黒鉛炉加熱原子吸光とは何か?マトリックスはなぜ原子化を妨げるのか?どのように防ぐことができるか?

この記事で分かること

  • 黒鉛炉加熱原子吸光とは:試料を電気加熱した黒鉛炉内で原子化し吸光度を測定するAASです。原子蒸気が炉内に留まるため、フレーム法より遥かに高感度で測定可能です。
  • マトリックスとは:マトリックスは目的元素と反応し、熱分解しにくい難解離性化合物を形成します。これにより、分析に必要な遊離原子の生成が妨げられ、光を吸収する原子の数が減るため、測定される吸光度が過小評価されます
  • どのように防ぐことができるか:マトリックス修飾剤によっては、マトリックスを低温で揮発除去させたり、目的元素と結合して原子化温度を上げ安定化させたりすることで、原子化ステップをマトリックス干渉から切り離し、正確で高感度な測定を可能にします。

黒鉛炉加熱原子吸光

 機器分析とは、化学反応を用いる古典的な化学分析に対し、物質が持つ物理的・化学的性質を精密な機器で測定し、その物質の成分や構造を分析する方法の総称です。

 高感度で迅速な分析が可能であり、微量な成分や複雑な混合物も精度高く分析できるため、現代の科学技術分野で広く利用されています。

 今回は原子吸光分析の黒鉛炉加熱原子吸光に関する記事となります。

分光分析とは何か

 分光分析は、光と物質の相互作用を測定する手法です。紫外可視分光光度法で濃度、赤外分光法で構造、原子吸光分析法で金属元素の定量、蛍光X線分析法で元素組成、核磁気共鳴分光法で分子構造の解析など、使用する光の種類や原理によって多岐にわたります。

黒鉛炉加熱原子吸光法とは何か

 黒鉛炉加熱原子吸光法(Graphite Furnace Atomic Absorption Spectrometry: GF-AAS)は、原子吸光分析(AAS)の一種で、試料を電気抵抗加熱した黒鉛製の炉(チューブ)の中で原子化する手法です。フレーム(炎)を使用しないため、「フレームレス原子吸光法」とも呼ばれます。

原理と特徴

 GF-AASの最大の特徴は、超高感度な分析が可能である点です。

1. 原子化のプロセス

 分析は、非常に少量の試料(通常、数 μL~数十 μL)を黒鉛炉に注入し、段階的に温度を上げていくことで行われます。

  1. 乾燥 (Drying):低温で加熱し、試料中の溶媒を蒸発させます。
  2. 灰化 (Ashing / Pyrolysis):中程度の温度(数百 ℃)で加熱し、目的元素の原子化を妨げる共存物質(マトリックス)を熱分解・除去します。
  3. 原子化 (Atomization):一気に高温(2,000〜3,000 ℃)まで加熱し、目的元素を遊離原子にします。
  4. 清掃 (Cleaning):さらに高温にして残留物を完全に除去し、次の測定に備えます。

 光の吸収測定は、原子化のステップにおいて、パルス的に発生した原子蒸気層を光が通過する間に実行されます。

2. 高感度の理由

 フレームAASと比較して、GF-AASが圧倒的に高感度である主な理由は以下の通りです。

  • 全量原子化:フレームのように原子蒸気が周囲に拡散せず、狭い炉内に原子蒸気が高濃度で留まるため、光の吸収効率が格段に上がります。
  • 微量試料:必要な試料量がわずか数μLで済みます。

 これにより、ppb(parts per billion)オーダー以下の極微量分析が可能です。

用途

 高感度が必要な微量分析に広く用いられます。

  • 環境分析:水、土壌中の微量重金属(Pb、Cd、Cr、Asなど)。
  • 臨床検査:血液や尿中の微量必須元素や有害元素。
  • 食品分析:食品中の微量有害物質。

欠点と対策

  • 分析時間が長い:測定に時間がかかります(1試料あたり数分)。
  • 干渉の影響:マトリックス(共存物質)が炉内に残存しやすく、フレームAASよりもマトリックス干渉の影響を受けやすいです。

マトリックス干渉対策

 この干渉を防ぎ、正確な測定を行うために、以下のような技術が用いられます。

  • マトリックス修飾剤(Matrix Modifier):試料に添加することで、目的元素の原子化温度を上げたり、共存物質の揮発温度を下げたりして、分離を促進します。
  • ゼーマン補正:高感度な測定を行う際、マトリックス由来の非特異的な光の吸収を正確に補正するために利用される、高度なバックグラウンド補正技術です。

 黒鉛炉加熱原子吸光法は、微量元素分析の分野で非常に重要な役割を担っています。

黒鉛炉加熱原子吸光法(GF-AAS)は、試料を電気加熱した黒鉛炉内で原子化し吸光度を測定するAASです。原子蒸気が炉内に留まるため、フレーム法より遥かに高感度で、ppbオーダーの極微量分析に適しています。

マトリックスはなぜ原子化を妨げるのか

 原子吸光分析(AAS)において、試料中に含まれる目的元素以外の成分(マトリックス)が原子化を妨げる現象を、主に化学干渉と呼びます。

 この干渉が起こる主な理由は、原子化の過程で、目的元素とマトリックスが非常に安定な化合物を形成してしまうためです。

1. 難解離性化合物の形成

 最も一般的な化学干渉のメカニズムは、マトリックスによって、原子化装置の温度では分解しにくい難解離性化合物(耐火性化合物)が生成されることです。

  • 現象:加熱されても、目的元素(例:Ca)がマトリックス(例:リン酸塩 PO43- や硫酸塩 SO42-})と強固に結合したまま残り(例:リン酸カルシウム遊離原子になることができません。
  • 結果:原子化されなかった元素は光を吸収できないため、検出される吸光度が実際よりも低くなり、元素濃度を過小評価してしまいます。

 この干渉は、フレームAASにおいて、特に難解離性化合物を形成しやすい元素(AlやCaなど)の分析で顕著に現れます。

2. 原子化温度の上昇(GF-AAS特有)

 黒鉛炉原子吸光法(GF-AAS)では、マトリックスが存在することで、目的元素の原子化が始まる温度が不必要に上昇してしまうことがあります。

  • 現象:マトリックスが原子化炉の表面で、目的元素の揮発を抑制したり、安定な固体を維持させたりする働きをします。
  • 結果:原子化のピーク温度が遅れたり高くなったりすることで、炉内での原子の滞在時間が短縮されたり、高温によってイオン化が進んでしまったりするため、感度が低下します。

対策

これらの干渉を克服するために、様々な対策がとられます。

  • 緩衝剤/抑制剤の添加
    • 目的元素よりもマトリックスと結合しやすい物質(例:Ca分析時にSr塩などを添加)を試料に加えることで、マトリックスを優先的に消費させ、目的元素の原子化を妨げないようにします。
  • マトリックス修飾剤の添加(GF-AAS)
    • PdやMg(NO3)2などを添加し、灰化ステップでマトリックスを揮発除去しやすくしたり、目的元素の熱安定性を高めたりします。
  • 高温フレームの使用
    • フレームAASにおいて、難解離性化合物を完全に分解するために、空気-アセチレン炎よりも高温の一酸化二窒素-アセチレン炎を使用します。

 マトリックスは、目的元素と結合し、分析に必要な遊離原子の生成を妨げることで原子化を邪魔します。

マトリックスは目的元素と反応し、熱分解しにくい難解離性化合物を形成します。これにより、分析に必要な遊離原子の生成が妨げられ、光を吸収する原子の数が減るため、測定される吸光度が過小評価されます(化学干渉)。

マトリックス修飾剤の仕組みは

 マトリックス修飾剤(Matrix Modifier)は、主に黒鉛炉加熱原子吸光法(GF-AAS)において、試料中のマトリックス(共存物質)による干渉を軽減し、正確な測定を可能にするために添加される試薬です。

 その仕組みは、干渉を解決するために、主に以下の二つの働きを組み合わせて利用することにあります。

1. マトリックスの除去(揮発促進)

 マトリックス修飾剤の働きの一つは、灰化ステップで、目的元素を残したままマトリックスを容易に揮発・除去することです。

動作仕組み
マトリックスの安定性低下マトリックスと反応し、より低い温度で分解・揮発する化合物に変えることで、後の原子化ステップの前にマトリックスを炉外へ排出します。塩化物干渉を防ぐために、硝酸マグネシウムリン酸二水素アンモニウムを添加し、揮発性の塩化物を不揮発性の硝酸塩などに変えます。

 これにより、後の原子化ステップで、マトリックスによる非特異的な光の吸収(バックグラウンド吸収)や、化学干渉を防ぐことができます。

2. 目的元素の安定化(原子化温度制御)

 もう一つの重要な働きは、目的元素の熱安定性を高めることです。

動作仕組み
原子化温度の上昇目的元素と結合し、より熱的に安定な化合物(高融点化合物)を形成します。これにより、目的元素の原子化温度を意図的に高くします。CdやPbなどの低沸点元素を測定する際に、パラジウム(Pd)ロジウム(Rh)を添加し、目的元素を安定化させます。

なぜ安定化が必要か?

 目的元素の原子化温度を上げると、マトリックスの除去(灰化)温度と、目的元素の原子化温度との間に十分な差(ウィンドウ)が生まれます。

  1. 灰化ステップ:マトリックスだけを高温で完全に揮発・除去する。
  2. 原子化ステップ:マトリックスが完全に除去された状態で、初めて目的元素が原子化し、クリアな測定が可能になる。

 これにより、マトリックス除去と目的元素の原子化が温度で分離され、干渉のない正確な測定が可能になります。

 マトリックス修飾剤は、主に揮発促進(マトリックスの除去)と安定化(目的元素の原子化温度制御)の二つの作用により、黒鉛炉AASの微量分析におけるマトリックス干渉を最小限に抑えるために使用されます。


マトリックス修飾剤は、黒鉛炉AASで使用される試薬です。マトリックスを低温で揮発除去させたり、目的元素と結合して原子化温度を上げ安定化させたりすることで、原子化ステップをマトリックス干渉から切り離し、正確で高感度な測定を可能にします。

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