この記事で分かること

下水疫学を利用した感染症状況の把握
塩野義製薬と島津製作所は、生活排水(下水)に含まれるウイルスの痕跡を分析して感染症の流行状況を把握する「下水サーベイランス(下水疫学)」を活用し、パンデミックの兆候を早期発見する社会インフラの構築を進めています。
感染症の患者や無症状の感染者は、発症する前の段階から糞便中にウイルスを排出します。この性質を利用し、下水管や処理場から回収したサンプル中の微量な核酸(DNA/RNA)を高感度に抽出・測定し、病院での臨床診断や行政報告より数日から1週間程度早く流行の兆候を捉えることができます。
下水疫学とは何か
下水疫学(Wastewater-based epidemiology: WBE)とは、地域社会から出される生活排水(下水)を回収・分析することで、その地域に住む集団全体の健康状態、感染症の発生状況、薬物の使用傾向などを把握・追跡する学問・技術分野です。
下水道を「社会の健康状態を映し出す鏡」として活用するアプローチとして、世界中で導入が進んでいます。
下水疫学の基本的な仕組み
[住民の排泄・生活排水] ➔ [下水管・処理場] ➔ [サンプル採取] ➔ [濃縮・精密分析] ➔ [地域全体の状況判定]
人が感染症にかかったり、薬物や特定の化合物を摂取したりすると、症状の有無にかかわらず、代謝物やウイルスの核酸(DNA/RNA)が糞便や尿とともに下水へ排出されます。この排水から微量な対象物質を検出し、定量分析を行います。
下水疫学の4つの主なメリット
- 早期警戒性(タイムラグがない)
- 感染症の場合、患者が発症して医療機関を受診・検査・報告されるまでに数日〜1週間のタイムラグが生じます。下水疫学では、排泄された直後のウイルスを検知できるため、流行の兆候を数日早く捉えられます。
- 網羅性とバイアスのなさ
- 無症状の感染者や、病院に行かない人の状況も漏れなく反映されます。検査数や受診控えによるデータのかたより(バイアス)を受けません。
- プライバシーの保護
- 分析対象は「地域全体の混ぜ合わされた下水」であるため、個人を特定することなく、安全に集団のデータを収集できます。
- 費用対効果(コストパフォーマンス)
- 数万〜数十万人規模の住民一人ひとりを臨床検査する場合に比べ、下水処理場のサンプルを1回検査するだけで、地域全体の傾向を一括して把握できます。
主な応用分野
| 分野 | 対象物質・目的 | 具体的な活用例 |
| 感染症対策 | ウイルス・細菌(RNA/DNA) | 新型コロナ、インフルエンザ、ノロウイルス、ポリオなどの流行予測・変異株の監視 |
| 薬剤耐性菌(AMR) | 耐性遺伝子、耐性菌 | 医療機関や地域における耐性菌の広がりやリスクの評価 |
| 不正薬物調査 | 薬物・その代謝物 | 覚醒剤、大麻、コカインなどの地域別・曜日別の消費実態の把握(警察・政策の参考) |
| 健康・生活習慣 | ストレスホルモン、アレルゲン、処方薬 | 地域ごとのストレス度、花粉症の飛散・発症傾向、処方薬の使用実態の分析 |
主な課題
- 希釈や環境の影響: 大雨による下水の薄まりや、下水管内での物質の分解度合いによって濃度が変動するため、水量の補正や精密な標準化技術が必要です。
- 正確な人数の換算: ウイルスや物質の排出量には個人差があるため、下水中の濃度から「正確に何人が感染しているか」を割り出すには高精度な推定モデルが求められます。

下水疫学とは、生活排水に含まれるウイルスや薬物などの痕跡を分析し、地域集団の感染症流行や健康状態を把握・予測する手法。個人を特定せず、無症状者を含む全体の状況を早期かつ客観的に可視化できるのが特徴です。
塩野義製薬の下水疫学に活用する技術は何か
塩野義製薬が下水疫学(下水サーベイランス)に活用している技術は、微量のウイルスRNAを高感度に濃縮・検出し、自動で大量解析する技術を中心としています。
北海道大学との共同研究や島津製作所との合弁会社(株式会社AdvanSentinel)などを通じて以下のような技術の開発・社会実装が進められています。
1. 超高感度なウイルス濃縮・抽出技術(「北大・シオノギ法」/「COPMAN法」)
下水中に含まれるウイルスRNAは極めて微量なため、従来の抽出手法では流行初期などの低濃度時に検出が困難でした。
- 従来手法比 約100倍の高感度(北大・シオノギ法): 北海道大学との共同研究により開発された濃縮技術で、感染者が少ない流行初期や収束期でもウイルスの兆候を捉えられます。
- 大量解析・自動化に対応した「COPMAN法」:従来手作業で行っていた遠心分離工程を排除し、磁気ビーズを用いた核酸精製法を採用しています。自動分離装置に適合させることで、大量の検体を迅速かつ自動で処理することを可能にしました。
2. 精密定量PCR(qPCR)と自動分析システム
- 濃縮・精製した微量なウイルスRNAの量を、高感度な定量PCR技術によって高精度に測定します。
- 島津製作所の精密分析機器や試薬技術と組み合わせることで、サンプルの前処理から測定・データ化までをロボティクスで自動化し、解析にかかる時間と人的負荷を大きく削減しています。
3. 次世代シークエンサー(NGS)による変異株解析
- 下水中のウイルスRNAを次世代シークエンサー(NGS)で網羅的に解析する技術です。
- 個人の臨床検査で確認される前に、地域内で流行している変異株の割合や、未確認の新規変異株の発生・流行の置き換わりを早期検出できます。
4. 疫学データ解析・流行予測モデル
- 測定したウイルス濃度データに対して、降雨等による下水の希釈影響などを踏まえた水質補正を行ないます。
- 収集したデータから地域全体の潜在的な感染規模や今後の流行の波を算定・予測するデータ解析手法を活用しています。
塩野義製薬はこれらの技術を統合することで、新型コロナウイルスにとどまらず、インフルエンザやノロウイルス、さらには未知の新興感染症に対しても早期警戒を行えるインフラ構築を目指しています。

塩野義製薬は、微量なウイルスを高感度に集める独自濃縮技術(北大・シオノギ法など)を活用。これを自動PCRや次世代シークエンサーと組み合わせ、変異株の検知から流行予測まで迅速に行う技術を有します。
島津製作所の役割は何か
下水疫学(下水サーベイランス)における島津製作所の主な役割は、自社の強みである分析機器技術や試薬開発力を活かし、大量の検体を迅速かつ安定して処理する「自動化・省力化システム」の構築です。
1. 全自動検査・前処理システムの提供
下水からのウイルス抽出やPCR測定は、従来手作業が多く時間と手間がかかっていました。
島津製作所は、サンプルの前処理からPCR測定までをロボットで自動化するシステムを提供し、大量の検体を短時間で処理できる体制を実現しています。
2. 高精度な分析機器・検査試薬の開発
ウイルスRNAを正確に検出・定量するための高精度なqPCR装置(リアルタイムPCR装置)や、下水分析用に最適化された専用のPCR試薬・核酸抽出キットの開発・供給を行っています。
3. 社会実装・ビジネス基盤の構築(AdvanSentinel)
塩野義製薬と設立した合弁会社「株式会社AdvanSentinel」を通じて、自社の分析装置やノウハウを組み込んだ下水モニタリングサービスを展開。自治体や事業所に向けた継続的な検査インフラの運用を支えています。
塩野義製薬が「ウイルスの濃縮・疫学解析ノウハウ」を担うのに対し、島津製作所はそれを現場で大量・高速に回すための「ハードウェア(自動分析機器・試薬)」を提供する役割を果たしています。

島津製作所は、精密な分析機器や専用試薬の開発に加え、検体処理からPCR測定までを自動化するシステムを構築。塩野義製薬の濃縮技術と組み合わせ、大量の検体を迅速・安定して検査する体制を支えています。

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