概要
歴史のifを考えることやその物語は多くの人を魅了してきた。クレオパトラの鼻があと少し低かったら、織田信長が本能寺の変を生き延びていたらなどはこれまでも多く語られている。
一方で、感染症や病気も歴史を大きく動かしており、ペストや天然痘は戦争の勝敗にも大きく影響してきた。そのため、病気と人類が戦う道具である薬もまた、歴史を大きく動かしてきたといえる。
製薬会社での勤務経験のある筆者が薬が歴史に与えてきた影響を語っていく。
薬の誕生
近年の平均寿命の伸びは大きく、100年前の倍になっている。昔は今ではすぐに治るような病気でも致命傷になることが多かった。
当時の人々にとって何を食べたら病気になるか、何を飲んだら症状が癒えるかはなによりも重要で、これらを書き留めるために文字などの記録を発明したのではという見方もあるほど。ただし、近代以前の薬にはマイナス効果を持つことも多かった。
以前は、病気は悪魔が体内に侵入したためと考えられていた。そのため悪魔が嫌う動物の糞尿やカビなど異臭を放つもの汚物薬として知られていた。
徐々に薬草なども知られていくが。汚物薬は18世紀にも一部で利用されていた。
東洋でも同じようなもので、不老不死の薬=変化しない鉱物と考えられ、雄黄や丹砂を摂取していた。雄黄や丹砂は水銀や砒素を含むため、唐の皇帝はこれらの毒により死んだとされている。
この時代の医薬は効かなかったことで歴史に関与してきた。医薬が人々を救うようになるのは19世紀後半になってから。
ビタミンC -初めての臨床試験ー
壊血病は船乗りに特有の病気で、戦闘や難破で死亡するよりもはるかに多くの死者を出すことで知られていた。船上では野菜や果物が摂取できず、ビタミンC不足になると、コラーゲンの合成が上手くできなくなる。
コラーゲンは細胞同士を貼り合わせる、骨や腱の主成分であるため、不足すると肉体の形を保てなくなり血管や歯がもろくなってしまい死に至る。
ビタミンCを含むレモンや生姜が怪傑病に効果あった例はいくつか記録されているが、病気との関連性が正確に示されたのは1747年。
ジェームズ・リンドは壊血病患者をグループに分け、様々なものを与え記録した。それによってオレンジやレモンを食べたものが回復することがわかった。世界で初めての臨床試験とされており、今でも基本の考え方は変わっていない。
リンドの発見前に活躍したヴァスコ・ダ・ガマやマゼランの艦隊も壊血病で苦労していた。
彼らがビタミンCの重要性を知っていればスペインやポルトガルは、貿易でより大きな成果を上げ
大英帝国は生まれなかったかもしれない。
キニーネ ーマラリアと人類の闘いー
マラリアは蚊の一種であるハマダラカが媒介する感染症で、古くから今まで多くの人の命を奪ってきた。
キナノキに含まれるキニーネはマラリアに対する治療薬だが、伐採が続き、枯渇が心配されるようになった。1908年に構造が解析されると、1942年にアメリカのウッドワードによって初めて人工合成された。
しかし、その手法は手間がかかり過ぎ、大量供給は今でも実現していない。キニーネに似た構造でマラリアに効果のある化合物もあるが、耐性を持つようになることが知られており、今でも途上国を中心に多くの被害が見られている。
モルヒネ ー最も古い医薬品ー
現在、用いられる医薬でもっとも古くから使用されているのがモルヒネ。鎮痛剤として効果が大きく、今でもモルヒネを超える鎮痛剤は作り出されていない。
モルヒネはケシの実からとられ、アヘンにも10%ほど含まれている。薬としての有用性は大きいが、依存性が強く中毒症患者も多く生まれている。
モルヒネは脳内でエンドルフィンと同じ受容体と結合することで知られる。エンドルフィンは放出されると、苦痛を和らげたり、安心感や満足感を得ることができる。
イギリスに中国(清)から茶が伝わると大ブームとなった。茶を輸入する量は増え貿易赤字が拡大したが、イギリスは売るものがなかった。そこでイギリスはアヘンを輸出することとした。
多くの人が中毒になったため、清が輸入を規制使用したところで、イギリスが軍隊を送り込みアヘン戦争が起こった。麻薬の販売利権を守る戦争は他に類を見ない戦争であった。モルヒネによるアヘン戦争がなければ、その後のアジアの状況も違っていたかもしれない。
麻酔薬、消毒薬 ー外科手術の発展ー
外科手術による痛みのために、医学の進歩は大きく妨げられてきた。エーテルやクロロホルムが麻酔薬として使用されると外科手術がより一般的になった。
しかし、今でも麻酔効果のメカニズムに決定的な説もなく麻酔効果のある様々な化合物も共通性が見られない
今では、女性のほうが平均寿命が長いが以前は女性のほうが平均寿命は短かった。これは出産時に亡くなる人が多かったため。出産直後に産褥熱でなくなる人も多かった。産褥熱は胎盤の剥離面や出産に伴う裂傷から細菌が入り込むことで発生する。
手の消毒を行うことで、産褥熱や外科手術中の細菌による感染を防ぐことが示されることで、消毒の概念が生まれた。最初に発見された消毒物質はフェノール。その後クレゾールなどが発見され、現代では過剰なほど抗菌グッズがあふれている。
サンバルサン -初めての感染症治療薬-
フェノールは感染症に対抗する大きな一歩であったが、毒性があるため摂取し、体内の細菌を退治することはできなかった。
梅毒も世界史を揺るがした感染症の一つ。しこりや発疹に始まり、こぶができ、脳や神経まで冒し死に至る病気。19世紀後半に細菌が発見され、病気の原因になることがわかると細菌を駆逐する方法が多く研究されるようになる。
サンバルサンはラテン語の救うとヒ素を表す言葉を合成したもので梅毒の原因菌を死滅させることができた。毒性はそれなりにあるものの梅毒で命を奪われることを防ぐことができた。
また、細菌感染症の治療薬の開発が可能であることを示す意味でも大きな存在となった。
サルファ剤 -感染症医療を切り開いた薬-
第一次世界大戦では傷口からの感染症で死亡した兵士は、砲弾などで直接傷を受け死亡した兵士とほぼ同数であった。第一次世界大戦では兵器の射程距離が延び、敵陣へ近づくことが困難になり、塹壕を掘って立てこもることが多くなった。塹壕は湿気が多く、不衛生なため多くの菌の温床であり、傷口から容易に侵入することができた。
特に問題になっていたのがガス壊疽であった。クロストリジウムと呼ばれる細菌が傷口から入ることで発症し、感染箇所を切断するしかなかった。
サルファ剤が細菌の増殖に必要な葉酸合成を阻害することで抗菌作用を示すことが発見されると
第二次世界大戦ではガス壊疽などの感染症は激減した。一方、サルファ剤を持たない日本軍では感染症による死者が多数出ていた。
抗生物質として感染症医療の時代を切り開いた存在である。
ペニシリン -世界を大きく変えた抗生物質-
ペニシリンを手にする前と後で、人類の在り方は大きく変わったと言える。ペニシリンが救った人命の数は少なくとも数百万という単位でこれまでの薬以上に大きな効果があった。
フレミングがブドウ球菌を培養していたとき、アオカビの胞子が飛び込んだ場所だけブドウ球菌が生えていないことに気づいた。以前にも、リゾチームが無害な細菌を殺すことに気づいていたフレミングはアオカビが有害な細菌を殺すことができることに気づくことができた。
アオカビはペニシリウム属に属すため、ペニシリンと名付けられた。ペニシリンは細菌の細胞壁を作る酵素の作用を失わせることで、抗菌作用を示す。細胞壁をもとない人間の細胞には害なく、抗菌作用を得ることができる。
ペニシリンの研究は1942年、国家機密の研究となり、研究資金は2400万ドルで、原爆開発を行ったマンハッタン計画に次ぐ規模であった。
量産が可能になるとペニシリンによって戦場で負傷した兵士の感染症の多くが回復できるようになった。量産からわずかな時間で世界を大きく変えた薬といえる。
アスピリン ー鎮痛剤ー
歴史上最も売れている薬は鎮痛剤。19世紀以前の薬は効果のないものが多かったが、鎮痛剤のなかには現代の知識でも充分根拠のあるものがあり、如何に人々が鎮痛剤を求めていたかがわかる。
鎮痛剤としてアスピリンは年間5万t製造され、500㎎の錠剤に換算すると100億錠に相当する。
物質としてはアセチルサリチル酸が鎮痛作用を示し、副作用が少ないことが1897年に発見された。
プロスタグランジンE2と呼ばれる物質は発熱や痛覚の伝達に関わり、アスピリンはプロスタグランジンE2の製造を阻害することで鎮痛作用を示す。
エイズ治療薬 -ウイルスとの闘い-
エイズは患者の免疫系を破壊し、通常ならば感染しても発病しない病気を発病するようになる、後天性免疫不全症候群のことで世界で7800万年の患者がおり、死者は3900万人に上っている。
エイズはウイルスによって発症する。細菌は細胞壁を共通でもつため、ターゲットしやすかったが
ウイルスはこのような共通構造を持たないため、抗ウイルス剤は個々の種を対象にしたものになってしまう。
満屋はアジドチミジンがエイズウイルスの増殖を抑える働きがあることを示し、初めてエイズに有効な治療法を見いだした。アジトチミジンをウイルスが取り込みとそれ以上DNAを延ばすことができず、複製が止まるという仕組み。
しかし変異が早く耐性を持つウイルスが出現する可能性も有り、ウイルスとの闘いは終わりが見えそうにない。
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