この記事で分かること
中性原子方式とは
レーザー冷却した中性原子を光ピンセットで整列させ、量子ビットとして利用する量子計算方式。個体差のない均一な原子を2〜3次元に高密度配置できるため、大幅な大規模化と高精度化を両立できる第3の有力方式です。
なぜレーザーで冷却できるのか
温度は原子の運動速度を表すため、冷却とは原子を減速させることです。ドップラー効果を利用して向かってくる原子だけにレーザー光を衝突させ、「向かい風のブレーキ」をかけて速度を極限まで落とすことで冷却します。
動作スピードの克服方法
演算状態への変化や原子の移動に時間がかかる課題に対し、フェムト秒単位の超短パルスレーザーで数ナノ秒制御する技術などを導入し、従来の100倍以上となる大幅な動作スピードの向上で克服しようとしています。
中性原子方式の量子コンピュータ稼働
分子科学研究所と日立製作所などの産学官連携グループは、国産初となる「中性原子方式(冷却原子方式)」の量子コンピューター実機を分子研(愛知県岡崎市)にて稼働開始しました。
従来の超伝導方式やイオントラップ方式に続く「第3の有力方式」として、大規模化と高精度化を両立する国産量子プラットフォームの重要な節目となります。
中性原子方式とは何か
中性原子方式とは、レーザー冷却によって絶対零度近くまで冷やした電荷を持たない原子(ルビジウムやセシウムなどの中性原子)を1個ずつ「光ピンセット」で配列し、量子ビットとして利用する量子計算手法です。超伝導方式やイオントラップ方式と並ぶ「第3の有力方式」として期待されています。
中性原子方式の仕組み
- 光ピンセットによる個別捕捉:高度に絞り込んだレーザー光線(光ピンセット)を用い、真空中で1個単位の原子を固定します。これを2次元・3次元の格子状に並べることで量子ビットアレイを作ります。
- 量子状態の制御:原子の持つ固有のエネルギー準位を「0」と「1」に対応させ、レーザー照射によって量子状態を操作します。
- 量子ゲートの実行(リュードベリ阻害):隣り合う原子間で演算を行う際、レーザー照射で電子軌道が巨大に広がった「リュードベリ状態」へ引き上げます。この時に働く原子間の強い相互作用(リュードベリ阻害)を利用して、2量子ビットの論理ゲートを実行します。
他の主要方式との比較
| 項目 | 中性原子方式 | 超伝導方式(IBM, Google等) | イオントラップ方式 |
| 量子ビットの母体 | ルビジウム等の中性原子 | 巨視的な超伝導回路(人工原子) | 電荷を帯びたイオン |
| ビットの均一性 | 完全(自然界の原子はすべて同質) | 製造誤差・個体差が生じる | 完全(自然界のイオンは同質) |
| 拡張性(スケーラビリティ) | 極めて高い(3次元配置可能) | 中〜高(配線密度の限界が課題) | 中(電極構造が複雑化) |
| ビット間結合 | 動的(計算途中に位置を変更可能) | 固定(物理的配線で結合) | 動的(シャフリング可能) |
| 冷却機構 | 巨大な冷凍機は不要(光冷却) | 巨大な希釈冷凍機(極低温〜10mK) | 巨大な冷凍機は不要(光冷却) |
主なメリットと課題
- メリット
- 圧倒的な拡張性:物理的な配線を各ビットに繋ぐ必要がないため、高密度な配置が可能で、数千〜数万量子ビット規模への拡大が期待されています。
- 全結合性(再配置性):計算途中に光ピンセットで原子の場所を移動できるため、離れた量子ビット同士を任意に結合させた効率的なアルゴリズムが実行できます。
- ノイズ耐性:電荷を持たない中性原子のため、周囲の不要な電磁場ノイズの影響を受けにくい特徴があります。
- 課題
- 制御速度:超伝導方式に比べて動作スピード(ゲート速度)が課題とされてきましたが、超短パルスレーザー技術の導入などで急速に高速化が進んでいます。

レーザー冷却した中性原子を光ピンセットで整列させ、量子ビットとして利用する量子計算方式。個体差のない均一な原子を2〜3次元に高密度配置できるため、大幅な大規模化と高精度化を両立できる第3の有力方式です。
なぜレーザーで原子の冷却が可能なのか
レーザーで原子を冷却できるのは、「温度=原子の移動スピード」であることを利用し、光の力で向かってくる原子にだけ「向かい風のブレーキ」をかけて静止させているからです(この代表的な手法を「ドップラー冷却」と呼びます)。
1. 温度の本質は「原子の速さ」
物体や気体の温度とは、それを構成する原子がどれだけ激しく動き回っているか(運動エネルギー)を表しています。つまり、飛び回る原子のスピードを極限まで落として立ち止まらせること=冷却することになります。
2. 光が持つ「押す力(運動量)」
光(光子)は質量を持ちませんが、運動量を持っています。原子が光を吸収すると、光が進む方向にわずかに押されます。これは、飛んんでくる大玉にピンポン球を正面衝突させてほんの少し減速させるような現象です。
3. ドップラー効果による「向かい風ブレーキ」
単に光を当てるだけでは、あらゆる方向の原子が押されて温まってしまいます。そこでドップラー効果を利用します。
- あえてズラした光を当てる:原子が吸収しやすい光の周波数(固有周波数)よりも、あえてわずかに低い周波数のレーザーを照射します。
- 向かってくる原子だけが吸収する:静止している原子にはこの光は吸収されません。しかし、レーザーに向かって飛んでくる原子から見ると、ドップラー効果(救急車のサイレンが高く聞こえるのと同じ現象)によって光の周波数が高くズレて見え、ぴったり吸収できるようになります。
- 逃げる原子は無視される:レーザーと同じ方向に遠ざかる原子には、光がさらに低い周波数に見えるため吸収されません。
4. 6方向からの照射(光学粘性)
原子が光を吸収したあと、再び光を吐き出す(再放出する)方向は完全なランダムです。そのため、何度も吸収と放出を繰り返すと、吐き出す時の力は全方位で相殺され、正面衝突によるブレーキ効果だけが純粋に残ります。
このレーザーを前後・左右・上下の6方向から同時に照射することで、原子がどの方向に動こうとしても瞬時に強烈なブレーキ(光の粘り気)がかかり、絶対零度(-273.15℃)の直前である数百万分の一開(ミリケビン〜マイクロケビン)まで一気に減速・冷却されます。

温度は原子の運動速度を表すため、冷却とは原子を減速させることです。ドップラー効果を利用して向かってくる原子だけにレーザー光を衝突させ、「向かい風のブレーキ」をかけて速度を極限まで落とすことで冷却します。
なぜ動作スピードが遅いのか、どのように克服しようとしているのか
中性原子方式が超伝導方式などに比べて動作スピードが遅い理由は、量子演算に必要な「原子の励起」と「原子の物理的移動」に時間がかかるためです。これに対し、超短パルスレーザーなどの先端光学技術を用いて速度の壁を打ち破る開発が進んでいます。
動作スピードが遅い2大原因
- リュードベリ状態への励起時間2量子ビット間で演算を行う際、レーザー光を当てて原子をエネルギーの高い「リュードベリ状態」へ引き上げます。従来のレーザー照射制御では、この遷移(量子ゲート操作)にマイクロ秒(100万分の1秒)単位の時間がかかり、超伝導方式(10〜100ナノ秒)に比べ10〜100倍程度遅いのがネックでした。
- 光ピンセットによる原子移動のタイムラグ中性原子方式の強みである「計算中に原子の位置を動かして結合相手を変える」動作には、光ピンセットで原子を移動させる時間(マイクロ秒〜ミリ秒)が発生します。
克服に向けた主なアプローチ
- 超短パルスレーザー技術(超高速量子操作)
- 分子科学研究所の大森賢治教授らが世界に先駆けて開発した技術です。フェムト秒(1000兆分の1秒)〜ピコ秒スケールの超短パルスレーザーを2本照射することで、原子間の相互作用を僅か数ナノ秒で制御します。これにより、従来の100倍以上の超高速化を達成し、超伝導方式と同等以上の速度を実現しています。
- 直接励起(単一波長UVレーザー)の採用
- 通常は2本のレーザーを段階的に当てる「2光子励起」を用いますが、強度の高い紫外線(UV)レーザーで直接リュードベリ状態へ引き上げる技術開発が進んでいます。エネルギー遷移過程を短縮し、ゲート操作の高速化とエラー低減を両立します。
- 高速空間光制御素子(AOM/SLM)の進化
- 光ピンセットの位置替えやオン/オフを司る音響光学素子(AOM)や液晶素子(SLM)の応答速度を高速化し、原子の並べ替えや配列切り替えに伴うロスタイムを極限まで削減しています。

演算状態への変化(励起)や光ピンセットによる移動に時間がかかるため遅くなります。これを、フェムト秒単位の超短パルスレーザーで数ナノ秒制御する技術などを導入し、大幅な高速化で克服しようとしています。

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