この記事で分かること
- 溶液測定とは:試料を重水素化溶媒に溶かし、磁場中でラジオ波を照射して原子核の共鳴現象を観測する手法です。分子が液中で自由に運動するため、鋭い信号が得られ、化合物の精密な構造解析に非常に適しています。
- 重水素化溶媒とは:試料の水素信号を邪魔しないよう、使用される水素を重水素に置換した溶媒のことです。安価な重クロロホルムが最も一般的ですが、水溶性には重水、難溶性には重DMSOなどが使い分けられます。
- 重水素化溶媒の製造方法:天然水から電気分解などで重水(D2O)を精製します。これを原料とし、触媒を用いて通常の溶媒中の水素を重水素に置き換える同位体交換反応や、重水素ガスを用いた化学合成によって製造されます。
溶液測定、重水素化溶媒
機器分析とは、化学反応を用いる古典的な化学分析に対し、物質が持つ物理的・化学的性質を精密な機器で測定し、その物質の成分や構造を分析する方法の総称です。
高感度で迅速な分析が可能であり、微量な成分や複雑な混合物も精度高く分析できるため、現代の科学技術分野で広く利用されています。
今回はNMRの溶液測定に関する記事となります。
NMRの溶液測定とは何か
NMR(核磁気共鳴)の溶液測定は、分析したい物質を溶媒(重水素化溶媒)に溶かした状態でNMR装置にかけ、その分子構造や性質を調べる手法です。
有機化学や薬学、バイオテクノロジーの分野では最も一般的で強力な分析手段の一つです。
1. 溶液測定の仕組み
NMRは、強い磁場の中に置かれた原子核が、特定の周波数の電磁波と相互作用する現象を利用します。
- サンプルの準備: 試料を数ミリグラム用意し、重水素化溶媒(クロロホルム-dや重水など)に溶かします。
- 磁場の中へ: サンプルを細いガラス管(NMRチューブ)に入れ、超電導マグネットの中心に挿入します。
- 共鳴と検出: 外部からラジオ波を照射し、原子核がエネルギーを吸収・放出する様子を信号として捉えます。
2. なぜ「溶液」で測るのか
固体状態でも測定は可能ですが(固体NMR)、溶液測定には大きなメリットがあります。
- 高い分解能: 溶液中では分子が激しく運動しているため、固体特有の信号の広がり(異方性)が平均化され、非常にシャープでクリアなピークが得られます。
- 構造解析の精密さ: 結合のつながりや、隣り合う原子との距離などの情報を正確に読み取ることができ、未知の化合物の構造決定に不可欠です。
3. 得られる主な情報
NMRスペクトルを解析することで、以下のようなことがわかります。
| 情報の種類 | わかること |
| 化学シフト | 原子がどのような化学環境(結合状態)にあるか。 |
| 積分値 | 特定の環境にある原子(水素など)が何個存在するか。 |
| スピン結合 | 隣にどのような原子がいくつ並んでいるか。 |
4. 溶媒の選択
溶液測定では、溶媒自体の信号が邪魔にならないよう、水素(1H)を重水素(2H = D)に置き換えた重溶媒を使用するのが鉄則です。また、試料がその溶媒に完全に溶けている必要があります。

NMRの溶液測定とは、試料を重水素化溶媒に溶かし、磁場中でラジオ波を照射して原子核の共鳴現象を観測する手法です。分子が液中で自由に運動するため、鋭い信号が得られ、化合物の精密な構造解析に非常に適しています。
どんな重水素化溶媒が使用されるのか
NMRの溶液測定では、主に「重水素化溶媒(重溶媒)が使用されます。通常の溶媒に含まれる水素(1H)の信号が強すぎて、調べたい試料の信号をかき消してしまうのを防ぐためです。水素を重水素(2H = D)に置き換えた溶媒を使うことで、溶媒自体の信号を抑えつつ測定を行います。
よく使われる主な溶媒
代表的なものは以下の通りです。試料の溶解性や沸点、コストに応じて使い分けます。
| 溶媒名 | 特徴・用途 |
| 重クロロホルム (CDCl3) | 最も一般的。 安価で多くの有機化合物をよく溶かすため、第一選択肢になります。 |
| 重水 (D2O) | 水溶性のタンパク質、糖類、塩などの測定に使用されます。 |
| 重ジメチルスルホキシド (DMSO-d6) | 溶解力が非常に強く、クロロホルムに溶けない難溶性サンプルの測定に適しています。 |
| 重メタノール (CD3OD) | 極性の高い物質に使用。代謝物などの分析にもよく使われます。 |
| 重アセトン (acetone-d6) | 反応追跡や、低温での測定などによく利用されます。 |
溶媒選びのポイント
- 溶解性: 試料が完全に溶け切ることが大前提です。
- 残存信号(溶媒ピーク): 100%重水素化するのは難しいため、わずかに残った水素の信号が、試料の重要なピークと重ならないものを選びます。
- ロック信号: NMR装置が磁場を一定に保つ(ロックする)ために重水素の信号を利用するため、重溶媒は必須となります。

NMRでは、試料の水素信号を邪魔しないよう、水素を重水素に置換した重水素化溶媒(重溶媒)を用います。安価な重クロロホルムが最も一般的ですが、水溶性には重水、難溶性には重DMSOなどが使い分けられます。
炭素NMRでも重水素化溶媒を使用するのか
炭素NMR(13C NMR)でも、以下のような理由から基本的には水素NMRと同じ重水素化溶媒を使用します
- 磁場の安定化(ロック): 装置が磁場を一定に保つために、溶媒に含まれる「重水素」の信号を利用するためです。
- 溶解性: 試料を均一に溶かす必要があるため、同一の溶媒が使われます。
炭素NMR特有のポイント
炭素NMRの測定においては、以下の点が水素NMRと異なります。
- 溶媒自身のピーク: 溶媒分子に含まれる炭素も信号(ピーク)として現れます。
- 例:重クロロホルム(CDCl3)は、77 ppm付近に特徴的な3本骨のピークとして現れます。これは炭素が隣の重水素(スピン量子数 I=1)と結合しているためです。
- 基準物質: 多くの有機溶媒では、テトラメチルシラン(TMS)の炭素信号を 0 ppm と定義して基準にします。
- 感度と時間: 13Cは天然存在比が約 1.1% と非常に低いため、水素NMRよりも多くの試料濃度、または長い測定時間が必要になります。

炭素NMRでも同じ重水素化溶媒を使用します。装置の磁場安定化に重水素が必要なためです。溶媒ごとの特有な多重線ピーク(例:重クロロホルムは77ppm付近)がチャートに現れるのが特徴で、これを基準に解析も行います。
重水素化溶媒はどのように製造されるのか
重水素化溶媒の製造は、通常の溶媒に含まれる水素(1H)を、効率的に重水素(2H = D)へと入れ替える「同位体交換反応」が基本です。
1. 水電解による重水の精製
すべての重水素化化合物の出発点は重水(D2O)です。
- 天然の水の中にはごくわずか(約0.015%)に重水が含まれています。
- 水を電気分解すると、普通の水素が先にガスとして出ていく性質を利用し、残った液体の重水素濃度を高めて精製します。
2. 同位体交換反応(触媒法)
最も一般的な製造方法です。
- 方法: 通常の溶媒(例:ベンゼンやメタン)と重水を、高温・高圧下で触媒(白金やパラジウムなど)と共に反応させます。
- 仕組み: 触媒の働きで溶媒の H が外れ、重水の D と入れ替わります。これを何度も繰り返すことで、99%以上の高い重水素化率を実現します。
3. 合成法
最初から重水素化された原料を組み立てる方法です。
- 例(重メタノール): 重水素ガス(D2)と一酸化炭素(CO)を反応させて直接合成します。
- 例(重クロロホルム): 重水(D2O)とクロラール(CCl3CHO)を反応させて分解・精製します。

まず天然水から電気分解などで重水(D2O)を精製します。これを原料とし、触媒を用いて通常の溶媒中の水素を重水素に置き換える同位体交換反応や、重水素ガスを用いた化学合成によって製造されます。
なぜ白金触媒で同位体交換反応が起きるのか
白金(Pt)などの貴金属触媒が同位体交換反応を促進するのは、白金表面が「水素(および重水素)分子を引き裂き、原子の状態にして保持する」という特殊な能力を持っているからです。
1. 水素・重水素の解離吸着
白金表面に重水素分子(D2)が近づくと、白金原子との相互作用により D-D 結合が切れ、白金表面に重水素原子(D)としてバラバラに並びます。これを「解離吸着」と呼びます。
2. 有機分子の結合の活性化
同時に、反応させたい有機溶媒(例えばベンゼンなど)も白金表面に吸着します。白金は有機分子中の C-H 結合を弱める働きもあり、一時的に H を引き抜いて C と白金が結合した不安定な状態を作ります。
3. 入れ替わり(交換)
白金表面上で、引き抜かれた Hの代わりに、隣に待機していた D原子が有機分子の炭素(C)と結合します。
- 外れた Hは別の Hや D とくっついて H2 や HD として離脱します。
- 重水素がついた分子は表面から離れます。
なぜ白金なのか
白金は「水素との仲がちょうど良い」からです。
- 結合を切り離すほど強く引き寄せますが、離さないほど強くは掴みません。この絶妙なバランス(d電子構造に由来)により、次々と Hと D を入れ替える「触媒サイクル」がスムーズに回ります。

白金表面が D2 分子や有機物の C-H 結合を解離させ、原子レベルにバラバラにする性質を持つからです。表面上で自由に動けるようになった D 原子が、引き抜かれた H の跡地に効率よく入り込むことで交換が進みます。

コメント