この記事で分かること
- エレクトロスプレーイオン化法とは:高電圧を用いて試料溶液を微細な帯電液滴として噴霧し、溶媒を蒸発させてイオンを取り出す手法です。多価イオンを生成するため、巨大な生体高分子を壊さずに測定できるのが特徴です。
- なぜ熱に弱い物質に適しているのか:加熱ではなく、高電圧(電気の力)によって溶液を霧状にし、常温・大気圧下でイオン化を行うためです。分子に強い衝撃を与えず取り出すため、熱に弱いタンパク質なども壊さずに分析できます。
- 分子量に幅のある高分子をどのように分析するのか:まずLC(液体クロマトグラフィー)で分子を大きさごとに分離し、順次ESIに導入します。得られた複雑な多価イオンのピーク群を、専用ソフトで解析(デコンボリューション)して、元の分子量分布へと復元します。
エレクトロスプレーイオン化法
機器分析とは、化学反応を用いる古典的な化学分析に対し、物質が持つ物理的・化学的性質を精密な機器で測定し、その物質の成分や構造を分析する方法の総称です。
高感度で迅速な分析が可能であり、微量な成分や複雑な混合物も精度高く分析できるため、現代の科学技術分野で広く利用されています。
今回は、質量分析法のイオン化の一種であるエレクトロスプレーイオン化法に関する記事となります。
エレクトロスプレーイオン化法とは何か
質量分析法におけるエレクトロスプレーイオン化法(Electrospray Ionization, ESI)は、液体試料を効率よくイオン化する手法の一つです。
特に、タンパク質や核酸といった熱に弱く、分子量の大きい生体高分子を壊さずにイオン化できる「ソフトな」イオン化法として、現代のバイオテクノロジーや創薬研究には欠かせない技術です。この功績により、2002年にジョン・フェン博士がノーベル化学賞を受賞しています。
ESIの仕組み:液滴からイオンへ
ESIは、大気圧下で液体試料を非常に細かな霧(スプレー)状にし、そこから溶媒を蒸発させることでイオンを取り出します。
- 噴霧(ネブライジング)金属製の細い管(キャピラリー)の先端に数kVの高電圧をかけ、試料溶液を押し出します。すると、静電気的な反発により先端が円錐状(テイラーコーン)になり、微細な帯電液滴として噴霧されます。
- 溶媒の蒸発と液滴の収縮加熱ガスの助けを借りて、液滴内の溶媒が急速に蒸発します。液滴が小さくなるにつれ、表面の電荷密度が高まっていきます。
- クーロン爆発電荷同士の反発力が液滴を保持する表面張力を上回る限界点(レイリー限界)に達すると、液滴がさらに細かく分裂します。これをクーロン爆発と呼びます。
- 気相イオンの生成このプロセスが繰り返されることで、最終的に溶媒が完全に除去され、試料分子が裸のイオンとして気相中に放出されます。
ESIの大きな特徴
- 多価イオンの生成ESIの最大の特徴は、一つの分子に複数の電荷(プロトンなど)がつく多価イオン([M + nH]n+)が生成されやすい点です。
- 質量分析計は「質量 m」ではなく「質量電荷比 m/z」を測定します。
- 多価イオン化により、m/z の値が小さくなるため、測定可能範囲が限られた装置でも巨大な分子(数万〜数十万ダルトン)を測定できるようになります。
- ソフトなイオン化分子をバラバラに壊すことなく、そのままの形でイオン化できるため、混合物の分析や構造解析に適しています。
- LCとの相性が抜群試料が液体であるため、液体クロマトグラフィー(LC)と直接つなげて分析(LC/MS)することが非常に容易です。
主な用途
- タンパク質・ペプチドの同定(プロテオミクス)
- 薬物代謝物の特定
- 環境汚染物質の微量分析

エレクトロスプレーイオン化法(ESI)は、高電圧を用いて試料溶液を微細な帯電液滴として噴霧し、溶媒を蒸発させてイオンを取り出す手法です。多価イオンを生成するため、巨大な生体高分子を壊さずに測定できるのが特徴です。
なぜ熱に弱い物質に適しているのか
ESIが熱に弱い物質(タンパク質やビタミン、薬物など)に適している理由は、大きく分けて2つあります。
1. 「熱」の代わりに「電気」を使うから
従来のイオン化法(電子衝突法など)では、試料を一度ガス状にするために高温で加熱する必要がありました。しかし、ESIは加熱ではなく、強力な電気の力(高電圧)を使って液体をバラバラにします。
- 常温・大気圧に近い状態でイオン化が進むため、熱による分解(熱変性)を防げます。
2. 分子を直接叩かない「ソフト」な性質
ESIは、分子に直接強いエネルギーをぶつけてイオンを作るのではなく、液滴が蒸発していく過程で「いつの間にかイオンとして取り残される」ような穏やかなプロセス(ソフトイオン化)を経ます。
- 分子内の結合を切断するほどの衝撃が加わらないため、分子の形を保ったまま測定器へ送り込むことができます。
イメージ比較
| 項目 | 従来のイオン化法(EIなど) | エレクトロスプレー(ESI) |
| 状態変化 | 加熱して無理やりガスにする | 電気で霧吹きのように噴霧する |
| エネルギー | 高い(分子が壊れやすい) | 低い(分子に優しい) |
| 得意なもの | 小さくて頑丈な分子 | 大きくてデリケートな分子 |
無理やり沸騰させて蒸気にするのではなく、「電気の霧吹きでそっと取り出す」ようなイメージです。

ESIは加熱ではなく、高電圧(電気の力)によって溶液を霧状にし、常温・大気圧下でイオン化を行うためです。分子に強い衝撃を与えず「そっと」取り出すため、熱に弱いタンパク質なども壊さずに分析できます。
なぜ多価イオンを形成しやすいのか
ESIで多価イオン(複数の電荷を持つイオン)が形成されやすい理由は、そのプロセスが「液体(溶液)の状態から始まる」ことと、「分子のサイズ」が深く関係しています。
1. 溶液中でのプロトン付加
ESIは、試料が溶媒に溶けた状態からスタートします。タンパク質などの生体高分子には、プロトン(H+)が付着しやすい部位(塩基性アミノ酸残基など)が分子内にたくさん存在します。
- 溶液が酸性であれば、噴霧される前の段階で、すでに複数の箇所にプロトンが結合しています。
- 液滴が蒸発して濃縮される過程で、これらの電荷を持ったまま気相へと放出されるため、自然と多価イオンになります。
2. 静電反発を許容できる「サイズ」
分子が多価イオンとして存在するためには、電荷同士の反発(クーロン反発)に耐える必要があります。
- 小さな分子: 電荷同士の距離が近くなりすぎるため、反発が強すぎて複数は持てません。
- 大きな分子(タンパク質など): 分子鎖が長いため、電荷同士が離れた位置に配置されます。これにより、静電反発を最小限に抑えつつ、1つの分子で10個、20個といった多くの電荷を安定して保持できるのです。
3. イオン放出モデル(IEMとCRM)
多価イオンができるメカニズムには、主に2つの説があります。
- イオン放出モデル (IEM): 小さな液滴の表面から、電荷を帯びた高分子が「ピョコン」と飛び出すモデル。
- 電荷残留モデル (CRM): 液滴が極限まで蒸発し、液滴に含まれていた電荷がそのまま中心の分子に残るモデル。巨大なタンパク質などは、この「液滴の電荷を全部背負わされる」ような形で多価になります。
多価イオンができるメリット
なぜこれが重要かというと、質量分析計が測るのは、m/z(質量÷電荷数) だからです。
例えば、質量 30,000 のタンパク質でも、電荷 z=30 の多価イオンになれば、m/z = 1,000 として観測されます。これにより、本来は巨大すぎて測れない分子も、一般的な分析装置の測定範囲内に収まるようになります。

ESIは液体中でイオン化を行うため、分子内の複数の部位にプロトン等が結合しやすいためです。特に大きな分子は、電荷同士の反発を避けつつ多くの電荷を保持できる空間的余裕があるため、多価イオンを形成しやすくなります。
分子量に分布のある物質をどのように測定するのか
分子量に分布のある物質(ポリエチレンなどの合成高分子や、糖鎖の付いた混合物など)をESIで測定する場合、単一のタンパク質とは異なるアプローチが必要になります。主に「分離装置との接続」と「データの統計処理」の2段階で解決します。
1. 液体クロマトグラフィー(LC)による事前分離
分子量に分布がある混合物をそのままESIに導入すると、無数のピークが重なり合って解析不能になる「信号の渋滞」が起きます。
そのため、まずはサイズ排除クロマトグラフィー(SEC/GPC)などのLCを使って、分子の大きさ順に並べてから1つずつESIに送り込みます。
- 役割: 似たような大きさの分子ごとに時間をずらして測定器に入れることで、複雑さを軽減します。
2. 多価イオン分布の解析(デコンボリューション)
ESIで測定すると、同じ分子量のものでも「電荷数 z」が異なる複数のピーク(多価イオン系列)が現れます。
- 分子量分布がある試料では、「分子量の違い」と「電荷数の違い」の両方がピークとして現れるため、非常に複雑なチャートになります。
- これを専用のソフトウェアで解析し、各ピークがどの電荷数に対応するかを割り出して、元の「真の分子量分布」に復元します(これをデコンボリューションと呼びます)。
3. 特徴的なチャートの形状
分布のある高分子をESIで測ると、一般的に「等間隔に並んだ山形のピーク群」が観測されます。
- 隣り合うピークの差が、例えばプラスチックの原料(モノマー)1個分の質量に相当する場合、その分布から「どれくらいの長さの鎖がどのくらい含まれているか」を正確に算出できます。
まとめ
- LC(SEC)で分子を大きさごとに小出しにする。
- ESIでソフトにイオン化し、壊さずに測定する。
- 多価イオンの計算を行い、重なり合ったデータから元の分子量分布を導き出す。

まずLC(液体クロマトグラフィー)で分子を大きさごとに分離し、順次ESIに導入します。得られた複雑な多価イオンのピーク群を、専用ソフトで解析(デコンボリューション)して、元の分子量分布へと復元します。

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