋼板(ハイテン鋼): 自動車のボディ材料として広く使われている鋼材を、より薄くても強度を保てるように改良したものです。コストとリサイクル性に優れるため、引き続き主要な軽量化素材として活用されます。
- アルミニウム合金: 鉄に比べて軽量で加工性も良いため、エンジンブロックや一部のボディパネルなどに使われています。より高強度な合金の開発や、接着・接合技術の進歩で適用範囲が広がっています。ただし、コストが高いことが課題です。
- マグネシウム合金: アルミニウムよりもさらに軽量ですが、加工性や耐食性に課題があります。より幅広い用途での活用に向けて研究が進められています。
- 高強度プラスチック(エンジニアリングプラスチック): 単体では金属に劣りますが、ガラス繊維や他の繊維で強化することで、特定の部位で金属代替として利用されています。
2.新たな複合材料
- ガラス繊維強化プラスチック(GFRP): 炭素繊維よりも安価で、耐衝撃性や耐熱性に優れるため、FRP(繊維強化プラスチック)の一種として様々な分野で活用されています。新しい高弾性・高強度ガラス繊維(例:MAGNAVI®)の開発も進んでいます。
- アラミド繊維強化プラスチック(AFRP): アラミド繊維(ケブラー、テクノーラなど)は、高強度・高弾性でありながら、炭素繊維にはない高い耐衝撃性を持つのが特徴です。防弾チョッキなどにも使われ、自動車のバンパーや衝突安全部品など、衝撃吸収性が求められる部位での利用が期待されます。
- 植物由来繊維複合材料:
- セルロースナノファイバー(CNF): 木材などの植物由来のセルロースをナノレベルまで細かくほぐしたものです。非常に軽量で、鉄の5分の1の重さで5倍の強度を持つとされ、環境負荷も低いことから「夢の素材」として期待されています。自動車部品、家電、建材などへの応用が進められています。
- フラックス繊維(亜麻繊維): 炭素繊維よりもさらに軽量で、比引張強度が高いのが特徴です。欧州では注目されており、スポーツ用品や一部の自動車部品などへの適用が検討されています。
- リサイクル炭素繊維複合材: 炭素繊維そのものの利用が禁止されても、既存の炭素繊維製品をリサイクルして再利用する技術の開発は進んでいます。これにより、新しい炭素繊維を使わずに、その特性を活かせる可能性があります。
3.設計・製造プロセスの改善
- 構造最適化・肉抜き・薄肉化: 素材そのものの変更だけでなく、部品の形状を最適化して強度を保ちつつ軽量化を図る設計技術や、薄肉化、中空構造化といった加工技術も重要です。
- 接合技術の進歩: 異種材料を組み合わせることで、それぞれの素材の長所を活かし、軽量化と高強度を両立させる技術(接着、摩擦攪拌接合など)も進化しています。
炭素繊維は「軽くて強い」という非常に優れた特性を持つため、その代替となる素材は、用途や求められる性能(強度、剛性、耐熱性、コスト、リサイクル性など)に応じて使い分けられることになります。単一の「万能な代替品」が存在するわけではなく、複合的なアプローチで課題が解決されていくでしょう。

炭素繊維禁止の場合、代替技術として高張力鋼板やアルミニウム合金の高度化、ガラス繊維・アラミド繊維強化プラスチック、セルロースナノファイバーなどが挙げられます。これらはコスト、強度、軽量性、リサイクル性など、用途に応じて選択・組み合わせられます。
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