PEM型水電解でのイリジウムの働き

この記事で分かること

なぜイリジウムが必要なのか

PEM型水電解の陽極は「強酸・高電位」という極めて過酷な環境ですが、イリジウムはこれに耐える圧倒的な耐食性と、水を効率よく分解する高い触媒活性を唯一両立できるため、代替不能な必須材料となっています。

触媒活性が高い理由

イリジウムは、水分解の過程で生じる中間体との結合力が強すぎず弱すぎず絶妙なため反応がスムーズに進みます。さらに、酸化状態でも金属並みの高い導電性を維持し、電子の受け渡しをロスなく行えるからです。

PEM型水電解装置とは何か

固体高分子膜(PEM)を電解質に用い、電気で水を水素と酸素に分解する装置。再エネの激しい出力変動への追従性に優れ、高純度な水素を効率よく製造できるため、次世代のグリーン水素製造の本命とされます。

PEM型水電解でのイリジウムの働き

東邦チタニウムが開発を進めている導電性酸化チタン「TiOₓ」は、グリーン水素製造の切り札とされるPEM(プロトン交換膜)型水電解装置において、最大のコスト障壁となっている希少金属イリジウム(Ir)の使用量を大幅に削減する技術として非常に注目されています。

 本来、一般的な二酸化チタン(TiO₂)は電気を通さない「絶縁体」であり、そのままでは電極用の触媒担体としては使えません。しかし、東邦チタニウムは独自の結晶・粉体制御技術により、チタン本来の圧倒的な耐食性を維持したまま、高い電気伝導性を持たせることに成功しました。これが「TiOₓ(チタンサボキサイド)」です。

 前回は導電性酸化チタンの役割に関する記事でしたが、今回はイリジウムの働きやPEM型水電解装置とは何かに関する記事となります。

なぜイリジウムが必要なのか

 水の電気分解(特にPEM型水電解)において、イリジウムがどうしても必要とされる理由は、「強酸・高電位」という最悪の環境下で、水を分解する能力(触媒活性)と、自身が溶けない耐久性をトップクラスで両立できる、地球上でほぼ唯一の材料だからです。

 具体的には、以下の2つの決定的な強みがあるため、現時点では「イリジウム以外の選択肢がない」という状態になっています。

1. 「酸素発生反応(OER)」の効率が劇的に高い

 水の電気分解において、陽極側で水(H₂O)を酸素(O₂)と水素イオン(H⁺)に分解する反応を酸素発生反応(OER)と呼びます。

 この反応は化学的に非常にエネルギー障壁が高く、お膳立て(触媒)がないとスムーズに進みません。イリジウム(主に酸化イリジウム:IrO₂)は、この反応を促す「触媒活性」が数ある金属の中でもトップクラスに高いため、少ない電気エネルギーで効率よく水を分解することができます。

2. 他の材料が「全滅」する環境で、唯一生き残れる

 PEM型の陽極は「pH 1前後の強酸性」であり、さらに電気を流すことで「強力な酸化作用(高電位)」がかかります。この環境に耐えられる材料が、イリジウム以外にほとんど存在しません。

 他の代表的な材料と比較すると、イリジウムの異常なタフさがよく分かります。

材料水を分解する能力(活性)強酸・高電位への耐久性陽極で使えない理由
イリジウム (Ir)極めて高い極めて高い唯一、性能と耐久性を両立できる(合格)
ルテニウム (Ru)イリジウム以上低い活性は最強だが、高電位ですぐに溶け出してしまう。
白金/プラチナ (Pt)低い(陽極では)高い陰極(水素側)では最強だが、陽極では表面に酸化膜ができて電気が流れにくくなる。
カーボン (C)なし絶望的自身が酸化されて二酸化炭素(CO₂)ガスになり、消滅する。
鉄・ニッケルなど比較的高い絶望的酸にあっという間に溶かされ、ドロドロの液体になる。

ルテニウム

実は、水を分解する「活性」だけで言えば、同じ白金族のルテニウム(Ru)の方が優秀です。しかし、ルテニウムは高電圧がかかるとすぐに「RuO₄」という物質に変わって水に溶け出してしまいます。

一方、イリジウムは表面が「IrO₂」という極めて頑丈な酸化物の膜(不動態皮膜)に覆われても高い導電性と触媒活性を維持するため、何万時間もの連続運転に耐えることができます。

究極のジレンマ

 「性能も耐久性もイリジウムがベスト」ですが、イリジウムは南アフリカなどの極めて限られた地域で、年間わずか数トン〜十数トン程度しか採掘されない地球上最も希少な金属の一つです。

 そのため価格がプラチナ以上に高騰しやすく、これが「水電解のコスト削減=導電性酸化チタンによる使用量低減」が叫ばれる最大の理由となっています。

PEM型水電解の陽極は「強酸・高電位」という極めて過酷な環境ですが、イリジウムはこれに耐える圧倒的な耐食性と、水を効率よく分解する高い触媒活性を唯一両立できるため、代替不能な必須材料となっています。

なぜイリジウムが高い触媒活性を持つのか

 水の電気分解の陽極で起こる「酸素発生反応(OER)」において、イリジウム(主にその酸化物である IrO₂)が際立って高い触媒活性を示す理由は、量子化学および固体物理学の観点から主に3つの要因に集約されます。

 「水分子を引き寄せ、分解し、酸素として手放す一連のプロセスのエネルギーバランスが、電子レベルで奇跡的に最適化されているから」です。


1. 中間体との結合力が「強すぎず弱すぎず」絶妙(サバティエの原理)

 水の電気分解は、4つの電子が段階的に移動する複雑なマルチステップ反応です。この過程で、触媒の表面には「OH*」「O*」「*OOH」(※は表面に吸着した状態)という中間体が次々と形成されます。

 ここで重要なのが触媒と中間体の「引き合う強さ」です。

  • 結合が強すぎる場合: 中間体が触媒表面にガッチリと張り付いて離れなくなり、次の反応(酸素の発生)へ進めません。
  • 結合が弱すぎる場合: そもそも水分子や中間体が表面に吸着できず、反応が始まりません。

 イリジウムの5d軌道が持つ電子状態は、これらすべての中間体との結合エネルギーのバランスが「全元素の中でトップクラスに理想的(ボルカノプロットの頂点付近)」に位置しています。

 そのため、スムーズに吸着し、なおかつ生成した O₂ がサッと離れていくため、反応が驚異的なスピードで進みます。


2. 高電位下で水分子を強烈に引きつける(高い親電子性)

 電極に高い電圧(高電位)がかかると、イリジウム(Ir)の中心イオンから電子が引き抜かれ、一時的に極めて電子が不足した状態(高価数状態)になります。

 電子に飢えた表面の原子は、非常に強い「親電子性(電子を欲しがる性質)」を帯びます。 これにより、周囲の水分子(H₂O)が持つ電子が強烈に引き寄せられ、水分子に対する「化学的なアタック(親核攻撃)」が容易に起こるようになります。

 結果として、水電解の最大の難所である「O–O(酸素同士の)結合」を作るためのエネルギーの壁(活性化エネルギー)が劇的に下がり、サクサクと分解が進みます。


3. 酸化物(IrO₂)になっても「金属並みに電気を通す」

 一般的な金属は、酸化して「サビ(酸化物)」になると、電気を通さない絶縁体や半導体になってしまいます。

 しかし、イリジウムが酸化した IrO₂ は、酸化物でありながら金属に匹敵する高い電気伝導性を維 持します。

 結晶構造(ルチル型構造)において、イリジウムの5d軌道由来の電子が自由に動ける結晶空間が保たれているためです。
 水の電気分解には「絶え間ない電子の受け渡し(電荷移動)」が必須ですが、触媒自体が優れた導電体であるため、電気的なロス(過電圧)を極限まで抑えてスムーズに電流を流し続けることができます。


 優れた活性を持つ「ルテニウム」という金属もありますが、あちらは活性が高すぎるあまり、高電圧下で自分自身まで過剰に酸化されて水に溶け出してしまいます。

 「高い活性」と「自身は溶けない安定性」、そして「優れた導電性」の3つをこれほど高次元でクリアしているのは、現状イリジウム以外にありません。

イリジウムは、水分解の過程で生じる中間体との結合力が強すぎず弱すぎず絶妙なため反応がスムーズに進みます。さらに、酸化状態でも金属並みの高い導電性を維持し、電子の受け渡しをロスなく行えるからです。

PEM型水電解装置とは何か

 PEM型水電解装置(プロトン交換膜型水電解装置、Proton Exchange Membrane)とは、電気を使って水を「水素」と「酸素」に分解する装置の一種です。

 心臓部に「固体高分子膜(プラスチック製の薄い膜)」を使用するのが最大の特徴で、再生可能エネルギー(太陽光や風力)と組み合わせた「グリーン水素」の製造プロセスにおいて、現在世界中で本命視され導入が急拡大しています。

1. PEM型水電解の仕組み

 PEM型水電解装置は、アノード(陽極)とカソード(陰極)、そしてそれらに挟まれたプロトン(水素イオン)だけを通す特殊な高分子膜で構成されています。

 装置の内部では、以下のようなステップで水が分解されます。

  1. 陽極(アノード)に水を供給:陽極側に水を流し、電圧をかけると、水分子が酸素、水素イオン(プロトン)、電子に分解されます。
    • 陽極の反応: 2H₂O → O₂ + 4H⁺ + 4e⁻
  2. 水素イオンの移動:生じた水素イオン(H⁺)だけが、中央のPEM(プロトン交換膜)を通り抜けて、反対側の陰極へと移動します(電子は外部の回路を通って陰極へ向かいます)。
  3. 陰極(カソード)で水素が発生:膜を通り抜けてきた水素イオンと、回路を巡ってきた電子が結合し、純度の高い水素ガスが発生します。
    • 陰極の反応: 4H⁺ + 4e⁻ → 2H₂
  • 全体の反応: 2H₂O → 2H₂ + O₂

2. なぜPEM型が「次世代の本命」と言われるのか?

 水電解の技術には、古くから使われている「アルカリ型」もありますが、PEM型にはそれを上回る圧倒的なメリットがあります。

  • 再エネの「激しい出力変動」に強い:太陽光や風力発電は、天候によって発電量が秒単位で激しく一変します。PEM型は電気的なレスポンス(追従性)が非常に高いため、電力が急増・急減しても、装置を壊すことなく柔軟に水素製造量をコントロールできます。
  • 高純度な水素が最初から作れる:中央のPEM膜が「水素」と「酸素」を物理的にガッチリと遮断するため、ガスが混ざり合うリスクが極めて低く、最初から99.9%以上の高純度な水素を取り出せます。
  • 装置がコンパクト:高い電流密度で運転できるため、アルカリ型に比べて装置全体のサイズを大幅に小さく(省スペースに)できます。

3. 普及に向けた最大の課題

 これほど優秀なPEM型ですが、産業界への大量導入に向けては「製造コスト」が最大の壁になっています。

 PEM型の陽極は「強酸性」かつ「高い電圧」がかかるため、普通の金属(鉄、銅など)やカーボンは一瞬で溶けるかボロボロになります。

 そのため、陽極の触媒に超希少で高価な「イリジウム」、陰極には「白金(プラチナ)」、電極の骨格に「チタン」といった高価な貴金属・レアメタルを大量に使わなければなりません。

 そのため、東邦チタニウムの「導電性酸化チタン」のように、いかにチタンなどのベース素材を工夫して、イリジウムなどの高級素材を減らせるかという材料革新が、世界中で激しく競われています。

固体高分子膜(PEM)を電解質に用い、電気で水を水素と酸素に分解する装置。再エネの激しい出力変動への追従性に優れ、高純度な水素を効率よく製造できるため、次世代のグリーン水素製造の本命とされます。

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